『空』

西の空に陽が沈み始める頃、ジョーはサーキットで帰り支度をしていた。
思いっ切り走った後の心地好い疲れが彼を支配していた。
夕陽が余りにも美しく、空のキャンバスに浮かび上がる、水に微妙に違う何色ものオレンジ色が幾重にも溶かれたようなそのグラデーションに彼は強く惹かれた。
自然が作り出す美しさには何も敵わない。
『巨匠』と呼ばれるような人間が作ったどんなに美しい芸術作品よりも、自然は遥かに美しいものだ、とジョーはふと感慨に耽った。
絶対に勝てる筈がない。
この自然の美しさは誰が作ったものでもない。
この地球と宇宙が作り出したものなのだ。
自然とは本当に不思議なものだとジョーは思った。
オレンジ色のグラデーションは段々と水に溶け出すように広がって行き、それから少しずつその色を褪めさせて行く。
そしてやがては夜の帳が下りて来る。
今日は任務もなかったので、思いっきりサーキットで飛ばす事が出来、彼にとっては爽快な1日だった。
その1日の最後に自然が織り成すこんなに美しい夕陽を拝めるとは、今日はラッキーな日だ、とジョーは思った。
この静寂を破るギャラクターの事をより一層許せないと思ったし、絶対にこの世にのさばらせてはならない、といつも以上にその気持ちを強めるのだった。
「ジョー」
気配で誰だか解ったが、振り向くと案の定フランツが立っていた。
「お、まだいたのか?奥さんと子供達が待っているだろうに」
「いいや、今は妻の実家に帰っているから俺は単身者だ」
「へぇ……」
ジョーはTシャツの上から着ていたレース用のスーツを無造作に脱いだ。
コンドルのジョーのマントと同系色のスーツは彼にとても良く似合っている。
夜に溶け込むその色はジョーのスタイルの良さを際立たせていた。
Tシャツが汗で身体に貼り付いていた。
形の良い筋肉が浮かび上がっている。
そして手足が長い伸びやかな肢体。
「これだからなぁ…」
ジョーの全身を舐めるように眺めてフランツが言った。
「サーキットの外でお前目当ての女の子達が屯しているぞ」
フランツがニヤリと笑った。
こんなジョーの姿を間近で見ていると、女の子達の気持ちが解らないでもない、とフランツは思っていた。
だが、彼は彼女達がジョーの好みではない事も同時に知っていた。
「折角夕陽を楽しんでいたのに、あのケバい連中のキャーキャー言う姿を見たら台無しですよ」
ジョーはげんなりとした。
「じゃあ、付き合うからナイトレースでもして行くかい?
 その内諦めて帰るだろう…」
「いや、甘いな。あいつらは俺が出て行くまでは絶対にあそこから離れねぇ」
「まるでアイドルの追っ掛けだな?」
フランツが苦笑した。
「車の周りを囲まれるんで、下手に発進出来なくて本当に困ってるんだ」
ジョーが零した。
折角夕陽の織り成す美しいグラデーションを堪能したと言うのに、そんな事で気分を害されたくなかった。
「じゃあ、こうしよう。お前は俺の車で先に出て、俺がお前の車に乗って出る。
 後で落ち合って車を交換しよう…」
「………………………………………」
有難い提案なのだが、G−2号機を人に運転させるのはどうか、とジョーは悩んだ。
見た目は普通のストックカーだが、万が一その間にギャラクターが現われでもしたら?
「有難いけど、これからある人をこの車で送迎しなければならねぇんだ」
ジョーはフランツに済まないと思いながらも体良く断った。
「ジョーも忙しいなぁ。若いから出来る事だ」
フランツは拘りなく笑った。
「いや、それも仕事の内みたいなもんだ。……しょうがねぇ、奥の手を使うか…」
最後の言葉は小声になった。
「フランツ。俺の事は気にしないで先に帰ってくれ。
 俺は別の場所から脱出する」
「また道なき道を走るつもりだな?」
ニヤリと笑って訊くと、
「解った。じゃあ、また此処で逢おう」
フランツは後ろ手に手を振って先に帰って行った。
ジョーは周囲を見回し、人の気配がない事を確認すると、バードスタイルに変身した。
勿論G−2号機もフォーミュラカー状に変化する。
これでサーキットを飛び出せば、誰もジョーとは気付くまい。
(へへ、いつまでも待っているがいいさ)
ジョーはニヤリと笑った。

サーキットを出て暫く走ると、ジョーは海へと出た。
そこでまた辺りの気配を探って、元の姿に戻った。
まだ夕陽は沈み切っていなかった。
「明日は晴れだな……」
自然の美しさに圧倒されて呆然と眺めながら、ジョーは思わず呟いていた。
オレンジ色はやがて収束し、薄い蒼や紫色が混じり始め、そしてやがてはそれが逆転する。
その瞬間を迎えるのをジョーはじっと見詰めていた。
空はコバルトブルーへと変化した。
自分は1人で此処まで育って来たのではない。
周りの人間もそうだが、この地球の豊かな自然にも育まれて来たのだと思う。
当たり前の事のように思っていたが、それを脅(おびや)かす存在が在る限り、その事は決して『当たり前』ではない。
たった1つの掛け替えのない地球を守る為に、自分はどんなに辛い任務でもこなし、そしてギャラクターに復讐するんだ。
ジョーは改めて決意を新たにした。
彼は夜の帳が下りて、星空が瞬くようになるまでその場所を動かなかった。
(地球の大気汚染が進んでいるとは言え、ユートランドの星空は綺麗だなぁ…)
G−2号機の車体に寄り掛かって、随分長い間ジョーはじっとしていた。
夕陽の様々なグラデーションを観て、最後にこの降るような星空だ。
今日は空もくっきりとしていて、瞬く星が良く見えた。
流れ星が1つスッと動いた。
ジョーは自分の本懐が遂げられるようにと、すかさず祈りを捧げた。
本当に今日は彼にとって良い1日だった。
今日観た空に向かって、彼は心のシャッターを何度も切った。
ずっとこの風景を覚えていよう、と思った。
それ程までに彼の心の琴線に触れる今日のユートランドの空だった。
充分に天体ショーを堪能して、ジョーは急に空腹を覚えた。
「さて、ジュンの店にでも行くか」
独り言を言って、G−2号機に乗り込むジョーであった。




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