『セピア色の街〜番外編』

実はジョーが受けた傷は相当な重傷だった。
骨を絶つまでには至らなかったが、ジュンが言ったように傷は深かった。
それを押して『火の鳥・影分身』を行なった事で縫合した傷口は再び開いた。
コックピットを上げて朝陽を眺めていたジョーだが、急激に身体から力が抜けて行くのを感じて、そのままシートへと倒れ込んだ。
技による衝撃で開いた傷からの出血が酷かったのと、通常時でも負担が大きいこの『火の鳥・影分身』による消耗が激しかったのだろう。
ジョーの治療をする時に南部博士が立ち会っていたら、出動を禁じたかもしれなかった。
が、博士は謎の液体の分析でそれどころでは無かったのだ。
『ジョー!ジョー!どうした?帰還するぞ』
健の声が虚しくブレスレットから響いていたが、ジョーには声を出す事すら出来なかった。
舌がもつれ、口が開かない。
答えたくても答える事が出来なかった。
身体を思い通り動かす事が出来ず、全身が痙攣を起こし、感覚が麻痺して来ていた。
意識だけはしっかり残っている。
熱感がある。恐らくは体温が急激に上がって居る筈だ。
鼓動が早くなり、息苦しかった。
それは出血から来るものとは言い難かった。
傷を受けた時に何らかの影響が体内に及ぼされたものと思われる。
ジョーの異常を察知した健は竜にゴッドフェニックスをジョーの居る場所に降下させ、トップドームから飛び降りた。
意識がハッキリしているので、ジョーは「うっ…うぅっ…」と苦しそうに呻いていた。
身体の痙攣が止まらず、その表情が苦痛に歪んでいる。
「ジョー!」
健には彼に何が起こったのか解らなかった。
竜を呼び、2人でジョーをG−2号機から運び出して、ゴッドフェニックスに戻り、それからG−2号機を格納した。

「破傷風?」
博士の説明に健が顔を上げた。
傷口から菌が入って起こる病気である事は彼も知っていた。
だとすれば、そのジョーの腕を傷つけたボックスの一部が錆びてでもいたのだろう。
「破傷風は普通3日以上の潜伏期間がある。
 だがジョーの場合、『火の鳥・影分身』を使った事で症状が早く出たようだ。
 成人の致死率は50%だが、ジョーの場合は症状が重い。
 更には意識が混濁する事がないだけに、苦しみもより大きいのだ」
南部が沈痛な表情をした。
「更には悪い事に傷口も化膿し始めている。そして、全身状態が非常に悪いのだ。
 40℃を超える発熱、自分の意思では動かない身体……。
 意識を失っていた方がジョーは苦しむ事もないだろうに、この病気は死が訪れるまで本人を苦しめる病気なのだ」
「でも、致死率は50%なんですよね?!
 鍛えられたジョーの身体が病気に負けるとは思えません!」
健の真剣な表情を見返した南部博士の瞳はただ、曇っていた。
「そうだ、と言いたい処だが、ジョーの場合は極めて重篤だ。
 我々も最善の手は尽くす。こんな事でジョーを失う訳には行かん」
「博士……」
ジュンが涙を零した。
「そんなに悪いんですか?」
「はっきり言って…悪い」
「じゃあ、ジョーの兄貴は死んぢまうんですか?」
「ジョーは1人で闘っている。皆、傍にいてやってくれたまえ。
 本人は諸君に自分の苦しむ姿を見せたくないと思っている節があるが、何しろ口が利けないのでな。
 意思確認をする事が出来ない。
 きっと君達が傍にいる事でジョーは力を得てくれるに違いない」
「解りました……」
健がジョーがいる病室へ向かう為、踵を返した。
他の3人も続いた。

