『迸り出る言葉』

木漏れ日の中で眼を覚ましたジョーは疲れ切った身体の回復を実感した。
若い身体はどんなに過酷な日の翌日でも、眠りさえすれば復活する事が出来る。
ベッドの上で大きく伸びをした。
長い脚がベッドからはみ出した。
ベッドから降りたジョーはドアを開け、窓と言う窓を解放した。
心地好い森林の空気がトレーラーハウスに入り込んで来る。
トレーラーの中はたちまち新鮮な空気に満ちた。
ジョーが朝のホットミルクを飲んでいると、窓からチチチチっ、と椋鳥が紛れ込んで来た。
「どうした?」
彼が優しい眼を向けると、椋鳥が傷を負っている事が解った。
身体の一部に小枝が刺さっている。
ジョーは救急箱を取り出し、医療用の手袋を嵌めると慎重に小枝を抜いた。
「子供の仕業か?可哀想によ…」
幸いにして傷は浅かった。
ジョーは傷を消毒してやり、外から取って来た薬草と化膿止めを混ぜた物を塗った。
細く切った包帯を巻いて血止めをした。
「餌は虫でいいんだよな?」
ジョーは椋鳥が食べそうな小さな虫を集めて深いトレーに置いた。
そして、その中に自分が常用している痛み止めを1錠の内ほんの僅かをカッターで掠め取った物を砕いて混ぜた。
他に浅いコップに水を入れてやった。
椋鳥はジョーに感謝の眼を向けると、嘴に水を含み、それから餌を食べた。
塗(まぶ)した痛み止めも何とか体内に入ったようだ。
「お前、良くなるまで休んで行っていいぞ。何もなければ俺は夕方までは此処にいる」
夕方には南部博士の護衛兼運転手をする事になっていた。
「俺が出掛ける時には、1人で行けるな?」
椋鳥が頷いたようにジョーには見えた。

彼は自分の朝食に取り掛かる前に寝汗を拭く事にした。
元々上半身は裸で寝ている。
タオルを熱い湯で絞って細いが均整の取れた逞しい筋肉質の身体を拭いて行く。
熱い胸板と割れた腹筋は芸術的と言ってもいい。
本人は気付かないが背中の肩甲骨のラインも悩ましい。
薄手の身体にぴったりとしたレーシングスーツを着た時など、女性が群がるのは当然とも言えた。
やがてさっぱりしていつものジーンズに履き替えると、Tシャツはベッドに折り畳んで置いたまま、朝食の支度に入った。
今朝は余り食欲がなかった。
(昨日帰って来てから夕飯を喰ったのが遅かったせいだろう…)
ジョーは自分の身体に巣食う病にまだ気付いておらず、食欲不振をそのせいだと思っていた。
これでは健と同じで自分でも感心はしないが、彼はシリアルを取り出して、ミルクを注いだ。
健はこれを単に金がないからやっている。
ジョーはそうではなく、食欲がない時の為に用意している代物だった。
機械的にそれを口にし、無理矢理流し込むようにして食べた。
科学忍者隊として体調管理も重要な仕事の1つなのだ。
冷蔵庫からも栄養ドリンクを取り出し、口にした。
食べたくないからと言っても何とか栄養素を摂り入れて置かなければならない。
元々イタリア人は朝食を軽く済ます事が多く、10時頃におやつ的な物を食べる習慣がある。
ジョーも子供の頃のその習慣はまだ抜け切っていなかった。
ただ、彼は両親とあのような別れをしてからは10時のおやつを食べる事は無くなった。
南部博士にこの地に連れて来られて10年。
ジョーの中では子供の頃の習慣とこの土地の習慣とが折衷されて来た感がある。
南部博士は日本人、健と甚平と竜も日本人だ。
ジュンは日米のハーフだが、ジョーだけは日本人の血は薄かった。
みんなと相容れない部分があるのは、そう言った事なのか、それともジョーの性格的なものなのか……。
両方なんだろうな、とジョーは思った。
しかし、彼は仲間達を愛しているしいざと言う時は身を挺してでも守るだろう。
レーサー仲間にはない、何かしらの一体感が彼らにはある。
それは共に同じ重要な任務に生命を賭けているからだろう。
ジョーの一匹狼的な性格が此処まで柔和になって来たのには、仲間達の影響が強く出ている事は否定出来ない。
それは彼らが長い時間を経て、ジョーの心を少しずつ溶かして来たのだろう。
だが心の奥深くに眠る硬い氷はまだ溶けるに至っていない。
それは、ギャラクターを壊滅させても一生抱えて行くものなのかもしれない、と彼は思っていた。
ギャラクターの復讐心だけではないもの。
自分の身体に流れる血に対する負い目と侮蔑、そして悲観。
これから解放される日が来るのだろうか?
忘れられる日が来るのだろうか?
そんな日が来るのなら、俺はやはりレースの道を目指すのだろうか?

ジョーは珍しく夕方までベッドの上でぼんやりと過ごした。
いつもならストレッチやら走り込みやら何かしら身体を動かしている事が多いのだが、今日は何とも大儀だった。
(疲れは取れた筈なのにな?)
本人も不思議だった。
その時、ふと、先程手当てをしてやった椋鳥がチチっと啼いたのに気付いた。
「ママの所へ帰るか?飛べるのならもう行け。傷は大丈夫だ」
ジョーは優しい眼で人差し指の上の椋鳥を見た。
帰る場所があるこいつが羨ましいな、とそんな事を考えた。
ジョーには帰りたくとも両親は眼の前で殺され、この世の人ではない。
それもギャラクターの大ボスだったと言う。
逢えるとしたら、自分が地獄へ堕ちる時だろうが、何を話したら良いのかすら解らない。
いつかその日が来るだろう。
それも余り遠くはない、と言う予感が彼には薄っすらと感じられていた。
その時になったら、自分は両親に向かってどんな感情をぶつけるのか、今はまだ思い浮かばなかった。
それでいい。
その時に迸り出る言葉こそが彼の真実だ。

椋鳥を自分の掌から空へと飛び立たせると、茶色い羽根をパタパタとさせ、ジョーの上空をくるくると回った。
お礼を告げているつもりなのだろう。
彼は去って行く椋鳥をゆっくりと見上げると姿が見えなくなるまで空を見つめていた。
真っ青で雲ひとつない空が眩しかった。
ジョーはまだ後片付けをしていなかった事に気付き、慌てて汚した食器を洗い、歯磨きをして出掛ける支度を始めた。
片付けはその日の内にしないと嫌になってしまう。
だから任務がない限りはすぐにやるのが彼の性分だった。
溜めておくと言った事は出来ない。
それに引き換えると健の部屋は雑多な感じがする。
遊びに行くと掃除をせざるを得なくなるので、ジョーは出来るだけ遠慮している。
支度を終えて、南部博士の別荘に向かおうとG−2号機をトレーラーから外そうとしている処へ、また「チチチッ…」と先程の椋鳥がやって来た。
親鳥らしき一回り大きな鳥が一緒だった。
「ママと逢えたんだな。良かったな…」
ジョーは思わず微笑んだ。
自分がこんなに優しい表情を出来るのだと言う事に彼自身が驚いていた。
2羽の椋鳥はジョーの頭の上を旋回した後、大空高く消えて行った。




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