『悲壮な決意』

「昨日は散々湿原を走り回ったからな。綺麗に洗ってやるぜ」
ジョーはG−2号機の洗車をしようと思い、トレーラーハウスからホースで水を引いていた。
格納庫に置いておけばメカニックが洗車も手入れもしてくれるのだが、彼は出来る限りメカニックには任せない。
自分で整備も出来るだけの技能と知識も豊富だし、愛情を込めて洗車もワックスも掛ける。
それが彼の車に対する姿勢だった。
「お前には無理ばかりさせてるからな」
ジョーは労わるように柔らかなスポンジで丁寧に洗い始めた。
「いつまでこうしていられるだろうか…?」
ふとそんな言葉を呟く。
最近は富に体調が悪くなって来て、先日のバードミサイルと竜巻ファイターの失敗を健に咎められて身体を張った喧嘩までした。
その後、任務に赴いた健とジュンを、健に預けた自分のエアガンの中に入れた発信機で探知し、単身G−2号機で追い、ヘビーコブラを倒したのだった。
その時、不思議にも彼には異変が現われなかった。
(俺の身体は治ったのか…?)
自分1人で敵のメカ鉄獣を倒せたと言う思いは、彼に自信を取り戻させたが、その日の夜、またトレーラーハウスの中で激しい頭痛と眩暈の発作が起きた。
(やっぱり俺の身体は良くないのか……)
ジョーは苦しんだ。
このままでは科学忍者隊から外されてしまう日も近いだろう。
隠さなければ……!
そう強く思った。
そして、初めて自分の生命の終焉の日が来る事を意識した。
(まだ持ってくれ…。ギャラクターが滅びるその日まででいい……)
彼の願いはギリギリで叶う事になるのだが、その時は科学忍者隊としての任務からは外されていて、G−2号機を健に託す事になった。
もう別れの日までそれ程長くはなかったのだ。
まだ誰も知らない事だが、彼に残された時間はもう少なかった。
ジョーはある程度の覚悟を決めて、毎回惜別と感謝の念を送りながら丁寧にG−2号機を洗った。
時間を掛けてピッカピカに洗い上げた時、何を誤ったか、自分自身がホースの水を頭から被ってしまった。
「お前と同じでびしょ濡れになっちまったぜ」
ジョーはTシャツを脱いで水を絞ると、近くにあった樹に掛けた。
「お互いに水も滴る何とやら、だな?」
笑い乍ら、ジョーは丁寧にG−2号機の乾拭きを始めた。
自分の身体も髪もびしょ濡れのままだった。
どうせこの後、シャワーで汗を流すから構わない、と思っていたのだ。
乾拭きの後はワックス掛けだ。
これも彼は怠らなかった。
その時、突然後方に人の気配を感じ、ジョーはジーンズの太腿の隠しポケットに手を当てた。
「おいおい、ジョー。よせよ、俺だよ」
その声は健のものだった。
一番逢いたくない人間が訪ねて来たな、と正直な処、そう思った。
誰よりも逸早くジョーの不調に感づいた男だから、である。
「随分熱心に丁寧に手入れしているじゃないか。格納庫でやればいいのに」
格納庫で手入れをして、人前で頭痛や眩暈でも起こしては敵わない。
ジョーはそう思ったからこそこの場所で洗車していたのだ。
「何か用か?」
ぶっきらぼうに訊いた。
健が後ろからじっと彼を見つめている気配がした。
「お前がこの頃『スナックジュン』に来ないんで、皆心配しているんだぞ」
「別にレースが立て込んでるだけだぜ。
 今日だって明日のレースに備えて、昨日の汚れを落としてるだけだ」
「……だったらいいんだがな」
核心を突いて来ようとしているな、とジョーは身構えた。
もしかしたらまた殴り合いになるかもしれない、と覚悟もした。
「お前…。痩せたな。以前より骨っぽくなった。頬もこけた……」
健の言葉にジョーは一瞬ビクっと反応してしまった。
「しつこい奴は嫌いだと言ったろう?昨日の俺の働きを見なかったのか?」
ジョーはキツイ眼をして振り返った。
「見たさ。たっぷりとな」
「俺が痩せたように見えるのは、レースの為に減量しているからだ。
 今度のレースはレーサーの体重が鍵になる。それだけの事さ」
「本当か?」
健の眼がキラリと光った。
「G−2号機は減量出来ねぇからな。搭載物を減らす事は不可能だ。
 俺の体重を少しでも落とすしかねぇだろ?
 おめぇ、余計な心配をし過ぎだぞ。任務に差し支えない程度に抑えてる。
 それは昨日の事で解っただろうよ」
「確かにお前の昨日の働きは素晴らしかった。眼を瞠るものがあったよ。
 だが、俺は不安でならない。お前が話す気になったらいつでも聞いてやる」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。話す事なんか何もねぇさ」
ジョーはそう言って健を無視するかのように、ワックス掛けの作業を再開した。
「解ったよ……」
ついに健は根負けした。
「濡れたままでいると風邪を引くぜ。気をつけろよ」
そう言い残して、健は背中を向けた。

