『雨のレース』

雨の日のレースは視界は悪いし、タイヤは滑り易い。
それだけに車の性能は勿論の事、レーサーの技術が試されるレースでもあった。
その日のレースは、メカニックスタッフを付けずに全てを自分で行なうと言った物だった。
走る前の整備から走り出した後、天候の変化によって自分でタイヤを履き替える必要があった。
つまりは耐久レースのような物で、レーサー自身の本当の腕が試されるのだ。
そんなレースの日がこのような土砂降りなのは、正直言ってついてねぇ、とジョーは舌打ちをした。
普段は『2』号Tシャツのまま出場してしまうのが殆どであったが、作業中だけは身体が冷えるのを防ぐ為、雨合羽を着ていた。
実際にレースが始まれば、途中のメンテナンス時に合羽を着ている余裕はないので、びしょ濡れになる事は必至だった。
ジョーは車内にグローブの替えやバスタオルを大量に持ち込んでいた。
手や身体が滑るような事になっては一大事だ。
それと、雨を弾く為に超撥水被膜を全ての窓に噴霧してあった。
問題は途中で晴れて来た時だ。
どれだけ手早く4つのタイヤを履き替える事が出来るか、と言った手腕が問われる。
このピット作業に手間取ってしまえば、順位が大きく変わり、番狂わせになる事も考えられるのだ。
ジョーはG−2号機の専任メカニックに整備を任せっぱなしにはせず、出来る限りは立ち会っていたし、自らも整備を怠らなかった。
これは大型のホバークラフトを操縦する竜を除いては、それぞれのメンバーが各マシンを自分で整備しているので、ジョーに限った事では無かった。

いよいよ、チェッカーフラッグが振られ、過酷なレースが始まった。
昨夜からトレーラーハウスで此処に泊まっていたが、天気予報では1日中強い雨が続くだろうとの事だった。
それだけ、事故が多くなる可能性が高い。
自分だけではなく、他のレーサーが起こした事故にも巻き込まれないように充分な注意が必要なのであった。
レース開始早々に1台の車がスピンして行ったのをジョーは眼の端で見た。
「フランツだ…。怪我がなけりゃいいが……」
ジョーは気を引き締めてハンドルを握り直した。
敵は水滴と泥だ。
エンジンの中に入り込む可能性もある。
そうなると整備に時間が取られ、ロスタイムが掛かってしまう。
ジョーは出来るだけインコースを取るようにしていたが、思い通りには行かない。
とにかく走り続けている出場者が減って行くのを待つしかないだろう。
残っていれば、それだけ自分に有利になる。
同じコースを周回するレースなので、ジョーは慎重にステアリングを切った。
いつも走りこんでいるコースだが、雨の日は油断ならない。
雨は慣れたコースも『魔のコース』に変える事が多々あるのだ。

リタイアする車が続出した。
1.2kmのコースを50週するまでレースは続くが、悪天候の為、コースレコードには及ばないスピードでジョーもチェックポイントを通過していた。
それでも何台かを抜き去り、1位を保っていた。
眼の前でスピンした車を何度も交わし、漸くトップに躍り出たのだ。
後は自損事故を起こさない事。
そして周回遅れの車に気を付ける事。
それだけに集中した。
幸いにしてタイヤを履き替える事なく、ジョーはそのままトップで逃げ切った。
30台出場していた内、完走したのは僅かに8台と言う本当に過酷なレースとなった。
こう言ったレースには必ずスポンサーがスカウトを寄越している。
ジョーはそれを避けようと、表彰式が終わるとすぐにバックステージに戻り、G−2号機を最低限のメンテナンスをして、トレーラーハウスを牽引しながら逃げるように走り去った。
後を尾けて来る車が居るのが解った。
恐らくはスカウトだろうと思ったが、トレーラーハウスを引き摺っているので撒くのは難しかった。
少なくとも一般車に紛れるのは不可能だ。
仕方なく、ジョーは脇道に逸れて車を停めた。
雨はまだ屋根を強く叩いていた。
尾けて来ていた車から男が2人降りて来る。
場合によっては鉄拳で片を付ける事も考慮して、ジョーはウィンドーを半分開けた。
「何の用だ?」
男は案の定、名刺を出して来た。
「貴方の腕を買いたい。
 我が社では貴方のスポンサーに付きたいと前から考えていたのですが、今日のレースを見てその気持ちが固まりました」
「申し訳ないが、生憎俺はプライベートレーサーでね。
 今はレーサーだけに本腰を入れる事が出来ねぇ身分だ。
 気持ちは有難いがお断りさせて貰いたい。
 これ以上追って来ても答えは変わらねぇから、早く諦めた方がいいぜ」
ジョーはそれだけ言うと、G−2号機を滑らせた。
精々雨水を撥ねないようにと言う気遣いだけはしてやった。

「勿体無いね。スポンサーが付けば、ジョーだって世界的レーサーも夢じゃないのにさ」
『スナックジュン』のカウンターの中で、甚平はジョーの為にピッツァを焼いていた。
「馬鹿ねぇ、甚平。
 ジョーだってそうしたい気持ちは山々だけど、任務があるから堪(こら)えているんじゃない」
ジュンがジョーにオレンジジュースを出しながら言った。
「とにかく優勝おめでとう。
 凄い悪天候だったから応援には行けなかったけど、やっぱりジョーが優勝したわね。
 後で健と竜も来るわ。ささやかだけどみんなでお祝いしましょ」
「別に気を遣うなよ。優勝する度に祝勝会をやって貰ったんじゃこっちが気が引けるぜ」
「あら、ジョーがそんな風に思っているなんて知らなかったわ」
「ジョーの兄貴、みんなジョーが優勝した時どれだけ喜んでいるか知らないの?」
「そ…そりゃ、その事は嬉しいけどよ。
 みんな休日位は自分の為に過ごせばいいのに、って思っているだけさ」
「いいじゃない。そんな事に拘る必要はないわ。
 みんなお祝いしたいから集まるんだもの。
 そうでなければ集まるような面子じゃないでしょ?」
「まあ、それもそうだな……」
「いつかギャラクターの連中をやっつけたら、ジョーは世界一のレーサーになるんだね。
 かっこいいなぁ〜。おいら、メカニックの勉強をして付いて回ろうかな?」
「馬鹿。おめぇにはおめぇの道があるんだ。
 幸いお前には自分の夢を見つける為の時間はたっぷりある。
 焦らずに探せよ、な…」
そう言ったジョーの前に置かれた焼き立てのピッツァには、いつもと違う特別なトッピングがなされていた。
『congratulation!』と書かれたクラッカーが配置されていたのだ。
「甚平、洒落た事をやるじゃねぇか。みんなが来る前に喰っちまうのが勿体ねぇな」
ジョーはニヤリと笑うのだった。




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