『先約』

この処、ギャラクターは鳴りを潜めていた。
こんな時こそ、とジョーはトレーラーハウスを停めた森の中で、手作りの標的を相手に黙々と羽根手裏剣の訓練をしていた。
健は珍しく博士のテストパイロットの仕事が入った為、車での送迎の話もジョーには来なかったのだ。
健はテストパイロットの仕事が終わり、博士を別荘に送り届ける時に、
「博士に1度お見せしたいものがあるんです」
と、この森に車を回して来た。
ジョーが木に吊るした自作の標的に羽根手裏剣を華麗に1度もしくじる事なく、当てて行っているのを見せられて、博士も思わず感嘆した。
「ジョーはいつも1人でこんな事をしているのかね?」
「ええ。あいつはいつも自分の勘が鈍る事を恐れています。
 ギャラクターが出て来なくても、必ずああして訓練を欠かしません」
「おい、健!」
その時、ジョーの鋭い声がした。
「博士、バレちゃいましたね…」
健が博士に苦笑して見せた。
「いつまでそんな処に隠れてやがるんだ。
 俺におめぇの気配が読めねぇとでも思ってるのか?
 博士の送迎は終わったのかよ?」
Tシャツを脱いで木に引っ掛け、タオルで汗を拭きながら歩いて来たジョーは博士が横にいる事に気付き、慌てた。
博士がいると解っていればこんな格好にはならなかったのに……。
まあ、博士も男性だから構わないのだが……。
「俺とした事が、博士の気配を読めませんでした……」
ジョーはがっくりと項垂れた。
「何を気にしておる。私は戦士ではない。
 君達のようなオーラを出してはいないのだ」
博士はそう言って眼を細めると、顎に手を当てながら改めてジョーの工夫の跡をじっくりと眺めた。
「こんな物が必要なのなら、言ってくれればいくらでも作って上げられたのだが……」
「いいんですよ、博士。
 こう言った物を考え出すのもジョーの楽しみの1つなんですから」
「ふふふ…」
博士が笑った。
「ジョー、たまには別荘に来てテレサの手料理でも食べんかね?
 これから健も誘おうとしていた処だ」
「ああ、それは嬉しいですね」
ジョーが答える前に健が言った。
「全くガツガツしてやがる…」
ジョーは苦笑してから博士に答えた。
「先約があるんで、断りを入れてから追って行きますよ」
「何だ、先約って?」
「言う必要があるのか?」
ジョーはきつい眼をして健を睨んだ。
「まあ、いいではないか。ジョー、待っている」
博士が踵を返したので、健もそれに従った。ジョーは2人が見えなくなったのを見届けると、「おい、出て来いよ」と言った。
するとトレーラーの下からニャーと言う鳴き声がして、白と茶のブチの子猫が現われた。
「全くしょうがねぇなぁ。こんな処に住み着いちまって……」
ジョーは子猫を抱き上げた。
「今夜は部屋に入れてやる約束だったが、用事が出来ちまった。
 すまねぇな。今、ミルクを持って来てやるから待っていろ」
ジョーの声は優しかった。
ジョーは洗濯し立てのTシャツを着て、少しだけ温めたミルクを浅いミルクボウルに入れて持って来た。
「おい、沢山飲めよ」
胡坐を掻いた彼の膝の上にちょこんと飛び乗り、子猫は一心にミルクを舐め始めた。
弾みでミルクボウルを持ったジョーの手にもミルクが飛んだが、子猫はそれも熱心にペロペロと舐めた。
ザラザラとした舌の感触がジョーには心地好かった。
「帰って来たら約束通りおめぇを綺麗に洗ってやる。
 だからそれまでは自由に遊んでいな」
ジョーが喉を撫でてやると、子猫はゴロゴロと喉を鳴らした。
雄猫だった。
「おいおい、もうおしまいかい?ミルクを入れ過ぎたか?まあいい…」
ジョーは立ち上がると片付ける為にトレーラーハウスに入った。
「駄目駄目。おめぇは綺麗に行水してからだぞ」
付いて来ようとした子猫を止めると、大人しくドアの外で待っていた。
「ほぉ。いい子だ」
ジョーはトレーラーの鍵を閉めるとG−2号機のドアを開けた。
「みゃあ」
子猫がジョーの足にじゃれ付いた。
「博士の処に行くんだ。付いて来るとまずいだろ」
ジョーは長い足を必死に登って来る子猫を一旦抱き締めてから土の上に下ろした。
「必ず帰って来るから待っていろ」
子猫がまた「にゃあ」と鳴いた。

