『追悼のクラクション』

その日は雨になった。
予定していたレースは中止となった。
先日練習中に事故死したサーキット仲間の追悼レースだったのに。
ジョーは前日からトレーラーハウスで乗り込んでいたが、重い雨空を見て、深く溜息をついた。
「追悼なんかしなくていいって事かい?マリーン……」
ジョーは呟いた。
事故で壮絶な死を遂げたのはマリーンと言う女性レーサーだった。
まだ18歳だった。
ジョーと同年だったのだ。
飾らない性格でサーキットのアイドルだった。
正直な処、ジョーも自分の取り巻きのケバケバしい女性達よりもマリーンに興味を持った。
同じレーサーで趣味も合う。
ヘルメットを取ると長い金髪がさらりと落ちて、化粧っ気のない白く木目細やかな肌と澄んだ瞳、そして薄ピンク色の優しげな唇が印象的な女の子だった。
だが、話をする機会は殆ど無かった。
初めて話をしたのが、こんな雨の日のレストランだった。
レースが中止となり、サーキット場内のレストランにいたジョーに、マリーンの方から声を掛けて来たのだった。
「あなたが史上最年少で優勝を飾ったと言うジョーね」
「君はサーキットのアイドル、マリーンだろ?」
「ご一緒させて貰っていもいい?」
「構わねぇよ。髪が濡れてるじゃねぇか?」
「マシントラブルで避難が少し遅れたの」
ジョーがタオルを放ってやった。
「あら?お借りしてもいいの?」
「いいさ、やるよ。返さなくていい」
「有難う」
やって来たウェイターに、マリーンは髪を丁寧に拭きながら「彼と同じ物を」と注文した。
ジョーが飲んでいたのはエスプレッソだ。
2人は羨望の眼差しで周囲から見られている事に気付かなかった。
同い年同士、モデルのように背が高いマリーンとスタイリッシュなレーシングスーツ姿のジョーが並ぶと、本当に絵になった。
「女だてらにレーサーとは、随分お転婆な処があるんだな」
「父親の影響かしら?…父も、レーサーだったの」
マリーンの瞳が曇った。
「俺、訊いちゃならねぇ事を訊いたみてぇだな」
「いいのよ。父はこのサーキットで事故って亡くなったわ。
 私、小さい頃から此処で父を見ていたから、自分もレーサーになるって決めてたの。
 だから、早い内からあなたの存在は知っていたわ。
 同い年なんですってね。私も18よ」
「ふ〜ん。随分大人びてるな」
「それはあなたにも言える事じゃない。二十歳ぐらいには見えるわよ。
 落ち着いているわ。18とは思えない位、堂々として、自分を曲げない信念が見える。
 あなたには1本筋が通っている感じがするわ」
エスプレッソが来たので、彼女は言葉を区切った。
「女の子が同年の男の子よりも大人びているのは普通の事よ。
 でも、あなたは年上のように見える。どっしりと信念を貫く強さが見えるわ」
「褒め過ぎじゃねぇのか?」
ジョーは笑った。
「……雨が上がったな。でも、今日のレースの再開はねぇだろう」
「良かったら、一緒に走らない?」
「いいさ」
マリーンの愛車は真っ赤な派手な車だった。
「父の予備車を塗装し直したの。真っ赤に燃える赤にね」
「同じ道を進む事を親父さんが心配しているとは思わなかったのかい?お嬢さん」
「喜んでくれていると信じたいわ。母は心配しているけれど」
「そりゃあそうだろう?」
「ジョーのご両親は?」
「……10年前に俺の眼の前で殺された……」
「………………………………………」
マリーンは二の句が告げなくなった。
「いいから、走ろうぜ。
 陽が出て来たが、まだ路面はスリップするだろう。
 充分気をつけろよ」
「勿論、解っているわ!」

そんな事があって、何度か一緒に走ったマリーンが、突然事故でこの世を去ってしまった。
その日はジョーは任務でサーキットには来ていなかったが、練習中のちょっとしたミスで赤いマシンは大破し、マリーンは見分けが付かない程変わり果ててしまったと言う。
父親が事故死したコーナーと全く同じ場所だったそうだ。
それを見なかった事は幸せだったかもしれない。
まだ恋は芽生えていなかったが、マリーンは少しジョーに気がある素振りを見せ始めていた時期だった。
深く関わっていたら、ジョーにも感傷どころではない心の傷が残ったに違いない。
任務が無ければ、ジョーも彼女に振り向いたかもしれなかった。
「マリーン。お袋さんが泣いているだろうに…。
 この雨はあの日の雨のようだな。
 おめぇの涙か、それともお袋さんの涙か……?」
エスプレッソを舐めるように味わいながら、ジョーは雨脚が強く窓を叩く様子を見ていた。
その向こうには雨に煙るサーキットが薄っすらと見えている。
彼はあの日と同じ席には座らなかった。
窓際の横1列に並んでいる席にある高いスツールに長い足で跨っていた。
「ジョー……」
声がする前から誰が来たのか解っていた。
いつもジョーの事を可愛がってくれているフランツだ。
「マリーンは可哀想な事をしたな。お前とはお似合いのカップルになりそうだったのに…」
「それはどうか解らねぇ。でも、彼女が死んだ事を悼む気持ちはある」
ジョーはまた雨を見やった。
哀しみの雨がサーキットを叩いていた。
「追悼レースは中止だそうだ。延期はない」
隣にフランツが座った。
「マリーンが追悼なんてしなくていい、と言っている気がする……」
ジョーが呟いた。
「成る程ね。そう言う考え方も出来るな」
「お袋さんが気の毒だぜ」
「かなり悲観しているそうだ。彼女は1人っ子だったそうでね」
フランツはなかなかの情報通だ。
「夫と娘が同じ死に方をしたんじゃそりゃあ遣り切れないでしょうよ」
雨脚が弱まって来て、晴れ間が見えて来た。
「俺、サーキットを1周して帰ります。彼女の追悼にはそれだけで充分だ」
「そうか。では、また次のレースで逢おう」
フランツが差し出して来た右手をジョーも握り返して、別れた。

サーキットはまだ薄っすらと雨に煙っていて、誰もコースには出ていなかった。
だが、ジョーは走った。
(マリーン。あの世で親父さんと逢っているか?
 お袋さんを残してしまって、気掛かりじゃねぇのか?)
アクセルを踏んで、まだ雨が跳ね返るコースをひたすら走った。
雨が跳ね返って出来た虹の中にマリーンの笑顔が映ったような気がした。
『ふふふ、追悼レースはあなただけで良かった。だから雨を降らせたの』
幻聴かと思ったが、ジョーの胸には間違いなくマリーンの声が響いた。
『あなたの事が好きだった……』
ジョーは急ブレーキを踏んだ。
(マリーン……)
自分も好意を持っていたのは事実だ。
科学忍者隊として外部との恋愛が出来ない事が解っているから、当たり障り無く接して来た。
「馬鹿野郎!死んぢまったら何も出来ねぇじゃねぇか?」
ジョーはハンドルを叩いた。
クラクションの部分を叩いてしまったようで、ビーっと長い音が鳴り続けた。
追悼のクラクションだ。
自分の頬に涙が伝っている事に彼は驚いた。
(俺も…マリーンの事が好きだったのか……)
淡い恋にすら育たなかった。
サーキットの外に居る車達が一斉にクラクションを鳴らし始めた。
ジョーに倣ったのだ。
マリーンは皆から愛されていたんだな、とジョーは改めて思った。




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