『ジョーとジュン』

ジョーが花束を抱えて『スナックジュン』に現われる時は、大概レースに優勝した時だった。
今日も顔を隠してもまだ余りある大きな花束を持って彼は現われた。
「ジョー、おめでとう。訊かなくても結果が解るわ」
ジュンが拍手で迎えた。
店には彼女しか居なかった。
「珍しいな、誰もいねぇなんてよ」
「健と竜は珍しくツーリングに出掛けたわ。甚平は仕入れよ。
 自分で仕入れに行った方が料理のイメージが沸き易いんですって。
 尤もこの時間に戻らない処を見ると、少し寄り道をしていそうだけどね」
「そりゃあ、そうだろうな。作るのは甚平なんだからよ。
 それと遊びたい年頃だから、少しは大目に見てやれ。ほれ、飾っとけよ」
ジョーはジュンに無造作に花束を渡した。
いつも、優勝した時にサーキットで貰った花束を此処に置いて行くのだ。
「ジョーに貰った花を飾るとね。女性のお客さんが綺麗だわって言って喜ぶのよ。
 どこで買って来たのかって良く聞かれるわ」
「へぇ…。で、何て答えてるんだよ?」
ジョーはカウンターのスツールに長い脚で跨った。
「勿論、そのままよ。お客さんがくれたの、ってね」
「俺がこんなに大きな花束を貰っても、トレーラーには飾れねぇからな。
 丁度お誂え向きの場所があって、俺も有難いぜ。
 捨てるには忍びねぇからな…」
「あら、女性に差し上げればいいんじゃなくて?コーヒーにする?」
ジュンは注文を訊くついでにさり気ない質問をしていた。
「ああ。エスプレッソがいい」
「解ったわ…」
ジュンは準備を始めた。
「で?何で女にやるんだ?俺にそんな相手が居るとでも思ってるのか?」
「あら、『思っていた』んだけど。……居ないの?嘘でしょ?
 ジョーがモテるのを知っているのよ」
「確かに周りに女の子は多いがよ。今はそんな事に現を抜かしてる時じゃねぇ。
 俺には今、2つの事しか頭にねぇからな……」
「ギャラクターと車?」
「そう言う事だ…」
「でも、ジョーが恋をしたら、きっと女性心理が良く解って優しく紳士的に接してくれるんでしょうね」
「そうかな?案外喧嘩ばかりかもしれねぇぜ」
「でも、その喧嘩にも愛が篭ってる。そんな気がするのよね…」
「何だい、そりゃ?」
話している間にも良い香りが漂って来る。
その心地好い香りに鼻を擽られながら、ジョーは小脇に抱えていた母国語の新聞を広げた。
「はい、お待たせ」
ジュンはソーサーを両手で持ち、丁寧にエスプレッソをジョーの前に置くと、ジョーから渡された花束を開き始めた。
「ああ、良い香り…」
うっとりと顔を埋(うず)める。
「そうやっている処を見ると、ジュンも女の子なんだな、って思うぜ。
 普段から男勝りな部分しか見てねぇからな……。
 そんな部分をチラチラと健にも見せてやれ」
「あら、やだ、ジョーったら……」
ジュンが赤くなった。
「今更赤くなってもしょうがねぇだろ?」
ジョーはジュンをチラッと見て、エスプレッソを一口含み、また新聞へと眼を戻した。
10年も離れているとは言え、やはり故郷のニュースは気になるのだろう。
丹念に所謂三面記事を読んでいたジョーだが、ジュンにはどんな記事を読んでいるのかまでは解らなかった。
「それからな。男の胃袋を掴む事から始めろって良く言うぜ。
 甚平に料理を習って、健の胃袋をがっしり掴んぢまえ」
「胃袋?」
「そうだ。料理上手な女の子なら男の方から結婚を望んで来るさ。
 今のおめぇでは望めねぇ事だがな。
 努力している処を健に見せてやれば、あのトンチキ野郎も少しは何か感じるかもしれねぇぜ」
「それは無いんじゃないかしら?