「博士、遅くなりました」
ジョーが到着した時には全員が食卓に付いていた。
だが、まだテレサが配膳をしている処だった。
間に合った、とホッと一息ついたジョーは、「テレサ婆さん、手伝いましょう」と言った。
「あらあら、ジョーさん。駄目ですよ。
 猫の毛だらけじゃないですか?」
「えっ?」
ジョーは自分の身体を見下ろした。
本当だ。
さっきの子猫の白い毛が沢山付いている。
「ははははは…」
博士が珍しく笑った。
「健、君はジョーに恋人でもいるのかと勘繰っていたようだが、どうやらジョーの恋人は子猫らしいな」
「えっ?」
「げっ!」
健とジョーが同時に声を発した。
「健。気付かなかったのかね。
 白茶の子猫がトレーラーハウスの下からちゃっかりと顔を覗かしていた事を」
「え、あ、すみません。気がつきませんでした」
「別に謝らんでもいい。ジョー、住み付かれてしまったのかね?」
「ええ。留守中に何時の間にか……」
「飼うつもりかね?」
「いえ。そうは行かないでしょう。
 あの子は野良猫の子です。首輪をつけていません。
 去勢手術でもして、サーキット仲間から里親を募るつもりです。
 去勢手術をすると言うのは人間のエゴかもしれませんがね……」
「そうか……」
南部はそれ以上何も言わなかった。
言う必要もない。
ジョーはしっかり大人になっている。
去勢手術の費用も自分で持つ気でいるのだ。
南部は充分に満足した。
テレサの配膳が整った。
「では、食事にするとしようじゃないか」
テレサが博士のグラスにワインを注いだ。
いつもなら「少しでいい」と手を翳す南部が今日はそうしなかった。
それ程までにジョーの成長が嬉しかったのだ。
自分の手を離れても、しっかりと地に足を付け、普通の若者としての常識は身につけているようだ。
此処にいる健にしても、同様だろう。
南部はホッとしていた。
科学忍者隊としていつも厳しく彼らを律しているが、それでも此処まで真っ直ぐに育ってくれている。
ジョーは自分が負った重い十字架の為に、世の中を斜に構えて見るような処があるが、本来は優しい少年なのだと言う事が、今日のエピソードで良く解った。
南部はホッとすると共に、一抹の寂しさも抱えていた。
それで酔ってみたくなったのだろう。

ジョーが戻った時には森の中は暗くなっていた。
子猫はそれでもトレーラーハウスの前で大人しく眠っていた。
「何ともまあ、無邪気な顔をしてやがる…」
ジョーは思わず微笑んだ。
「さぁて、綺麗にしてやらなくちゃな」
トレーラーハウスの外側に照明を点けて、ジョーは大きめの盥に適温の湯を汲んで来た。
先程買い求めて来たペット用シャンプーとタオルも用意して、子猫の身体を丁寧に洗った。
子猫は一瞬、怖がって震えたが、やがてジョーのするままに任せた。
「そうか。猫は水が怖いんだったな。悪かったよ。
 でもよう、綺麗におめかししてくれねぇと俺の部屋には入れられねぇぜ」
ジョーはニヤリと笑った。
やがて、白がよりクッキリとした男前が出来上がった。
「ようし。男前だ。これなら俺のベッドに上がっても許してやる」
ジョーは後片付けをし、子猫をトレーラーハウスに上げた。
「ミルクを温めてやる。
 俺がシャワーを浴びている間にたっぷり飲むんだぜ」
ジョーは温めたミルクをミルクボウルに移して床に置くと、自分も解放されたかのように服を脱ぎ、シャワールームへと向かった。
にゃあ…。
子猫が付いて来た。
「おい。男同士だからって覗くんじゃねぇぜ!」
ジョーは悪戯っぽく笑った。




inserted by FC2 system