『特別な場所』

その日は朝早くからゴッドフェニックスで各地にパトロールに出掛けた。
三日月基地に戻って南部博士に報告を済ませても、まだ午後の3時だった。
竜は相変わらず空腹を訴えて、腹拵えの事だけを考えている様子だ。
これからは各自の自由時間。
ジョーは何をするか考えていた。
これから遅い昼食を摂ってサーキットに行くには、もう時間的に遅い。
G−2号機でゆっくりとドライブでもしようかと思った。
まずは基地内のレストランで食事をして、愛機の整備をし、それから夕方にでも出掛けよう。
ジョーの好きな場所がある。
海辺から見る夕陽がとても綺麗なのだ。
小さい頃、テレサ婆さんに連れて来られ、それまで恐怖でしかなかった海を克服出来た思い出の場所でもある。
テレサ婆さんをドライブに連れ出してやりたいが、この時間からでは仕事の邪魔になるな、ジョーはそう思って諦めた。
何かにつけて未だにジョーの事を気遣ってくれるテレサ婆さんの事を、ジョーもまた気遣っていた。
何しろ80歳の高齢である。
娘婿が大手アパレルメーカーの社長であり、もう引退しても生活は安泰な筈なのに、出来る限りは迷惑を掛けたくないとまだ頑張っている。
今度南部博士に頼んでテレサ婆さんに丸1日休暇を与えて貰って、『誘拐』したいなどと言う妄想に駆られた。
テレサの体力的な事もあるが、車での移動なら問題ないだろう。
1日中彼女が滅多に出掛けないであろう珍しい場所を連れ歩いてやって、最後の締めはこの海辺で夕陽を見る。
(我ながらいいデートコースだ…)
とジョーは1人悦に入った。
殆ど博士の別荘から出る事がないテレサ婆さんにたまには息抜きをさせてやりたいと言う思いが強かった。

暫く海に向かって走行していると、尾行が尾いている事に気づいた。
(ギャラクターか?)
ジョーは眼を細めて緊張する。
南部博士の護衛をしている時は素顔なので、単独の時に狙われても仕方がない、と彼は腹を括っていた。
しかし、その緊張は一瞬にして解けた。
見慣れたバイクとバギーだったのだ。
「何だ、ジュンと甚平じゃねぇかよ?」
ブレスレットに声を掛けた。
『あら、やたら丁寧にG−2号機を整備してウチの店にも来ないでどこかに行ったと思ったら、買物帰りに丁度見掛けたから尾けて来たのよ』
ジュンの声がした。
「下手な尾行だな」
『デートにでも行くのかい?ジョーの兄貴』
「そんなロマンティックな相手はテレサ婆さん以外にはいねぇよ。今日は1人だぜ…」
ジョーは唇を曲げた。
(こいつら思い出の場所に着いて来るつもりか?)
だが、良く考えてみれば、健をその場所に連れて行った事があるから、彼女達はもう知っているのかもしれない。
「夕陽を見に行くだけだ。一緒に来てもつまらんぜ」
ジョーは角を右に曲がる。
運転席側の窓を開けると急に潮の香りが満ちて来た。
そして、眼の前にはパノラマのように広がった夕焼けが見え始めていた。
「お、急がねぇとな!」
ジョーはアクセルを踏んだ。
結局ジュンと甚平もその潮の香りと空のパノラマに惹かれるかのようについて来た。
「ジョーがこんなにロマンティックな一面を持っているとは知らなかったわ……」
ジュンが呟いたが、ジョーは2人を無視して、1人で海岸線へと歩いて行った。
「ジョーの兄貴ィ!」
追おうとした甚平をジュンが肩を掴んで止めた。

どこまでも透明な水に何色かの朱を溶いたような美しい夕陽が眼の前に広がっていた。
ジョーは言葉を失って立ち尽くしていた。
此処は彼にとって特別な場所だった。
溜息を漏らす程の美しいパノラマがジョーの胸を打っていた。
いつ来ても此処だけは変わらない。
自分の内面が変わって行っても、いつでも変わらずに彼を迎えてくれる、そんな特別に気を許せる場所なのだ。
ジュンは甚平の肩を抱いてそっと踵(きびす)を返した。
ジョーを1人にしておいてやろう、と言う気持ちになったのだ。
ジョーは音もなく帰って行く2人の気配を感じ取っていたが、振り返りもしなかった。
この大自然が作る美しい芸術の前では、彼は『個』なのである。
時差こそあれど、地球全体に広がるこの美しい空の下では、誰もが小さい。
此処に来て泣いた事もある。
寂しさから来る涙、悔し涙、哀しみに暮れた涙……。
幼い頃から人前では泣かない子供だったが、この場所では素直になれた。
以前、健の前でつい涙を見せてしまったのも、それがこの場所だったからかもしれない。
此処にいる時だけは、心が洗われるような気がしていた。
彼が唯一心の洗濯に来る場所なのだ。
この場所で過ごすのは人生の中ではほんの僅かな一瞬に過ぎないが、自分の心が無垢になれる、ジョーはそんな事を実感していた。
沈み行く夕陽がジョーに向かって海上に美しい道を作っていた。
その上を歩いて行けそうな錯覚にさえ陥る。
ジョーの心は開けっぴろげになった。
開放された心から何かが迸った。
それが涙だったので、ジョーは自分でも少し驚いた。
止め処もなく流れて来るのだ。
ジュン達が帰った後で良かった……。
この涙の意味は何だろう?
ジョーは考えたが答えが見つからなかった。
潤んだ双眸が乾き切るまでジョーはそこに立ち尽くした。
気づいたら陽が沈み、辺りは薄暗くなっていた。
それまでの間、ジョーはずっとその場所に身じろぎもせずに立っていた。
彼は任務の中で自分の過去を思い出し、故郷のBC島に渡った。
そこで身も心も激しく傷ついて帰り、最近になって自分の身体に何かが起こり始めている事に気づき始めていた。
彼自身には説明の付かない涙だったが、この涙は恐らく自分の未来をそれとなく予感しての事だったのであろう。

やがて、ジョーは科学忍者隊と南部博士の前から突然姿を消した。
壮絶で悲劇的な最期を以って、仲間達から自分と言う存在を奪って行った。
彼自身、そんなに別れが早いとは思ってもいなかったのだ。
科学忍者隊の4人は時折此処に来て、ジョーを偲んだ。
生前のジョーがこの場所に遺した思いを、4人は今、とても良く解る気がした。



※059◆『海で見る夕焼け』
 152◆『潮騒』
 183◆『震える背中』
の場面に出て来る海とこの海は同じ海です。
時間軸としては、152→183→059→204(この話)となります。
但し152のラストシーンはこの204より後となります。




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