『魂の刻限』

ジョーが1人でサンドバックに華麗な蹴りを叩き込んでいる時に彼はフラッと現われた。
「ジョー、もう動いてもいいのか?」
振り向かなくても解る。
声の主は健だ。
声を出す前にその気配で解っていた。
「ああ、全く動かねぇで居ると身体が鈍っちまうからな…。
 医者から軽い運動ならいい、と許可も得てる」
ジョーは身体を動かす事を止めなかった。
その動きは軽く、相変わらず素早い…。
身体は何回転もし、数秒の間にサンドバックは何度もキックを決められてひしゃげている。
全く身体が鈍っているとは健には思えなかった。
「凡そ『軽い運動』には見えないな…」
健は微笑って、缶コーヒーをジョーに投げた。
ジョーは動体視力に優れているので、サンドバックを蹴ったまま1回転して、確実にコーヒーを受け取った。
その位の正確さが無ければ、射撃や羽根手裏剣を使いこなす事は出来ないだろう。
「少しブレイクするか。オケラの健が折角差し入れを持って来てくれたんだからな…」
ジョーは1人ごちると、訓練室の壁際にあるベンチに健と並んで座った。
少しぶかぶかとしたタイプのスウェットスーツを着ているが、健にはジョーが幾分痩せたように見えた。
「見た処、元気そうだが…本当に大丈夫なのか?」
健は思った事を口にした。
先日受けた銃弾による傷が任務の時に裂けてしまったのは記憶に新しい。
「今度は大分大人しくしてたぜ。腹筋もしないで、治す事に専念したさ」
「お前、あの傷で腹筋してたって言うのか?ベッドの上で!?」
健は呆れて物が言えないと言う顔をした。
「手術が終わってすぐにやった訳じゃねぇぜ。ちゃんと抜糸が終わってからだよ」
「だからって……」
健は飲み終わったコーヒーの缶を思わず握り潰した。
「焦る気持ちは良く解るが、無茶をするなよ。お前だけの身体じゃないって事を忘れるな」
科学忍者隊のリーダーの顔になって健はジョーを窘めた。
「解ってるって、リーダーさんよ。だから今回は相当大人しくしてたんだぜ。
 医者がいいって言ったんだ。もう大丈夫だろうよ」
ジョーもコーヒーを飲み干した。
「やっぱりちゃんとドリップしたコーヒーじゃねぇと旨くねぇな…」
「文句を言うなよ。早く良くなって『スナックジュン』に来い」
「ああ、そうだな…。随分行ってないような気がするぜ…」
ジョーは窓の外の夕焼けを振り仰いだ。

この後、1ヶ月もしない内にジョーの身体に不調が訪れるとは、誰も予測していなかった。
ジョー自身も身体の変調には気付いていなかったのである。
元々この腹部に受けた銃弾とは全く関わりの無い部分で、本人も気付かないような異変が起こり始めていたのである。
実際にはこの時点で頭痛や眩暈は起きていたのだが、出血により多くの輸血を受けなければならない程の病的に酷い貧血を起こしていたし、ジョーは眩暈や頭痛をそのせいだとばかり思っていた。
担当の医師も彼の脳の中に爆弾の破片が残っているなどとは思いも寄らなかっただろう。
腹部に銃弾を受けたのだ。
わざわざ頭部を調べたりはしないだろう。
その事についてこの担当医師を責める事は出来ない。
しかし…、何とも皮肉な運命だった。
ジョーにはもう僅かな時間しか遺されていないと言う事をまだ誰も知らなかったのだ。
そのカウントダウンは既に密かに始まっていたのである。
ジョーはこれから1ヶ月後に自分の余命を知った時、此処で足踏みをしてしまった時間を歯噛みをするような気分で悔やんだのであった。




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