ジョーは個室に居た。
ドアの外に押し殺した呻き声が漏れ出ていた。
それは痛々しかった。
ドサっと言う音がした。
苦しんで暴れたジョーがベッドの下に落ちたに違いない。
健達は慌てて病室に入った。
ジョーは床の上でもがいていた。
立ち上がる事すら出来ない。
その苦しみは、肉体の苦しみよりも遥かに彼の心を痛めつけている筈だ。
「うう…」
4人を見た瞳は哀しげだった。
見ないでくれ、と訴えているように健には感じられた。
「ジョー。俺達はみんな一緒だ。お前が苦しんでいる時になぜ平静でいろ、と言うんだ…」
健は静かにそう言うと、竜と協力して、ジョーの身体をベッドの上に戻し、シーツを掛けた。
身体が熱い。
床に落ちた事で点滴の針が腕から抜けてしまっていた。
ジュンがナースコールをしてその旨を告げた。
ナースがすぐに保冷枕を持って来て交換し、点滴針を取り替えて固定した。
「看護師さん、ジョーは助かるよね?」
堪(こら)え切れずに甚平が訊いた。
「ご本人は勿論の事、ドクターも私達も全力で立ち向かっています」
看護師はそれ以上言う事が出来なかった。
そのまま退出する。
ジョーはその筋肉に痙攣を起こし、苦しんでいた。
見ていられない、と言うようにジュンが眼を逸らした。
「見ているのが辛ければ此処から出ろ」
健はそう言って、丸椅子を引っ張って来てジョーのベッド脇に座った。
「ジョーはいつも危険な仕事を買って出ては傷付く。仲間を守っては傷を受ける。
 それは何故だか解るか?ジョーが人一倍仲間思いだからだ。
 冷たいなんて思っている奴もいるが、こいつはいつだって俺達の事を考えてた。
 みんなもっとジョーの事を解ってやってくれ……。
 俺が付き添う。みんなはパトロールに行ってくれ。
 何かあれば連絡しろ。その時はすぐに俺も行く」
「健……」
ジュンはジョーの本質を解っている。
自分だけが解っているのだと思っていたが、健もしっかりとジョーの事を理解していたのだ。
健は怒っているかのような声音と口調だったが、それは自分に向けた怒りだった。
何故もっとジョーを傷つけない方向に持って行けないのか、と言うリーダーとしての自分に対する怒りだ。
「ジョーはまだ闘っている。大丈夫だ」
健はジョーの汗ばんだ手を取り、ギュッと握り締めた。
ジュンが無言で、甚平と竜の背中を押し、病室から出て行った。
「ジョー……。お前は余計な事を気にするな、と怒るだろうが……」
健はジョーの熱い手に額を寄せた。
ジョーが「うっ」と呻いた。
筋肉の硬直が彼を苦しめていた。
「俺はお前を失いたくない。友達として、科学忍者隊の仲間として。
 そして……良き相棒として。ジョー、死ぬな。俺を置いて死ぬな!」
健の感情が迸った。
「俺はお前を死なせはしない。きっと生還すると信じている。
 だからその期待にちゃんと応えてくれ!」
「ううっ…」
またジョーが呻いた。
弱々しい光を湛えたその眼が、承諾の意思を表わしていた。
言葉を紡ぎ出せない自分がもどかしいと言った顔で、ジョーは健を見つめた。
しかし、またその顔は苦痛に歪んだ。
「ジョー、お前は破傷風なんかに負けるような奴じゃない。
 これまでのように不死鳥の如く甦れ。それまで俺はいつまででもお前の傍に居てやる。
 死ぬ時は一緒だと約束したじゃないか?
 コンドルのジョーはこんな事で死にゃあしない」
気を失う事が出来たらどんなにか楽だろう。
眠る事が出来たら……。
(ジョー、お前をこんなにも苦しめるギャラクターが憎い。
 お前の運命を呪いたいっ!)
健は更に強くジョーの手を握り締めた。
「生きるんだ、ジョー。お前を死なせはしない。それは俺の心も死ぬと言う事だからな」
ジョーの眼が大きく見開かれた。
「う…」
その瞳は確かに健の瞳を射ていた。
(健…そんなにも俺の事を思っていてくれたのか……)
ジョーは苦しみを一瞬忘れ、思考する事が出来た。
「もう、1人で無茶をさせたりはしない。治ったら覚悟してろよ。
 お前の思い通りにさせる訳には行かないからな……」
健が呟いた。

