『焦りの夜』

ジョーはぐったりとしてトレーラーハウスに帰って来た。
今日の任務も過酷だった。
普段なら任務を終えた後にレースに出る位の元気は残っていたのだが、最近はどうも彼の身体が違う様相を呈し始めていた。
忍者隊の仲間や南部博士には隠していたが、眩暈と頭痛に随分と悩まされている。
今の処、まだ任務で失態は犯していない。
ジョーはキーをサイドボードの上に投げると、その身をドサッとベッドに投げ出した。
(俺は…どうかしちまっている……)
だが、南部博士に相談する気にはなれなかった。
ジョーの勘は鋭い。
この体調不良は只者ではないと感じ取っていた。
ギャラクターへの積年の恨みを晴らす為には、博士は一番不調を知られてはならない人物だ。
任務で疲れ果てた身体で護衛兼運転手をする時などは特に緊張した。
夜間の運転が多く、ヘッドライトの眩しさで一瞬視界が攫われる事が増えている。
しかし、サングラスをすれば『こんな夜に』と疑わしく思われるに違いない。
何しろ8歳の時から彼を養育して来た南部博士である。
今はあの頃よりも更に多忙になり、ジョーの事に気を取られている暇がないのが、彼にとっては幸運だったと言える。
だが、今日はついに言われてしまった。
「ジョー、疲れているようだが、そんなに今日の任務が堪(こた)えたかね?」と。
彼が全身に冷や汗を掻いているのを博士は見逃さなかったのだ。
あの人に隠し通すのは難しいかもしれない。
いつかは看破されてしまうのだろうか…。
ジョーはベッドに仰臥したまま暗澹たる思いでトレーラーハウスの屋根をじっと見つめていた。
仲間は皆『スナックジュン』に集まっている筈だが、ジョーは博士を送り届けた後、此処に直行した。
食事を摂る気にもならなかったし、会話を楽しむようなそんな余裕は今の彼にはなかった。

突然頭が『ツキン』と痛んだ。
(またか…)
と思った。
ナイフで引き裂かれるような痛覚。
この痛みが彼の異常を顕著に物語っていた。
小さな痛みは徐々に頭全体に広がって行く。
ジョーは頭を抱えて側臥位になり、長い身体を丸め込んでその痛みに耐えた。
普段から任務や訓練で『痛み』への耐性は高かったが、この内側から来る痛みは耐え切れないものがあった。
すぐに額に脂汗が滲み始め、ジョーはひたすらその苦痛が去るのを待った。
唇を噛み締めても低く呻き声が発せられてしまう。
脳に異常がある事は明らかだったが、彼にとって幸いなのは運動能力に支障が起きていない事だった。
身体に麻痺が出るような症状は全くなかった。
ただその異常によって起こされる眩暈は尋常ではなく、彼を普段から悩ませている。
30分程丸まっていると痛みが終息に向かっている事に気付いた。
ジョーは息が詰まっていた分を取り返すかのように大きく肩で呼吸(いき)をした。
それだけの動きでまた頭が『ツキン』と痛む。
(俺の頭は一体どうなっちまったんだ!?)
息切れがする中、ジョーは思考を巡らせた。
しかし、考えても仕方がない事だと言う事は彼が一番良く知っていた。
病院に行くか、南部博士に相談するか、このまま隠し通すか、この三択しかないのだ。
彼は科学忍者隊から外されたくない一心で自ら三番目を選択した。
この症状が遠からず死を齎すものだと言う事を彼は知っていた。
治療を受けても治らないだろうと言う直感が彼の意思を決定付けた。
もし治るとしても、治療を受けている間は科学忍者隊の任務から外される事になる。
(ギャラクターを斃すその日まで…。今更戦列を離れる訳には行かねぇんだ!)
この思いだけで、彼は任務中にも湧き上がりつつある症状を抑え込んでいたのだ。
これから自分の身体は益々蝕まれて行き、悪化の一途を辿るだろう。
だからこそ!少しでも早く、ギャラクターを一網打尽にしたかった。
決戦の日は刻々と近づいている筈だった。

