『マリーン』

「甚平。そんなに食い意地が張ってると将来竜みてぇになっちまうぞ」
ジョーのトレーラーハウスに泊まりに行く前、ジョーの奢りでサーキットのレストランに入った甚平はとにかく食べるのが早かった。
「ちゃんと噛んで味わって喰え。
 作った人間にも失礼だ」
「へぇ〜。ジョーの兄貴がそんな事を言うとは思わなかった。
 だって、いつも出動に備えておいら達は早喰いじゃんか」
「そりゃあそうだが、おめぇのは度が過ぎている」
ジョーが甚平の皿を見下ろして言った。
「小さい身体でよくもまあ…。俺の3倍は喰ってやがる。
 別に料金を気にしてるんじゃねぇが、腹は壊すなよ。
 トレーラーのトイレが詰まったら迷惑だからな」
「解ってるよ、ジョー……。それにおいら、育ち盛りだからね」
「育ち盛りでも俺はそんなに喰わなかったがな……」
「ジョーはどうやってそんなに背が伸びたのかと思って、博士にジョーが小さい頃何を食べていたのかって訊いたら、おんなじ事を言っていたよ。
 その……、遺伝だろう、ってさ」
最後の声が小さくなったのは、両親を眼の前で殺されたジョーに遠慮をしての事だろう。
「腹八分目って言うぜ。そんなに腹がぽっこりと膨らんぢまって、今出動があったらどうするんだ?」
ジョーは甚平の言葉を気にしない風で言った。
「ああ、そう言う事を気に掛けているからジョーはモデル体型なんだね。
 兄貴もそうだけど……」
「モデル体型だか何だか知らねぇが、そう言う事を普段から考えていなきゃ駄目だろうが?」
ジョーは拳を軽く甚平の頭に落とした。
「竜はあれで力自慢だから仕方がねぇと思っている。
 少しは痩せた方が将来の為にいいんだがな。
 だが、甚平はそれだけ細いんだ。
 いくら食べ盛りとは言え、見境なしに食い過ぎると肥満児になるぜ」
「それは……お姉ちゃんにも言われた……」
「まあ、いい。好きなだけ注文しろと言ったのは俺だ。
 今日の処はしっかり喰っときな」
ジョーは笑った。
「ああっ!おいらをからかったね。ジョー!」
2人の間に静かな笑いが巻き起こった。
「ジョー、弟分と食事かい?」
フランツの声がした。
その後ろにはマリーンがいた。
メットを外すと、するりと滑り落ちる長い金髪が光った。
顔立ちも整っていて色白の頗る美人なのだが、お高く止まる事もなく愛嬌があったので、サーキットのアイドルと呼ばれていた。
その美しさはジョーを取り囲むけばけばしい女達とは一線を画していた。
化粧っ気は無かったが、薄く自然なピンク色のルージュを引いていて、木目細かい美しい肌に映えていた。
「マ…マリーン……」
ジョーの声が上ずったのを甚平は聞き逃さなかった。
「ジョー、今日の走りも最高だったわ。良い刺激になった」
「そうかい?」
「ジョー、綺麗な女の人だね」
甚平がこそこそと話し掛けて来た。
どう言う関係なのかと訊いている事は解っていたが、ジョーはそれには答えなかった。
「フランツと一緒とは珍しいじゃねぇか」
「ええ。母の事でいろいろ相談に乗って貰ってるの」
「まだ反対されているのかい?」
「ええ……」
「お袋さんの気持ち、解らねぇではないぜ。
 夫と同じサーキットで娘まで喪いたくないって気持ちがな。
 それでも、レーサーを続けてぇのか?」
ジョーは優しくマリーンに訊いた。
「そうよ。その決意は揺らがないわ。
 此処に来ればあなたの走りも見られるし」
マリーンの言葉の裏にはジョーへの思慕があった。
敏感な甚平はそれを感じ取っていた。
そして、ジョーがマリーンを憎からず思っている事も、甚平は察知した。
でも、2人が距離を保っている事も解った。
「ジョー。今度いつ来るの?」
「仕事があって、約束は出来ねぇが…。3〜4日中に来たいとは思っている」
「その時、話したい事があるのだけど、いいかしら?」
「……?別に俺は構わねぇが?」
「じゃあ、毎日来て待っているから。あなたが来るのを」
マリーンは美しい横顔を見せて、そのまま背を向けた。
まさか、それがマリーンを見た最後になるとはジョーは思ってもいなかった。