健が去ってから数分もしない内だった。
ワックス掛けの作業に疲れたジョーはG−2号機の中を手入れし始めていた。
これまでこの程度の作業で疲れた事は無かった。
彼は突然頭を抱えてシートに倒れ込んだ。
「あ…頭が割れそうだ……」
またあの、メスで刺されたような裂けるような痛みが彼の頭部を襲っていた。
その痛みは半端では無かった。
ジョーはダッシュボードから薬とミネラルウォーターを取り出した。
ピルケースには痛み止めが入っていた。
ミネラルウォーターは常に賞味期限をチェックして入れ替えてある。
ジョーはそれの蓋を開けるのにも難儀する程だった。
(くそぅ…。こんなんじゃ、今敵襲に遭ったら闘えねぇぜ……)
息を切らしながら、ミネラルウォーターを唇から零しながら苦しそうに喉に流し入れた。
漸く薬を飲み込んで荒々しく息をつく。
まだすぐには痛みは収まらないだろう。
ピルケースをダッシュボードに戻そうとして、落としてしまった。
手が震えている。
(俺の身体はどうなっちまったんだ。闘えなくなったら、俺には何も残らねぇっ!)
彼の焦りは募るばかりだった。
しかし、医者に診せるつもりは毛頭なかった。
南部博士に相談するなどもっての外だった。
彼にとっては、科学忍者隊から外される事イコール死を意味していた。
(そんな事になるなら、闘いの中で散ってみせる……!)
と彼は悲壮な決意を固めていたのである。
「け……健が、帰った後で…良かったぜ……」
息も絶え絶えにジョーは呟いた。
健に今の姿を見られていたら、と思うとゾッとする。
生命が幾つあっても足りないとさえ思う。
健は必ず南部博士に報告するに違いない。
友人としてだけではなく、科学忍者隊のリーダーとしてその責務を果たすだろう。
健は二重の意味でジョーを心配してくれている。
ジョーはその事を有難く思ってはいたが、素直にその思いを受け取る訳には行かなかったのであった。

痛みはなかなか引かなかった。
シートに凭れ、肩で息をした。
苦しみがなかなか去らない。
(このシートに座るのも後どれ位なんだろうか?)
ふと、不吉な予感がした。
G−2号機がピッとクラクションを鳴らした。
「悪い事は…考えるな、って言うんだろ?だがよ、俺の勘は…良く当たるん、だぜ……」
ジョーは息苦しい中、愛しい愛機に声を掛けた。
「俺はよ……。もっとおめぇと…走っていたかった、な……。
 おめぇと一緒に、散りたかったが…、俺はおめぇを…連れて、行く事は、出来ねぇ。
 ゴッドフェニックスが…機能しな、くなっちま、うからな。
 だから……毎日これが最後、かもしれないと思いながら、おめぇの整備、を…丁寧に…しているのさ」
ジョーは座り慣れたシートを優しくそっと撫でた。
「俺が…もしおめぇと…離れるような、事があっても…、おめぇと心だけは、一緒だぜ……。
 だから、その時は、俺の代わりに、俺の大切な仲間、科学忍者隊と一緒に…闘ってくれよな」
またクラクションが鳴った。
ジョーにはそれがG−2号機の承諾の答えに聞こえるのだった。
少し頭の痛みが和らいだ気がした。
「おめぇの癒し効果は、すげぇな……。落ち着いて来たら、残りの…ワックス掛けを、してやるから、な……」
息切れが止まらない。
こんな事がこれから頻繁に起こるのだろうか、と思うと胸が暗澹と重くなる。
しかし、彼は直感していた。
これは生命に関わる病気だ。それも自分は決して助かる事はあるまい、と。
闘う事に関しては諦める事を知らない彼だが、生命についてだけはどうしようもない。
これまで何度も死線を潜り抜けて来たが、今回は駄目だ、と言う悪い予感が胸から離れなかった。

ジョーは気分が落ち着くと、再びワックス掛けを再開し、トレーラーハウスに戻った。
シャワーを浴びないと気が済まなかったが、身体が余りにも疲弊しており、取り敢えずソファーに寝そべった。
汚れた身体でベッドに横たわりたくなかった。
大きく肩で息をしながら、少し身体を休めた。
そうしてから、漸く立ち上がり着替えの準備をして、シャワールームに向かう事にした。
洗車で掻いた汗や汚れ、ワックスも身体に付着している。
それらを綺麗さっぱり体調不良と共に洗い流したかった。
弱った身体を引き摺るようにシャワールームに入り、熱めの湯を浴びた。
鏡に映る自分の姿は確かに健が言ったように痩せ細って来ている。
だが、筋肉は落ちていない、と言う自負があった。
その為に鍛えているのだ。
闘う時にスタミナが切れないように、と自分の別の能力を引き出す事で落ちた体力を補おうとしていた。
そのストイックさには眼を瞠るものがある。
鍛え上げられた身体を手短に洗い上げ、荒々しくバスタオルで拭いて、ジョーは髪も乾かさずに枕の上に新しいタオルを敷いただけで横たわった。
ドライヤーで乾かす気力がもう無かった。
タオルドライをそこそこして、手で髪を撫で付けた。
後は朝起きてからで良い。
もうとにかく寝る事だ。
夕食は摂っていなかったが、ジョーは構わずにそのまま眠ってしまった。
またいつ発作が起きて否応なく目覚めさせられるか解らないからであった。
今は少しでも体力を温存し、来(きた)るべきギャラクターとの決戦に備えたい、ジョーはただそう考えていた。




inserted by FC2 system