『胸騒ぎ』

木々がさわさわと揺れていた。
まだ陽が落ちていない。
ジョーは森の中に停めたトレーラーハウスの近くにハンモックを吊ってその上にのんびりと寝そべり、惰眠を貪っていた。
風が爽やかに吹き抜けていて心地好かったので、Tシャツを脱いでいた。
逞しく鍛え上げられた胸と腹部の筋肉が呼吸に伴い上下していた。
汗が木漏れ陽に当たりキラキラと輝いている。
その肉体はギリシャの彫刻を見るかのような綺麗な線で出来上がっている。
彼は最近体調が悪くて夜は眠れない事が多く、日中から少し身体を鍛えてはハンモックで休息する、と言った事を繰り返していた。
体調が悪いからと言って寝込んでばかりいて、身体が少しでも鈍る事を彼は恐れた。
誰にも解らないような体力の衰えであっても、健なら見破るだろうと思った。
この処出動命令はなく、ハンモックは此処1週間程、この場所に吊るしっぱなしにしてあった。
周囲の木々に刺さったままになっている羽根手裏剣が、彼が1人で訓練をしていた事を物語っている。
使い込んだ感のあるサンドバックもいくつも並んで吊るされていた。
一部は破れている所もあり、ジョーが自分で縫ったらしい跡もあった。
布団針を使ったのだろう。
意外と器用に縫えていた。
彼の手先が器用である事はこう言った事にも役立っていた。
ジョーはこれを敵と見做して、パンチやキックを連続で繰り出す訓練に使っているのだ。
今は疲れ果てたように眠っているが、これでもしスクランブルが入ったら、彼はキリリとした瞳で任務に就くのだろう。
「ジョーの兄貴、大分疲れてるみたいだね…」
そっと訪ねて来た甚平が共にやって来たジュンに向かって呟いた。
2人は離れた場所にそれぞれの乗り物を置き、此処まで歩いて分け入って来たのだ。
道が無い訳ではない。
G−2号機は此処にある。
エンジン音をジョーに気付かせない為の心配りだったのだ。
音を聞けばすぐに2人の来訪に気付くジョーだ。
2人にはジョーがもし休んでいたら…、と言う気持ちがあった。
以前は毎日のように来ていた『スナックジュン』に、最近は滅多に現われなくなったジョーだが、たまに来るとその疲れがより深く見えた。
数日見掛けないでいると、却ってそれが強調されて見えるのだ。
「お姉ちゃん。差し入れ、どうしようか?」
甚平は手提げの編み籠の中にサンドウィッチを作って入れて来ていた。
「折角眠っているから、そっと置いて帰りましょう。
 ジョーを起こさないように気配を消して、ハンモックの傍に置くのよ」
「うん…。あんなに汗を掻いてるのに、外で寝ていて風邪を引かないかな?
 ジョーの兄貴、よっぽど激しい訓練をしたんだね……」
甚平はそろりそろりと1歩ずつハンモックに近づいたが、ジョーはいきなりガバッと跳ね起き、羽根手裏剣を手にしていた。
「何だ、甚平か……」
ジョーはやはり只者ではない。
闘いに明け暮れて来たこれまでの時間が、彼の身体を即座に反応させてしまうのだ。
「ごめんよ、ジョー。起こすつもりは無かったんだ……」
甚平がしょ気ている。
「気にすんなって。それよりどうした?何だ、ジュンもいるのか?」
ジョーは急いで置いてあったタオルで汗を拭き、Tシャツを着てからハンモックを降りた。
「気持ちがいいんで、つい転寝をしちまった。2人揃って、何か用か?」
「差し入れを持って来たのよ。この頃店に来ないから。健が多分此処だろうって」
「健の奴、良く解ったな……」
「ジョーがお篭りをするなら大体此処だって言ってたわよ。1人で黙々と訓練してるって」
「この処、博士の送迎もないしな。
 わざわざISOの訓練室を借りなくても、此処である程度は何とかなるからよ」
「夕食には軽いかもしれないけど、甚平が沢山サンドウィッチを作って来たから食べない?」
「そいつはありがてぇな。
 そろそろ食材が切れてるんで、今夜街に買物に出なければ、と思っていたんだ」
夕陽が沈み始めていた。
「あら、そろそろ帰って店を開ける準備をしないと」
「今日は夜の営業のみか?」
「そうなのよ。たまには私達だって休んで遊園地に行ったりして楽しんで来ないとね」
ジュンがウィンクをした。
「でも、俺に差し入れに来たんじゃ、甚平は休みにならねぇじゃねぇか?」
「遊園地に行く時にジョーの分も作って行ったのよ。
 クーラーボックスに入れておいたから、傷んだりしていない筈よ。安心して」
「ありがとよ」
「じゃあ、帰るわね。たまには店にもいらっしゃいよ。みんな毎日屯してるわ」
「そうだよ、ジョーの兄貴が来ないとつまんないよ。
 レースの話とかみんなとは違う話が聞けるしね」
「解った、解った……。近々行くよ。この籠を返さなけりゃならねぇしな」
「じゃあね」
ジュンが名残惜しそうな甚平の背中を押して、歩き去った。