 ほら、バレンタインに苦労をしてチョコレートを作って上げたけど…」
ジュンは皆まで言わなかったが、何を言いたいかはジョーには良く解る。
「……だな」
認めるしか無かった。
何故だ?何故あいつはあんなにトンチキなんだ?
ジョーは頭を抱えたくなって来た。
「あいつ……。わざと演じているのかと俺は疑っていたんだが、どうやら真性のトンチキらしいぜ。
 おめぇは他の男を好きになった方が幸せになれるんじゃねぇかと思う事もある。
 だが、『健じゃなきゃ』、駄目なんだろ?」
語尾がジョーにしては凄く優しかった。
ジョーの真っ直ぐな瞳で見つめられたジュンは自分でも訳が解らなかったが、突然涙をポロリと零した。
「お前がこんなに思ってるって言うのに、あの野郎……。
 俺は最近腹が立ってしょうがねぇんだ。
 だが、外野が何を言っても仕方がねぇ。
 おめぇ自身が健の心を握る事が肝要だ」
「そうよね…。ジョーったら、私の事を本当に心配してくれてるのね」
「外部との恋愛は俺達には問題があるかもしれねぇが、おめぇ達は内部での事だ。
 何の障害もねぇ筈なんだ…。だから、余計にイライラするのさ。
 任務の為に…って事はねぇ訳だろ?
 健の辞書には『恋』と言う文字が欠落しているのかもしれねぇ」
ジョーは呆れ顔になって、もう1度エスプレッソを口に含んだ。
また良い香りが漂った。
イタリア人はコーヒーを好んで良く飲む。
ジョーも小さい頃から家庭で習慣的に飲んで来た。
たまにオレンジジュースを注文する事もあったが、それはほんの気紛れで、大概の場合、彼はコーヒーを注文するのだった。
トレーラーハウスにも道具は揃っている。
自分でコーヒーミルを使って豆を挽く事もあった。
「ジョーの辞書には『恋』の文字があるのね」
「勿論あるさ。いつかギャラクターを倒したら俺の心にぽっかりと空いたその穴に『恋』と言う文字が入るのかもしれねぇな」
「今はまだ考えられない、って言うだけなのね。ジョーも普通の少年でホッとしたわ」
「俺が普通じゃないって?」
「大人びている。健よりもずっと。同じ年とは思えなくてよ」
「そうかね?互いに両親を亡くしてはいるが、あいつの親父さんは正義の為に死んだ。
 俺の両親は……」
カウンターの上で組んだジョーの手が震えた。
「ジョー、ごめんなさい。そんな事を言わせるつもりで言ったんじゃないのよ」
ジュンが慌てた。
「いいんだ…。俺が勝手に思い起こしただけさ。気にする事はねぇよ」
ジョーは残りのコーヒーを冷めない程度の時間を掛けてじっくりと味わって飲んだ。
「やっぱり此処の豆はいいな。旨かったぜ」
ジョーは尻ポケットから財布を取り出した。
「あら、もう帰るの?」
「ああ、これから博士を迎えに行かなければならねぇんだ」
「まあ。休暇だって言うのに大変ねぇ…」
「別に構わねぇさ。休暇だろうが何だろうが、ギャラクターが出る時は出るんだしな。
 休暇なんてあっても無いようなものさ。
 無事にレースに出られて優勝出来ただけでも俺は充分今日と言う日に満足してるんだぜ」
「それは良かったわ……。花束有難うね。
 みんなで祝勝会をしたかったけど、出来なかったから、エスプレッソの代金は私の奢りでいいわ」
「構わねぇって。毎回祝勝会をして貰ってたんじゃ、レースの帰りに来れなくなるだろ?
 ほれ、受け取れって!どうしてもって言うならその分で誰かさんのツケを引いてやれ」
ジョーはニヤリと笑うとジュンの手に代金の小銭を押し付けるようにして渡し、再び新聞を小脇に抱えて出て行くのだった。
ジュンはジョーの手の温かさを噛み締めるかのように改めて小銭を握り締めてその感触を確認した。




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