『博士の心の機微』

三日月珊瑚礁の基地には特別訓練ルームがある。
ジョーは今日もそこにいた。
バードスタイルには変身していない。
博士の護衛兼運転手をする時には彼は生身だ。
出来るだけ生身でバードスタイルに相当する働きを出来るようにしておきたかった。
彼は博士には恩義を感じている。
幼い頃に重傷を負った彼を助け、引き取って養育してくれたのは南部博士だった。
時には反抗する事もあったが、博士は穏やかに受け止めてくれた。
博士が彼に厳しく対処するようになったのは科学忍者隊として組織されてからだ。
でも、それは当然の事だ、とジョーは思っている。
南部博士は科学忍者隊の司令官として地球の運命を握っていると言っても過言ではない。
そのような立場にある者が、養子ではなく科学忍者隊となったジョーにこれまでと同じ態度で接して来る事は出来ない事は良く解っているつもりだ。
その立場を離れた時、博士は以前のような表情をジョーに見せる事もあったが、任務繁多でなかなかそう言った機会は減って来ていた。
ジョーはそれでも構わないと思ったし、当然の事だと考えた。

彼がこの訓練ルームに1人で来る時は、大概任務で大怪我を負い、一時期科学忍者隊の任務から離れていた時だ。
自分の戦闘能力が鈍る事を異常な程に恐れる彼はストイックなまでに自分を鍛え上げ、更に何かを見つけて強くなる。
そんなジョーを南部博士は暖かい眼で見ていながらも、危機感も感じていた。
いつの間にか忙しい合間を縫ってコントロールルームから黙々と羽根手裏剣やエアガンを繰り出し、自動攻撃プログラムと格闘しているジョーを眺めていた南部は、これで良かったのか?とジョーの亡くなった両親に問い掛けたい気分だった。
ギャラクターから逃げ出そうとして殺された彼の両親。
愛する息子がギャラクターと関わっている事を快く思っていないかもしれない、と南部は思っていた。
彼の類稀なる身体能力を見い出して科学忍者隊にしたのは他でもない南部だった。
だが、その事でジョーは追い詰められているのではないか、とふと思う事があったのだ。
ジョーは自分の両親がギャラクターだった事はまだ思い出してはいないようだ。
その事を知ったら、どれだけ自分の身体に流れている血を憎むだろう、そう思うとジョーには穏やかな生活をさせてやるべきだったのではないか、と言う思いが込み上げて来るのだ。
南部はジョーに対して司令官として厳しく接していたが、任務を離れた時は科学忍者隊のメンバーを父親のような気持ちで見守っていた。
彼には妻子は居ないが、まだ10代の子供達を闘いの場に駆り立てている事に重い責任を感じていた。
科学忍者隊に若者を起用したのは、10代の敏捷さが必要だったからであるが、まだ遊びたい盛りの若者を闘いの中に放り込み、苦しい任務を強いている事に後ろめたさがない訳ではなかった。
そしてISOの会議場でいつも科学忍者隊ばかりに過剰な期待を掛ける面々にも嫌気が差していた。
今、驚くべきスピードで力強く跳躍し、15メートルの高所にあるレーザー光線の砲台を直接長い足で蹴って破壊し、ひらりと華麗に着地したジョーを見つめながら、南部はその両拳を握り締めた。
若い彼らの明るい未来まで奪う事にならぬよう、自分はいつでも冷静に彼らを掌握し、導かなければならない、と改めて決意を新たにする。
ジョーの両親がどう思っているのかは今となっては解らない。
だが、ジョーは科学忍者隊に入らずとも、1人で放浪の旅に出て、ギャラクターと闘っていたに違いない。
それは南部にも確信出来たし、ジョー自身もいつしかそう言っていた事がある。
科学忍者隊と言うギャラクターと闘える場を自分に用意してくれた事を感謝している、と彼は言った。

ジョーがプログラムを終え、タオルで汗を拭きながらコントロールルームに上がって来て、そこに南部がいるのを見て驚いた。
「あ、博士。すみません。もうISOに行く時間でしたか?」
「いや…。君の訓練振りに見とれていただけだ」
「まさか。忙しいのに」
「何が君をそこまでストイックに駆り立てるのかと思ってね。
 これでも感心しているのだ。
 もうすっかり復調しているようだな」
「ええ、問題なく闘えますよ。自分で自信を持ってそう言えます」
「ISOに行くのは1時間後だ。シャワーを浴びて休んでいたまえ」
「はい、そうします」
ジョーは行き掛けたが南部が呼び止めた。
「喫茶室のコーヒー券だ」
と小さなチケットを渡してくれた。
「あ、有難うございます。博士でもチケットを買われるんですね」
ジョーが妙に感心していた。
「どうしてだね?」
「博士なら顔パスかと思っていました」
ふっ、と南部が顔を綻ばせた。
「私は確かにこの基地を統括しているが、特別扱いをさせるつもりはない」
「すみません、余計な事でした」
「構わんよ。早く汗を流して来なさい。ご苦労だったな、ジョー」
博士はそう告げて自分が先にコントロールルームを出て行った。
ジョーはそれを見送りながら、何か父親のような温もりを感じていた。
(博士は父親のように俺達を見守っていてくれる。
 時には科学忍者隊を大きな背中で守ってくれる……。
 俺達はその背中に応えなければ……)
南部の葛藤とジョーの思いは一見擦れ違っているかのように見えるが、実は根底は同じだった。
南部博士が科学忍者隊を実の子供達のように愛していると同時に、科学忍者隊は博士を父親のように慕っていた。
だから時には反発する事もある。
親子のように気を許しているからこそ、出来る『反発』もあるのだ。
その事を知った上で、博士は科学忍者隊を丸ごと包み込んでくれている。
ジョーはそんな感想を持った。

シャワールームで汗を流すジョーの細く引き締まった逞しい身体には、無数の傷があった。
その傷1つ1つに南部が責任を感じ、彼の両親に詫びているとはさすがのジョーも気付く筈もなかった。
治療により傷は薄くなっていたが、それだけ彼が壮絶な闘いをして来たのだと言う事を思い起こさせるには充分だった。
彼の身体の傷の数だけ、南部はBC島に眠るジュゼッペ&カテリーナ浅倉夫妻に向けて念を送っていたのだ。
ジョーにしてみれば、両親が南部博士に感謝していない筈がなかった。
息子の生命を救い、生きる道を与えてくれたのだ。
自分は単独でもギャラクターに立ち向かっていた筈だ。
それならば仲間が居てくれた方がいい。
ジョーは時折後悔の念らしき影を見せる博士にいつかそう言おうと思っていた。
南部がそんな顔を見せるのは決まって送迎の車の中のミラー越しだった。
恐らくは健達仲間は気付いていないだろう。
敢えてそれを仲間達に伝える気持ちはジョーには無かった。
南部博士にはいつでも指揮官としての威厳が必要だからだ。
いつも身辺にいる事が多いジョーに、こう言った心の機微を見抜かれていようとは、さすがの頭脳明晰で博識な博士でも気付いてはいなかった。
気付かぬ内にジョーの養育者だった時代の顔を見せてしまっている事にも。
ジョーはシャンプーを終えた後、ボディーソープで丁寧に身体を洗い、バスタオルで手早く身体を拭いた。
思い掛けずシャワーに時間を喰ってしまったのは、そんな考え事をしていたせいだろう。
喫茶室に行く時間はなさそうだ。
南部博士から貰ったコーヒー券は大切にしまって置こう、と彼は思った。




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