『葛藤』

眠い。身体が重い…。
夜更かしのジョーだったが、今日は何故かそう思った。
任務で疲れたのか?
いや、違う……。
これは精神的痛手だろう、とジョーは思った。
トレーラーハウスに戻ると、ベッドにそのまま横たわった。
まだアランを射殺した事を引き摺っている自分が居る事を認めたくはないと言う気持ちが強かった。
自分が弱い人間だと言う事を仲間達には晒したくなかったし、自分自身が一番赦せなかった。
仲間達の前では普通に振舞っているつもりだったが、恐らくは敏感なリーダー、健には解ってしまっているに違いない。
恋愛沙汰には疎い癖に妙な処、勘が働くのだ。
ジョーは傷ついていた。
身体の傷は癒えても、心はズタズタに切り裂かれて今もドクドクと血を流していた。
あの時、咄嗟に戦士の五体が反応してしまった。
アランの銃には弾丸が込められていなかったと言うのに!
アランはその事を知っていたのだろう。
(知っていて俺に撃たせたのか…?)
だとしたらそれに気付かなかったのは、自分の一生の不覚だ。
悔やんでも悔やみ切れない。
ジョーは血が出る程に唇を噛んだ。
(復讐に燃える俺の心の炎を消そうとしたのか?
 自分の生命を賭けて俺を試そうとしたのか……?)
意識が朦朧して、引いては寄せる波のように行ったり来たりしている時だった。
ジョーは判断力に欠けていたのだろう。
自分が正常な状態だったら?
彼は考えた。
あの場で冷静にアランの心を読む事が出来ただろうか……。
闘いの日々に慣らされてしまっているこの身体がやはり勝手に反応したかもしれない。
健を、いや、『コンドルのジョー』を撃とうとしたアランを自分はどう見たのだろうか。
『たられば』は無い事は解っている。
過ぎた事は元には戻せない。
喪われた生命は自分の両親と同様に、決してもう戻っては来ない。
(俺は任務の為だったとは言え、アランの婚約者を殺したばかりかあいつの生命まで奪った。
 何と言う運命の悪戯なのか……?)
運命の悪戯はジョーがこの世に生まれ落ちた時から始まっていたのかもしれない。
ギャラクターの大幹部である両親の元に生まれ、眼の前でその両親の生命を奪われた。
その壮絶な過去は彼には重過ぎた。
両親は自分に対して暖かい愛情を注いでくれたが、憎むべきギャラクターの子であったと知った時の彼の慟哭は計り知れないものがあった。
彼の心の在り処でもある特別なあの海で、健に涙を見せてしまったのも、自分としては不覚だと言うしかなかった。
ジョーは誰にも弱みを見せたくはなかった。
自分を大きく見せようとしているのではない。
彼は自分の心に殻を作ってしまうタイプだったのだ。
全ての痛みはその心に内包して押し隠して生きて来た。
だから、健の前で自分が心の殻から一歩踏み出してしまった事を、彼は恥じていた。
そして、ギャラクターの子だったと言う事実、アランとその婚約者を殺してしまったと言う事実から、自分は一生逃れられまい、と思った。
それが自分への神からの罰だと思ったし、甘んじてその苦しみを受けなければならない言う思いを噛み締めていた。

