『ある1日』

ジョーはトレーラーハウスで朝早くに目覚め、朝のコーヒーを淹れていた。
これを飲まないと、すっきりと目覚めない。
イタリア人の習慣でもあったし、ジョーはこれとトーストしたパンに薄くバターを塗ったものを1枚食べて朝食にするのが最近の常であった。
手が掛からないから急に呼び出しがあった時にも慌てる事はない。
朝から手の込んだパスタなどを作るのをやめてからもう久しい。
元々料理は必要に迫られてやっているだけで、進んでしようとは思わないのだ。
その代わりコーヒーは丁寧に淹れた。
そして、トーストの良い香りが広がって来た。
イタリア人は朝食を軽く取り、10時のお茶におやつを食べるが、ジョーはこの場所に南部博士に連れて来られてから、こちらの習慣へとシフトして行った。
最初の頃は朝食を余り食べないジョーを周りの者が心配したものだった。
今は10時のおやつは食べない。
だが、朝食が小食なのは今も変わっていなかった。
今日はレースだ。
此処はサーキット場。
前日の夜にトレーラーハウス毎乗り込んでいた。
天気はどうかとラジオを点けた。
『曇りのち強い雨、東南から風速15メートルの風が吹く』と告げている。
場は悪くなりそうだ。
このサーキットの位置からして、横風に晒される事になる。
転倒が相次ぐだろう。
(これは中止になるかもしれねぇな…)
ジョーは立ち上がって、ドアを開け、空を見た。
厚い雲が空を覆っていた。
(折角前乗りして、気分良く目覚めたんだがな…)
「よう、ジョー。おはよう」
フランツだ。
「おはよう。早いじゃねぇか」
「天気が怪しいんで早出して来た。
 どうやら今日のレースは強行されるらしいぞ」
「へぇ、珍しい事もあるもんですね」
「某国のレース好きなお偉いさんが観戦しに来るらしい。
 それで強行だとよ。
 でも、この悪条件ではリタイアが続出するのは間違いないな」
「ああ……。この空を見ていると、天気予報よりも早く雨が降り出しそうだ」
「殆ど嵐のようになりそうだ。
 その中を走らなければならない。
 臆病と思われるだろうが、俺は棄権するつもりだ」
フランツは自嘲して、下を向いた。
「別に誰も臆病だなんて思いませんよ。
 この気象条件だ。
 家族の事も考えたらやめておいた方が無難だ」
「ジョーは走るのか?」
「ああ、折角前乗りしていたんだ。
 走らなけりゃ気が済まない」
「そうか。頑張れよ。充分気をつけろ」
フランツはまだマリーンの事が頭にあるのだろう。
彼はもろに事故現場を見ている。
帰る前に右手を差し出した。
「大丈夫ですよ」
ジョーはフランツと握手を交わすと、トレーラーハウスとG−2号機の切り離しに掛かった。

チェッカーフラッグが振られようとした時には、既に小雨がぱらついていた。
風も少し吹き始めている。
この風が厄介だ。
風に煽られて横転する車が必ず出る。
G−2号機は簡単に横転する事はないが、他の横転車を避けて進まなければならないので、充分な警戒が必要だった。
だが、それはいつもの事。
巻き込まれて事故に遭っては科学忍者隊として問題外だ。
絶対に許されない。
任務外で負傷する事も勿論だ。
そう言った事があるのなら棄権すべきなのだ。
ジョーはそうならない自信があったからこそ、出場を決めたのだった。
走り始めて暫くすると雨は大降りになり、風が強く吹き始めた。
ジョーは周回遅れの車が横倒しになったのを、巧みなハンドル捌きで回避する事数回、無事にトップでチェッカーフラッグを受けて優勝した。
レースが終わった途端に雨風は止んだ。
「マシンが泥だらけだな…」
後で化粧直ししてやるぜ。
今日も俺の手となり足となり、ご苦労さん。
G−2号機にそっと声を掛けた。