ジョーがベッドの上でまだ息を切らしていると、ブレスレットが鳴った。
彼は起き上がり、応答した。
「こちらG−2号!」
『ジョー。どうした?来ないのか?』
健の声が流れて来た。
「何だ、健か…。また任務かと思ったぜ」
まだ息切れがしていた。
声が少し上ずった。
『ジョー、どうした?』
健が眉を顰めているのが眼に見えるかのようだ。
「いや、腕立て伏せをしてたんでな」
『今日の任務はお前には特にきつかった筈だぞ。その後に博士を送迎して、腕立て伏せか?
 帰ったんなら少しは休めよな』
「で?何なんだ?わざわざ呼び出した理由はよ」
ジョーはベッドの上で胡坐を掻いた。
健と話して気が紛れたのか、痛みは潮が引くように薄れていた。
『いや、甚平がお前に食べさせようとシチリアレモンのジェラートを作って冷やしておいたのさ。
 遅いんで、今日は来ないのかと思ってな。
 博士の周辺も最近は物騒だし、また何かあったかと思ったのも正直な処さ』
「本当の処は後者だろ?今日は異常なし。何事も無かったぜ。
 博士は無事に別荘まで送り届けたから心配すんな」
『一々報告しろとは言わないが、何かあった時は必ず連絡しろよ』
「ああ、言われなくても解っとるわい!」
ジョーは竜の口真似をして、自分の現状を悟られまいとした。
冗談にしてしまおうとしたのだ。
案の定、ジュン、甚平、竜の笑い声が聞こえた。
『おら、そんな言い方しとるかいのう?』
『しとるってば、竜!』
『そうね…』
いつもと変わらない4人。
ジョーはその輪に入りたくても入れなくなって来た自分が虚しくなった。
一緒にいればいるだけ、彼の不調に気付かれる事になるだろう。
これからは任務以外では少し距離を置こうと思い始めていた処だ。
「じゃあな、健。これからシャワーを浴びるからよ」
『悪かったな、邪魔をして。鍛えるのも程々にしておけよ。お前には休息も必要だ』
「ああ、解ったよ…」
通信が切れた。
ジョーは今日掻いた汗を全部綺麗サッパリ洗い流したいと思った。
任務での汗、博士を送る車の中での冷や汗、先程の頭痛の発作で掻いた脂汗……。
まだ頭痛は残っている。
しかし、汗と共に痛みも拭い去ってしまいたかった。
それで取れるものなら……。

朝、眼を覚ますとジョーはシャワールームで倒れていた。
(また、痛みに襲われたのか…。何も覚えてねぇ……)
シャワーの湯は止まっていた。
買い置きのタンクの水が切れたのだろう。
ジョーは立ち上がりコックを捻って元に戻すと、バスタオルを取った。
気候の良いユートランドだがさすがに身体が冷え切っていた。
シャワーに打たれながら濡れたままで倒れていたのだから、当然の事だろう。
ジョーはふらっとシャワールームから這い出るように出て来て、身体を拭いたバスタオルを床に投げた。
投げ捨てられたバスタオルの形が、今の彼の複雑にささくれた心を表わしているかのようだった。
一連の動作でTシャツとジーンズを着込むと、とにかく身体を暖める為に何かを腹に収める事にした。
そう言えば昨日の夕食は食べなかった……。
非常食として置いてあるレトルトのクリームシチューを取り出した。
今はとても何か手を加える気にはならない。
深皿に移してラップをし、電子レンジに掛ける。
先程シャワールームの中の鏡で見た自身の姿は窶れ果てていた。
頬はこけ、身体も一回り痩せたようだ。
何よりも顔色が優れない。
せめて外見だけでも取り繕わなければ。
痩せた分は筋肉をもっと付ければいい。
ジョーはそう思った。
きっとこの不調を跳ね除けてやる。
不調を補い、吹き飛ばす為にも、彼は自身に厳しい訓練を課そうとしていた。
目指すはISO内の特別訓練ルーム。
三日月珊瑚礁の基地がギャラクターによって破壊されてしまった為、科学忍者隊が訓練をしたい時には、南部が借り切ってあるその部屋を使う事になっていた。
その前に切れたシャワー用の水タンクを交換しておこう。
今日の予定は15時からのパトロール。
その前後に博士の送迎だ。
此処からISO本部に行き、博士の別荘へ向かい、またISOと別荘を往復すると言う無駄な動線になってしまうが止むを得まい。
昼過ぎまでは自由時間があった。
その時間を自主訓練の為に使おうと言うのだ。
彼はどこまでもストイックであり、自身の体力の減退を訓練で回復させようとしている。
新たな能力が芽生える事を目指して。




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