ジョーは甚平の折角の心尽くしを有難く戴く事にし、トレーラーハウスに戻り、キッチンで手を洗った。
冷蔵庫から牛乳を取り出す。
ついでに中身をチェックすると、やはり食材が足りない。
「今日はこれを食べて済ますとして、明日は街に出て食材を買い入れて置かねぇとな…」
と思わず独り言を言っていた。
牛乳パックをテーブルに置いた時、また頭がクラっとした。
ジョーは急いでベッドへと移動し、横になって安静を保った。
(眼が回るようだ…。戦闘中にこんな症状が出たらエアガンも羽根手裏剣も使えやしねぇ…)
瞳は閉じているのに眼の前を激しく光が走るかのようだ。
身体が揺れているような気持ち悪さがあった。
吐き気が襲って来る。
そして、その次の瞬間ツキンと頭を刺すようなあの嫌な痛みが来る事を予感した。
(この頃、この症状が出る回数が確実に増えている……)
今のジョーには焦りしかなかった。
だからこそ、身体を鍛え、苛め抜く事でそれを弾き飛ばそうとしているのだ。
ジョーはふら付く身体を押してベッドから立ち上がり、薬を飲む為に冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
痛みが出ない内に先手を打っておこうと思ったのだ。
胃には何も入っていないが、今は甚平のサンドウィッチにはとても手が出ない。
胃薬も一緒に口の中に放り込んだ。
そして、再びベッドに戻って眩暈が収まるのを待った。
胸騒ぎが止まらない。
自分は近い内にこのまま死んでしまうのか?
まだ志半ばだ。
ギャラクターを倒さずして、病いに斃れる事だけは避けたい。
だが、医者に診せればどうなる事か……。
ジョーはそれを考える度に苦しんだ。
病院に行けば楽になれるかもしれない。
だが、科学忍者隊としてこの先生きて行く事は恐らく出来ないに違いない。
百歩譲って病気が治るものだとしても、肝心な決戦の時期に自分は戦列から離れなければならなくなる。
それだけは絶対に自分が許せなかった。
そんな事になる位なら例え病いに倒れようとも、自分は最期まで闘って死ぬ事を選ぶ。
彼の決意は固かった。

気分が落ち着いたら、折角だから甚平が作って持って来てくれた物を何としても腹に収めよう。
そして明日街に買い出しに出るついでに籠を返しに『スナックジュン』に寄ろう、と決めた。
体調がこれ以上悪化しない内に1度は顔を出しておいた方がいいだろう、と彼は思ったのだ。
それが『スナックジュン』に行く最後の日になろうとは、さすがの彼も思ってはいなかった。
ジュンの店に行った後、買い出しに出掛けた彼は、潜りの医者が開業したと言う噂を聞く事になる。
そして、1週間悪化する一方の症状に苦しみ、悩んだ末にその医者の門を叩くのだった。


※この話は、208◆『メガザイナー襲撃1週間前』の前日の話ですが、ちょっとしたアナザーストーリーとなっています。
208ではジュン達はずっとジョーと逢っていないと言う事で話が進んでいます。
後でこのような話を書く事を想定していませんので、仕方のない事です。(^_^;




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