『大鷲の憂いと焦燥』

「ジョーはちょっとレースに出て優勝すれば、賞金がたんまり入るからいいよな…」
『スナックジュン』のカウンターに2人切りになった時、隣の男がポツリと呟いた。
「はぁん?」
ジョーはまた始まったか、と頬を左手に預けながら気の無い返事をする。
ジョーの眼の前にはスパゲッティナポリタンとサンドウィッチ、そしてサラダのセットが並んでいる。
デザートにはシチリアのメッシーナ産の『ミシェラドーロ』と言う豆を挽いた良い香りがするコーヒーと、ジュンが仕入れておいてくれたらしいこれもシチリア産のレモンが使われたジェラートが出されている。
細かく砕いたシチリア産アーモンドも掛かっている念の入れようだ。
BC島での事件があってから、ジュンはジョーへの気遣いをそんな形で見せてくれていた。
尤も作ったのは甚平だが…。
今、ジュンと甚平はガレージに用足しに行っていて、2人は客として来ているにも関わらず店番を頼まれていた。
「おめぇ、それって俺にたかってるのか?」
ジョーは呆れ顔でこの声の主、健を見つめた。
「いや、そんなつもりは無いが、南部博士のテストパイロットと言ったって、滅多に仕事がある訳じゃないしな」
「だから航空便配達のバイトをしてるんだろ?」
ジョーはナポリタンを器用にスプーンとフォークで巻き取りながら言った。
「ああ、まあな…」
歯切れの悪い健の前にはインスタントコーヒーが1杯あるだけだ。
「またオケラかよ?」
「この処、頻繁にスクランブルが掛かったからな…。
 航空便配達の仕事も頚になっちまった」
健は参ったぜ、と両手を左右に広げて肩を竦めて見せた。
「それじゃあ、こんな所でとぐろを巻いている暇はねぇな。
 さっさと次のバイトを探しな。別の航空便会社を当たってみりゃいいだろうが?」
「もう頚になったのは3箇所目だぜ…」
「お互い表稼業には何かと制約があるからな」
ジョーはコーヒーを口に運びながら言った。
「俺だって、レースを途中で棄権しなきゃならねぇ事は年中だぜ」
「でも、レースに優勝さえすれば、お前にゃ金がたんまり入る」
「そりゃあ、この腕を活かせる場所だからな。戴けるものはきっちり戴くのさ」
ジョーは二の腕の細いが鍛え上げられた筋肉を盛り上げて見せた。
「………………………………………」
健は両腕を組んで怖い顔をして黙り込む。
どうやらバイトの話は、ただの会話を始める糸口だったようだ。
「何だ?何が言いたい?」
ジョーはその健の顔に少したじろいだ。
「俺に金がない事はこの際どうでもいいんだ」
健は呟いた。
「じゃ、何なんだよ?」
「……お前、レース中に何か異常があったりしないのか?」
健はストレートに訊いて来た。
ジョーには漸く健の真意が理解出来た。
先日竜巻ファイターを失敗した事を、彼なりに心配しているのだ。
「何言ってやがる?確かにあの時はちょっと頭痛がしていて失敗した。
 悪かったと思ってるよ。だがよ、その後はしっかり挽回したつもりだぜ?
 ヘビーコブラだって俺とG−2号だけで倒したし、こうやってレースにも優勝しているじゃねぇか!」
「それはそうなんだが……」
健は腕組みを解かない。
ジョーの様子に異常があると睨んでいるのは間違いない。
長い間共に闘って来た仲間の中でも、一番長く傍に居たのが健なのだ。
「はん!それなら何も問題ねぇだろ?」
ジョーは明るく笑い飛ばした。
「おい、コーヒーが冷めるぜ」
ジョーは大声で甚平を呼んだ。
「甚平!居るんだろ?健にコーヒーを淹れてやってくれ。
 飛びっきりの上等な奴をな!」
甚平が奥から顔を出した。
「駄目だよ、ジョー。兄貴はどうせまたツケ払いなんだからさぁ」
「いいから出してやれ。コーヒー代ぐらい、俺が払ってやらぁ」
ジョーは食事を終えて立ち上がった。
最後は少し急いだので、折角の故郷の味がするジェラートの味をゆっくりと味わう時間も無かった。
「ホント?それならいいや」
甚平はジョーに健の分のコーヒー代を足して請求した。
スマートに支払いを済ませると、ジョーは「じゃあな!」と背中を見せてさっさと店を出て行ってしまった。
健の心には蟠(わだかま)りだけが残った。
(ジョー…お前って奴は……。本当に大丈夫ならいいんだが……)
先日来、ジョーの顔色が優れない事が気に掛かっていた。
今見せた後姿が何となくやつれて見えたのは、自分の錯覚なのか?
(元気そうに振舞っているだけに、余計に心配なんだよ、ジョー……)

健の前に良い香りがするアンドロメダエチオピアコーヒーが運ばれて来た。
「ジョーの兄貴、太っ腹だなぁ……。
 兄貴、これ本当に高級なコーヒー豆なんだぜ。すんげえ希少価値がある豆なんだ。
 『アンドロメダエチオピア』って言うんだ。宇宙っぽくっていい名前だろ?心して飲んでよね」
折角の高級品だったが、健にはその味わいが解らなかった。
ただただ苦い飲み物としか認識が出来なかった。
それはジョーの身体を何かが蝕み始めている兆候を健が嗅ぎ付けているからに他ならなかった。
その事は億尾にも出さず、健は「ああ、旨かったよ」と甚平の頭を撫でて店を出て行くのだった。
自分の心配が杞憂である事を祈って……。




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