『視線』

サーキットでジョーはずっと誰かの視線を感じていた。
しかし、敵意のある視線ではない。
もしかしたらまたスポンサーのスカウトか?と憂鬱になりながらもピットに戻り、G−2号機の整備を始めた。
軽くコースを30周程回っただけだったが、ジョーはやけに暑さを感じ、Tシャツをたくし上げて無造作にナビゲートシートに投げ出した。
神々しく逞しい上半身が露わになった。
細いが無駄のない筋肉がしっかりと付いていて、彼の身体の動きに沿って美しく活動していた。
その時、またジョーは視線を感じた。
背後から近づいて来る気配……。
やはり、敵意はない。
「レニック中佐…、いや、大佐。こんな処に何の御用で?」
ジョーは振り向かないまま訊ねた。
「さすがだ。気配だけで感じ取ったかね?
 ……今日は休暇でね。私がどこで何をしようと軍も文句は言わんよ」
「で?わざわざ俺に逢いにこんな処まで?」
ジョーは漸く振り返った。
背中から夕陽を浴びていて、その表情は見て取る事が出来なかったが、素晴らしい肉体のシルエットが逆に際立った。
「勿体無い、と思ってね。君のその腕前が……」
「前にお断りした筈ですよ。俺には軍隊は性に合わねぇ」
「国連軍にスカウトに来たのではない。私はもう疾うに諦めたよ」
「それならばどうして?」
ジョーは再びレニック大佐に背を向けて、愛機の整備を続けた。
レニックは声も掛けずに何かをジョーに向かって投げた。
ジョーは後ろを向いたままでそれをパシッと右手で受け取った。
ペットボトルに入ったスポーツドリンクだった。
「その優れた勘。射撃の腕……。
 レーサーとしてもこの上なく優秀なのは今日見せて貰ったが、やはり君の射撃の腕は捨て難い」
「やっぱりスカウトじゃないですか?」
ジョーは受け取ったペットボトルの蓋を開けながら唇を曲げた。
「スカウトと言えばスカウトだが、今すぐに、と言う訳ではない。それに軍隊ではない」
「は?」
ジョーは飲み掛けたスポーツドリンクを危うく噴き出しそうになった。
「ただの打診だと思ってくれればいい。
 いつか君が任務を解かれる日が来たら、オリンピックを目指してみないかね?」
「お…俺が、オリンピックですって?」
ジョーは眼を白黒させた。
そんな事は全く考えた事が無かった。
もし平和が訪れて、その時自分が無事に生きていたら、レーサーとして生きて行くつもりでいたからである。
「レーサーをし乍らでも君なら出来ると思っている。
 私の仲間で怪我が原因で国連軍を引退した者が居てな。
 これが大変な射撃の名手なのだが、彼がアメリス国で射撃部門の総監督を務める事になった」
「二兎を追うもの一兎をも得ず、ですよ。俺はそこまで貪欲じゃありません」
ジョーがシニカルに笑った。
「実際にオリンピックには2種目のスポーツで夏季と冬季のオリンピック両方に出場する者もおる。
 別にレーサーと掛け持ちでも問題はないと思うがね」
レニックはG−2号機の向こう側にあるガードレールへと歩き、そこに寄り掛かった。
「君には二兎を追うだけの実力があると私は思うがね」
「ギャラクターとの闘いが終わった時に俺がまだ生きていたら…、その時に考えますよ」
「不吉な事を言うもんじゃない!」
レニックはうろたえた。
「俺達は生命を賭けて闘っているんです。
 貴方が小馬鹿にしている小さな甚平ですら、とっくにその覚悟を負っているんですよ」
「………………………………………」
「俺はあいつの為にも早くギャラクターと決着を着けたい。
 あいつならまだやり直せますからね。
 あいつの年を知ってますか?
 孤児(みなしご)なので、正確な処は解りませんが、推定でまだ11歳なんですよ!」
ジョーは吐き捨てるように言った。
「普通なら小学校に通って、友達と楽しく遊んでいる年頃です。
 俺達はもうやり直せない年齢に達していますが、あいつにだけは子供らしい生活を送らせてやりてぇ」
レニックは言葉に詰まった。
「ギャラクターを斃すまでの間は俺達は将来の事をくっきりと思い描く事なんて出来ないんですよ」
ジョーの握り締めた両掌が震えていた。
レニックは彼の過去を南部から聞いて知っていた。
ギャラクターの子であったと言う事は知らされていなかったが、彼がギャラクターへの復讐心を募らせている理由は良く解っていた。
「……そうか。悪かった。闘いが終わって、君が将来を考えられる時が来たら、また改めてスカウトに来るとしよう。
 だから、死ぬな。どんなに辛い闘いであっても、5人全員で生還しろ。
 私はいつまででも待っているぞ」
「お互いに生きていたら、その時改めてその話をしましょう。今はほっといて下さい」
ジョーはつとその眼を細めた。
自分が生還出来る気がしなかった。
闘いの中で自分の生命が激しく燃えて最後には砕け散るような悪い予感が彼にはあったのだ。
それはBC島から戻ってからずっと抱(いだ)いている思いである。
体調が悪い訳ではない。
それでも、自分がギャラクターの血を引いているのを知ってからは、その血が沸騰しそうな怒りと哀しみに苛まれた。
BC島でギャラクターの銃弾に倒れた時も、血を流す事で自分が洗われると思ったのだが、そうではなかった。
心の中に澱のように溜まって行くどす黒い何かが日に日に大きくなって行くのを実感していた。
自分自身でも説明の出来ない物だった。
怒りなのだろう、哀しみなのだろう。
自分が背負って生まれて来た運命に対する嘆きなのかもしれない。
それが解決するのは、ギャラクターを殲滅させる時に他ならない。
いや、その瞬間(とき)が来ても、心のどす黒い物が晴れるとは限らなかった。
それに…彼が感じている予感……。
闘いの中で散るのであれば、自分の将来を今考えて何になる?
ジョーはそう思っていたのだ。

「また任務で逢う事もあるだろう。それまでさらばだ」
レニック大佐は悠然とジョーの前から姿を消した。
(俺は貴方の望みには一生応えられないかもしれませんよ……)
ジョーはその背中に向かって呟いていた。
レニックにはかなり心を開いて来たジョーだったが、どんなに譲っても、今は自分の将来を明確にする事が出来ないのであった。
その哀しい予感が的中しようとは、まだ漠然とし過ぎていて彼も気付いてはいなかった。




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