3日後の午後。
パトロールを終えた後、ジョーはISO南部博士気付で電報を受け取った。
南部博士が基地まで持って来たのだ。
フランツからだった。
マリーンが事故死したとの短い報せだった。
丁度その時は任務で敵基地に潜入していた。
ジョーは震える手でその電文を握り潰した。
マリーンが彼に話そうとした事は何だったのだろう?
今となっては誰にも解らない。
淡い恋が生まれようとしていた時に、一方的にマリーンは姿を消してしまった。
ジョーが受けた衝撃は生半可なものではなかった。
任務からの流れで『スナックジュン』に全員が揃った。
ジョーは惰性で着いて来てしまったが、1人になれば良かった、と後悔した。
「この前、サーキットに連れて行って貰った時、凄く綺麗なお姉さんがいたんだ。
 スラリとした美人でジョーにすっごくお似合いなんだよ。
 2人が恋仲になったらいいのにな〜っておいら本気で思ってるんだ」
何も知らない甚平がはしゃいでいた。
ジョーはあの電報を受け取ってから一言も発していなかった。
「あら、ジョーにそんな女(ひと)がいただなんて…」
ジュンが眼を瞠った。
「……いねぇよ。マリーンはもういねぇ……」
ジョーが掠れた声で呟いた。
その場を沈黙が支配した。
「昨日サーキットで車と共に散っちまった…。
 馬鹿野郎!父親と同じ目に遭いやがって!」
ジョーの拳が震えていた。
ジョーはまだ水も飲んでいなかった。
「すまねぇな。また来る……」
そう言ってガレージに行くと、やがてG−2号機のエンジン音が哀しげに唸った。
「ジョーはその女の事を好きだったのね……」
「ジョーの事だ。まだ恋には育っていなかったに違いない。
 任務の事を考えたら近づき過ぎないようにしていただろう」
健が呟いた。
「そういや、何となく2人の間にまだ心の距離があった気がする。
 でも、あのお姉さん、次にジョーがサーキットに来る時に話がしたい、って言ってた」
「今となってはそれも聞けんのう…。ジョーも辛いこっちゃ」
竜が肘を突いて憂鬱そうに言った。
「ジョー、多分サーキットに行ったのね…」
「サーキットのアイドルと、サーキットのナンバー1。
 これ以上にお似合いのカップルは無かったのになぁ。
 ジョーの取り巻きの女の人とは全然雰囲気が違ったよ。
 清楚、って言うの?何か上品な感じもしたし、だけど快活な女だった。
 同じレーサー同士だし、上手く行けばいいなぁ、とおいら応援してたのに」
「ジュン、新聞を貸してくれ」
健が手を出した。
昨日の事故なら、朝刊に掲載されているに違いない。
果たしてその記事はマリーンの顔写真と共に掲載されていた。
「これは酷い…。マリーンさんは見分けが付かない程変わり果ててしまったらしい」
健が唸った。
「本当に…甚平が言った通り、綺麗な女だったのね……。
 確かにジョーと並んだら良くお似合いだわ」
「まんだ18歳だったんじゃのう」
覗き込んだ竜も呟いた。
「ジュン、悪いがこの新聞はバックナンバーの所に入れずに、処分してくれないか?」
健がジュンに新聞を放り返した。
「解ったわ。すぐに処分するわ。ジョーの眼には入れたくないわね」

ジョーがサーキットに飛ばすと、前日の事だったとは言え、まだ現場検証が行なわれていた。
「事故はマリーン自身の過失による自損事故だ。
 あそこは彼女の父親が事故死したカーブだよ……」
立ち尽くすジョーの後ろからフランツが現われた。
「……俺に何か言いたそうだったんだが……」
ジョーの声は震えていたかもしれない。
「今となっては何も訊けねぇ…。
 くそぅ、こんな事になるなら、忙しい合間を縫ってでも早く来てやるんだった……」
ジョーはコンクリートの柱を叩いた。
その手首をフランツが押さえた。
「今度の日曜、マリーンの追悼レースが開催される事になった。
 何とか都合を付けて来てやってくれ……」
フランツはそれだけ告げると、彼も肩を落としてジョーに背中を向けた。


※この話は279◆『追悼のクラクション』も併せてお読み戴けると嬉しいです。




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