彼はその言葉通り、ジョーの病室から一歩も出なかった。
幸いにしてギャラクターの出現はなく、個室の中でひっそりと食事を摂りながら、殆ど寝ずにジョーの傍にいた。
ジョーの苦しみは長い事続いている。
もう一昼夜が過ぎていた。
時々科学忍者隊のメンバーや南部博士が様子を見に来た。
博士は脈を取り、ジョーの身体に関するデータをドクターや看護師から受け取っては難しい顔をしていた。
高熱も続いていた。
ただ、体力の衰えが顕著で、身体の拘縮に苦しむ姿も段々と力なくなって来ていた。
それでも意識だけはハッキリしている。
何とも残酷な病気であると言えた。
「ジョー、生きてくれ。みんながどれだけ君の生還を待ち望んでいるか、解るね?」
「ううっ…」
ジョーが呻いた。
その瞳は既に力を失いつつあった。
健はジョーの身体を擦(さす)った。
「健。君も参ってしまう。休みたまえ。竜を代わりに置いておこう」
「いえ…。俺に傍にいさせて下さい。任務がない限りは…。
 必要な時にはどんなに後ろ髪を引かれようと科学忍者隊のリーダーとして出動しますから。
 お願いします。ジョーを失いたくはないんです」
「健…。それは皆同じだよ。ジュンも甚平も竜も……。
 パトロールの時以外はずっと病室の外で待機している」
健はハッとした。
「すみません…。俺が一時の感情で追い出してしまいました。
 どうか中に入るように言ってやって下さい」
健は後悔した様子で南部博士に気持ちを伝えた。

「ジョー!」
やがて3人が南部と入れ替わりに入って来た。
「ジョー、死んじゃいかん!気をしっかり持つんじゃ!」
「大丈夫だよね、ジョーの兄貴。今までだって様々な危機を乗り越えて来たんだから」
「ジョー……」
涙を流しながら、健の反対側からジュンはジョーの手を握った。
そのジョーの手にジュンの美しい涙がぽたりと落ちた。
「ジョーはいつだって、私達の事を気遣って守ってくれていたわ。
 あなたは冷たい人なんかじゃない。血の通った仲間思いの優しい人……。
 私は知っていたわよ……。だからあなたを喪いたくはない。
 大切な仲間なんだから。戻って来てよ、ジョー。
 こんな事で私達からあなたを奪ったりしたら承知しないわよ、ジョー!」
ジョーは肩で苦しそうに息をしていたが、首を回してジュンの方を見た。
言葉は相変わらず出なかったが、首が動いた事は奇跡だと言えた。
健はその変化を見逃さなかった。
力なく横たわっているだけのジョーだったが、自分の意志で首を動かす事が出来たのは良い兆候なのかもしれない、と健は期待を持った。
ジョーの瞳から二筋の涙が零れた。
「ジョー!」
4人が同時に叫んで、身を乗り出した。
「お…れ、は……死、にゃあ…し、ねぇ…ぜ……」
声は出なかったが、唇がそう動いたのを、健が読み上げた。
唇の拘縮も解けて来ている事が解った。
「ジョー、峠は越えたに違いない。頑張れ!」
健は改めてジョーを励ました。

それから三日三晩ジョーは苦しみ続けた。
健達は順番で泊まり込み、片時もジョーから離れなかった。
ジョーが僅かな時間惰眠を貪って目覚めた時には、そのベッド脇にジュンが突っ伏していた。
「ジュン……」
掠れた声が出た。
何日も殆ど眠っていない身体は恐ろしく重く疲弊していたが、ジョーは確かに病気に打ち克ったのだ。
ジュンはハッとして頭を上げた。
ジョーの優しいブルーグレイの瞳が彼女を見ていた。
「疲れたろ?ジュン……」
ジョーがジュンの髪を優しく撫でた。
「ジョー!」
涙が滂沱と溢れ出た。
ジュンは自分の緑の髪に触れているジョーの手をしっかりと握り締めた。
まだ高熱があるのかその手は熱かった。
でも……!
「……心配、掛けたな……」
ジョーは確かに声を発している。
ジュンは声を上げて泣きそうになった。
(早く健達に知らせなくては!)
ジョーの手を優しく離すと、ジュンはパッと走り出し、病室の外のソファで仮眠を取っているメンバー達に報せた。
全員が喜びに満ち溢れて病室へと雪崩れ込んだ。
「ジュン、ジョーに水を!竜、博士に連絡だ!」
ジュンは枕元にある水差しからジョーに水を呑ませた。
「…旨い、なぁ……」
ジョーがハッキリと発音した事で、全員が力が抜ける思いをした。
「すまねぇな、みんな……」
ジョーは高熱を漸く実感した。
だが、これもやがて下がって行く事だろう。
危険な時期は脱したと言えた。
皆はジョーに対する愛しさを強く感じ、ジョーは自分が思いの外皆から愛されている事を知った数日間だった。
意識がハッキリしていただけに、彼は仲間達の言葉はちゃんと聞いていたのだ。
ジョーは疲れ果てていた。
「ジョー、博士に診て貰ったら、ゆっくり休め。きっと眠る事が出来るだろう」
健がホッと一息ついた、と言った顔でジョーを見た。
その瞳には涙が一粒光っていた。




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