『ガングリオン』

「博士。忙しい処、申し訳ないんですが…」
珍しく南部博士をISO本部ビルから別荘に送る道すがらジョーが何かを依頼するような口振りで話し掛けた。
「どうしたんだね?」
「いや…大した事ではないと思うんですが、右手首の甲の側に変なしこりが出来まして…。
 最初は小さかったんですが、昨日の朝見たらピンポン玉ぐらいに大きくなっているんです」
「何?」
「任務に影響が出ちまうとマズイんで、一応博士に相談しておこうかと…。
 痛みは全然ないんですがね」
「ジョー。すぐに車を停めたまえ」
車の通りはまだ少なかった。
ジョーは言われた通りに路肩に車を停めた。
「降りなさい」
そう言い乍ら、南部も車の外へ出た。
博士はジョーの右手を取ると、夕陽に向かって翳してみた。
しこりの部分は透かして見ると透き通っているように見えた。
「うむ。心配は要らない。これは『ガングリオン』だ。
 何らかの理由で皮膚の下部組織に嚢胞が出来、そこにゼリー状の液体が溜まるのだ。
 殆どの場合、放っておいても治癒するのだが、酷くなると痛みや痺れを伴う事もある。
 早めに言ってくれて良かった。
 別荘に着いたらすぐに注射器で液体を吸い出し、ステロイド注射をしておこう。
 そうすれば、嚢胞は消滅してしまい、再発もしにくくなる筈だ」
「そうですか……」
「ガングリオンは若い女性に多いのだが、男女を問わず頻繁に手首を使う人間には起こりやすい。
 君の場合もそうだろう。特に羽根手裏剣は手首のスナップを必要とするからね」
「はあ、そう言う物ですか…。鍛えているつもりだったんですが、まだまだ、って事ですかね?」
2人は車に戻った。
「ははは。そんな事はない。君は良く鍛えている。
 そのストイックなまでの鍛え方にはある意味心配もあるがね」
「心配、ですか?」
「まあいい。とにかく帰って治療をしよう。治療には多少の痛みを伴う。
 だが、傷を受ける事に慣れてしまっている君には蚊に刺されたようなものだろう」

治療には殆ど時間を要さなかった。
「今日の処は手首を安静にしておきなさい。明日になれば普通にして貰って構わん」
「有難うございます。博士」
「こんな物は大した治療の内ではない。万が一また再発した時はすぐに言いたまえ」
南部博士が微笑を含んだ眼でジョーを見た。
「その包帯は今夜の入浴の時には外して貰っていいだろう。ご苦労だったな」
「いえ、ではこれで失礼します。有難うございました」
「いや、何か少しでも身体に変調を来たした時は遠慮なく言う事だ。
 君達の任務はそれだけ重要なのだと言う事を忘れんでくれたまえ」
「解りました」
ジョーは南部の別荘から退出した。

こんな可笑しな物が2度と出来ないように明日から手首をもっと鍛えてやる、と思っていた。
帰り道ではそのメニューを考えるジョーであった。
重石を用意しよう、などとあれこれ考えている彼は意外にも楽しげだ。
ストイックなまでに身体を鍛え上げようとする彼だが、南部が危惧している程の事はなく、自分自身で心身を鍛える事を楽しんでしまっているのである。
これは学者の南部には解るまい。
(解らなくてもいい…)
と彼は思った。
その夜、帰宅途中でホームセンターに寄り、何かを物色しているジョーの姿があった。




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