ベッドの上でいつしかそのままの姿勢で微睡(まどろ)み始めていた。
ドアをノックする音でハッと眼が醒めた。
いつもなら気配を感じる筈なのに、彼は感じなかった。
その事に驚くと同時に、戦士としての勘が鈍ってしまったのか、と一瞬思った。
だが、そのノックは健によるものだった。
健は気配を消して、中の様子を窺っていたに違いない。
「……何だ?健か?」
ジョーは自分を立て直すのに数秒の時間を要した。
そうして漸く返事をした。
「ああ。入ってもいいか?開いているんだろ?」
「いや、ちょっと待て。今、鍵を開ける」
ジョーはベッドから降り、鍵を開放し、ドアを開けた。
「珍しいな、お前が鍵を閉めているだなんて」
「そうだな。無意識に閉めちまったみてぇだ…。
 何か飲むか?夜だからコーヒーじゃねぇ方がいいだろう」
彼は見事にそれまでの憂いを隠した。
「少し元気がないんじゃないかと思っていたんだが、意外と大丈夫そうで安心したよ」
健はジョーに勧められるまま、丸椅子に跨った。
騙し切れたか、とジョーは一瞬ホッとした。
だが、まだ解らない。
健はそう言う心理戦に強い部分を持ち合わせていた。
ポロリと本心が零れてしまわないように、ジョーは自分の心を充分に引き締めると、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、サイドボードからグラスを2個摘み出してそれに注いだ。
健は決してジョーの心の傷跡を抉りに来たのではない。
仲間として、幼い頃から一緒にいた友として、幼友達をあのような形で死なせてしまったジョーの事を憂えていた。
彼は重傷を負っていたジョーを庇おうとしたとは言え、自分が『コンドルのジョー』だと嘘の告白をした為にこう言う事態を引き起こしてしまったと言う責任感を背負っていた。
自分のせいでジョーをこれ程苦しめる結果になったのではないか、と……。
ジョーがそんな風に思ってはいない事を彼は知ってはいたが、そう言う思いはいつまで経っても拭い去れなかった。
そんな健の思いを察したのか、ジョーがオレンジジュースを差し出しながら言った。
「健、おめぇは勝手に自分のせいで俺がアランを殺したと思っているみてぇだが、それは思い上がりってもんだぜ。
 俺は自分が狙われたとしてもきっとああしたに違いねぇ。
 あの時、身体が勝手に反応したんだ。
 戦士としての俺が自分にそうさせた。
 だから断じておめぇのせいじゃねぇ」
健はジョーが自分から自らを苦しめるような内容の話をして来るとは思ってもいなかったので、思わず眼を瞠った。
ジョーはこんな話に持ち込みたくなかったに違いない。
自分の為に言っているのだと言う事が痛い程解った。
冷たいようでいて、一番仲間思いなのは彼なのだと言う事を健は知っていた。
直前まで苦しんでいたのに、ジョーはその苦しみを隠し、健を罪悪感から解放しようとしている。
健はジョーの事を慰めに来たつもりだったのに、逆手を取られたと思った。
そして、ジョーにすっかり騙された。

健が帰った後、ジョーは急激な脱力感に見舞われて、いつもならすぐに洗って片付けるグラスもそのままにベッドに腰掛けた。
弱い…。
そして脆い……。
健の前では目一杯の虚勢を張った。
自分が放った弾丸に斃れたアランを前に叫んだ言葉は嘘ではなかった。
アランは死んで、今、自分は生きている。
これからの生き方でアランに対する落とし前を着けなければならない、とジョーは思った。
だが、どうしたら良いのか、まだ答えが出ていなかった。
自分が復讐に生きる、その生き方は彼には変えようがなかったからだ。
飽くまでもギャラクターを滅ぼして本懐を遂げる事、それが彼の生きて行く道標であり、それ以外の生き方を今更出来る筈もなかった。
アランが自分に対して説こうとした『復讐の愚かさ』。
それは解らなくはなかったが、ジョーにとってはそれよりも復讐心の方が勝ってしまうのだ。
これだけはどうしようも無かった。
ギャラクターへの復讐が済んでから、アランに対する落とし前のつけ方を考えよう、ジョーはそう思った。
まさか、その時間が自分に残されていないとはこの時夢にも思ってはいない。
ただ、本懐を遂げない事にはその方法を考え付く事はないだろう、とそんな思いだった。
(アラン、済まねぇ…。俺はこんな生き方しか出来ねぇ不器用な男なんだ)
ジョーはベッドの上で両手を組み、瞑目した。
(俺にはおめぇに『安らかに』と願う資格すらねぇ。
 でも、そう祈らずにはいられねぇんだ……)
彼は枕の下に隠し持っていたアランが身に着けていた十字架のペンダントを手に取った。
これは手術が終わって麻酔から醒めた時に健がそっと握らせてくれたものだった。
ジョーはそのペンダントをぎゅっと握り締めた。
溢れる思いが涙となって頬を伝った。
そしてそれがペンダントの上にぽたりと落ちた。
「俺はどうせ地獄にしか行けねぇのさ。それでいいと思っている……」
思わず十字架に向かって呟いていた。
(俺の落とし前は、死ぬ時になってやっと着ける事が出来るのかもしれねぇな…)
せめてアランに恥じない生き方をしなければ。
自分はアランの生命を奪った償いをする道を見つけなければならない、とジョーは自身の心に取り外せない重い枷を付けた。
そして、全てはギャラクターへの復讐が済んでからの事。
そう決めてこの一件に片を付けようと思った。
ジョーはベッドから降りて、シャワールームへ移動した。
あの日からのいろいろな思いを、一旦水に流してしまおう。
着替えやバスタオルを用意すると、何かをかなぐり捨てるかのような動作でストンと服を脱ぎ捨て、ランドリーバスケットに放り込んだ。
心の澱を全て洗い流してしまえばいい。
明日からまた任務の為だけに生きる。
余計な事を考えるのは、もっと後でいい。
ジョーはそうしてついに自分の心の葛藤に決着を着けるのだった。


※この話は183◆『震える背中』の内容を踏まえたものになっています。
 健の前で涙を見せてしまったのはこの話の中の出来事です。




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