『ジュンの涙』

「ほう〜。ジュン、珍しいじゃねぇか?
 髪をアップに結ったのか?良く似合ってるぜ。
 髪飾りも綺麗だな」
『スナックジュン』に入って来るなり、ジョーはそう言った。
正直、項を見せているジュンは新鮮だった。
背中を向けたジュンは何となくプリプリと怒っているような雰囲気を醸し出しており、隣で皿を洗っている甚平が困ったような顔をしていた。
「どうしたんだ?やけにお冠じゃねぇか?」
ジョーはカウンターの丸椅子を長い足で跨いだ。
他に客は居なかった。
「それがさぁ。ジョーの兄貴はさすがに気がついたけど、兄貴がね……」
甚平が声を潜めるように答えた。
「……無反応だったんだよ。それでお姉ちゃんが怒ってる訳さ」
「何だ、そう言う事か……」
ジョーは甚平にコーヒーを注文しながら、ジュンの背中に向けて言った。
「ジュン、いくらなんでも健が気づかなかったとは思えねぇ。
 あいつはトンチキだが、そこまで間抜けじゃねぇぜ。
 多分戸惑って何と話し掛けたらいいのか解らなかっただけだ」
ジョーの言葉にジュンが振り向いた。
髪をアップにしただけでハッとする程大人びて見えた。
瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。
その事にジョーは驚いた。
可哀想に、泣いていたんだ、この娘(こ)は……。
「心配するこたぁねぇ。男にはそう言った部分があるんだぜ。
 女よりも精神年齢が低いんだからな」
甚平がそっとエスプレッソを出して来た。
良い香りが鼻を擽る。
ジョーはそれをゆっくりと嗅ぎ、一口まろやかな味を楽しんでから、再び口を開いた。
「俺はあいつがトンチキなのか、任務を優先しているのか、時折解らなくなる。
 だがよ。一番長い事傍にいる女の子は、ジュン、おめぇだぜ。
 俺も、甚平も、竜も…おめぇの気持ちが通じる事を信じてる。
 いつかギャラクターを壊滅させたら、健も他の事を考える事が出来るようになるだろうぜ。
 その時初めておめぇの気持ちに気付くって事もあるんじゃねぇのか?」
ジョーは言葉を区切ってジュンの変化を観察した。
涙は止まっているようだった。
「ジュン、その髪留めは何て言うんだい?」
「これは……バナナクリップよ」
ジュンがやっと口を開いた。
「さっきも言ったが良く似合ってるから、たまには変化を付けるのもいいかもな。
 俺達は衣装替えする訳には行かねぇしな。
 エイチシティーのサーキットの近くにあるショッピングモールにそんなのが沢山あったぜ。
 今度の日曜にレースがあるから何度か通う事になっている。
 買って来てやってもいいぜ。
 結構洒落たもんが並んでいた」
ジョーは優しい……。
ジュンはそう思って再び涙した。
「お、おい。俺、何かまずい事を言ったか?」
「やだなぁ、ジョーの兄貴。これは嬉し涙だよ」
いつもジュンの傍にいる甚平は、彼女の変化に敏感だ。
「でも、どうせなら健に言って貰いたい台詞なんだろ?」
ジョーは苦笑した。
「ジョーは、サーキットの取り巻きの女性から貰ったプレゼントのお返しをそこで買っているのね?」
ジュンが急に明るい声を出した。
まだ無理をしているな、とジョーは思った。
「そう言う意味で行くんだったらついでにお願いしようかしら?
 コーヒーのお代わりはどう?」
「え?まだ飲み終わってねぇぜ」
ジョーはまだジュンの様子がおかしい事に気付いた。
「……まだ、他にもあるのか?」
「別に……。
 綺麗だ、とか、似合っている、とか、そんな言葉を期待した訳ではなかったの……」
ジュンが寂しげに眼を伏せた。
「でも、一言も無かったばかりか、私の方を見ようともしないのよ」
なる程、そう言う事か……。
ジョーは合点が行った。
「ジュン、それはな…。
 男の心理から言うと、ドギマギして何て声を掛けたらいいのか解らなかったんだと思うぜ。
 だからおめぇを直視出来なかったのさ」
「そうなの?ジョー」
甚平が身を乗り出した。
「甚平はまだ子供だから解らねぇだろうぜ」
「嫌だなぁ。子供扱いしないでくれよ!」
今度は甚平が少し拗ねた。
「脈はある。俺はそう見た。
 ジュン、未来は明るいぜ。
 時間は掛かるだろうが、まだ俺達は若いんだ。
 ギャラクターを斃したら、ゆっくりと健と向き合って行けばいい。
 事態はおめぇが思っている程深刻じゃねぇのかもしれねぇな…」
「そうかしら?」
「そう思ってなきゃ、やって行けねぇだろ?
 これからもずっと一緒にチームメイトとして行動するんだ」
「そうね……」
ジュンは納得したかのように頷いた。
「それにしてもジョーに愛される女性はきっと幸せね」
「何なら俺と付き合ってみるか?」
ジョーが何気なく言った冗談に、ジュンと甚平が同時に「えっ?」と言う顔をして驚いた。
「ああ、びっくりした〜。
 ジョーの兄貴でもそんな冗談を言うんだ」
甚平がまるで胸の鼓動を抑えるかのように、胸に手を当てた。
「言うさ」
「でも、取り巻きの女性に言っちゃ駄目だよ。
 本気にされるに決まってるから」
甚平が小生意気な口を利いたが、ジョーは受け流した。
ジュンには解った。
ジョーが先日事故死したマリーンの事をまだ思っていると言う事が。
恋にもなり掛けていなかったと思う。
でも、マリーンが生きていたら、今頃は彼女もこの店にジョーと連れ立って来ていたかもしれない。
(それは、ないか…。
 ジョーは任務の事を考えて彼女に深入りはしなかったでしょうから……)
ジュンはふっと、ジョーの哀しみを考えた。
「ジョー、やっぱりお代わりは私に奢らせて。
 貴方の言葉で救われた気がするわ」
「別に奢って貰おうとしておべっかを使った訳じゃねぇ。
 それにそろそろサーキットに行くんでね。
 さっき言ったエイチシティーのサーキットで試走して来る。
 最近改装されたんでな」
「そうなの……。気をつけてね」
「ああ。代金は此処に置いて行くぜ。
 じゃあな。あんまり腐りなさんな」
ジョーはスマートに席を立ち、後ろ手に手を振ると颯爽と出て行った。
「お姉ちゃん、ジョーを好きになった方が良かったんじゃないの?
 おいら時々そう思う事があるよ」
「まあ、甚平ったら!」
ジュンは甚平の頭を叩(はた)く真似をした。
健と言う存在が無かったら、自分はジョーに靡いていたかもしれない、とジュンは思った。




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