トロフィーと賞金、そして花束を受け取った。
ジョーはそのトロフィーをトレーラーハウスには置いていない。
数々のトロフィーは実は南部博士の別荘にまだ残っている彼の私室に並べられていたのだ。
時折博士が顎に手を当てながらにんまりとそれを眺めている事を彼は知らない。
博士もジョーの独り立ちとその成長を嬉しく頼もしく思っていたのである。
時々ジョーが来る毎にトロフィーが増えているのに気付いていた。
面と向かっては滅多に言わないが、本当は「おめでとう」と言ってやりたい気持ちで一杯だったのだ。
だが、一方でジョーの夢を奪っているのも自分である事は嫌と言う程解っている。
復讐に燃えるジョーはギャラクターとの闘いに夢中になっているから、今の生活にも満足しているのだろうが、レースに出る機会を奪われる事も多々ある。
自分に出来る事は、出来るだけ早くギャラクターを壊滅させられるように科学忍者隊を導く事、それしかない、と博士は考えていた。

ジョーはサーキットの洗車場でG−2号機を綺麗に洗い、愛情を込めて磨き上げた。
それからある場所に行って買物をした。
そして彼はその日も花束を持って『スナックジュン』を訪れた。
ちょっと時間が遅くなってしまったので、ジョー目当ての女性客に見られてしまった。
これでこの店に花束を持って来る客=ジョーだと言う事は知られてしまったのである。
「ジュン、コーヒーの1杯でも飲んで行こうかと思ったが、今日は何となく居心地が悪いから帰るわ。
 博士の別荘にも行かねぇとならないしな」
「あら?レース終わりでまた博士の送迎?」
「いや。テレサ婆さんの誕生日を祝うんだそうだ」
「それなら早く行って上げなくちゃね。プレゼントは用意したの?」
ジュンが棚から何かを取り出しながら、振り向いた。
「ああ、勿論抜かりはねぇぜ」
「じゃあ、行ってらっしゃい。
 今日はしっかり『孫』の役目を果たして上げてね」
「ああ、じゃあな」
ジョーは花束だけ預けて店を去った。
別荘に向かう道程は良く晴れていて、爽快だった。
もう夕陽は沈み掛けている。
少しずつコバルトブルーの世界になりつつあった。
ジョーは別荘に着くと、自分の部屋として今も宛がわれているあの部屋に行き、トロフィーを置いた。
「ジョー、今日も楽勝か?」
気配でドアに寄り掛かったのが健だと解っていたが、ジョーは振り向かなかった。
「テレサ婆さんへのプレゼントは何にした?」
「ハンドバッグとそれに合わせたパールのネックレス…。
 イヤリングはしないだろうと思ってやめた」
「張ったなぁ〜」
「賞金が入ったんで、その足で買いに行ったのさ。
 おめぇはどうした?」
「俺は…花束が限度だよ」
「プレゼントなんて気持ちが篭っていればいいのさ。
 気にするこたぁねぇだろ?」
「博士は何を贈るのかな?」
「さあな……」
2人は連れ立って、食堂へと歩いた。
テレサ婆さんは普段と変わらず皆に給仕をしていた。
今日誕生日を祝う事は知らされていないのだ。
「あら、ジョーさん、健さん、いらっしゃい。
 どうぞこの席に……」
博士が片方の端の席。
此処は定席だ。
そのすぐ近くに向かい合うようにジョーと健の席が設けられた。
ジョーはテーブルの下を見て気付いた。
博士のプレゼントは高級そうな胡蝶蘭の鉢植えだ。
綺麗にラッピングしてある。
健はジョーがレースだったので、博士を此処に送り届ける役割を果たしたのだが、プレゼントが何であるか気付かなかった処を見ると、博士は別荘の職員に依頼して買いに走らせたのだろう。
鉢植えの横には大きなケーキの箱がある。
これもまだテレサには内緒なのだろう。
「テレサ婆さん、配膳を手伝いましょう」
「あら、ジョーさんにそんな事をお願いして良いのかしら?」
「孫同然のジョーです。手伝わせてやりなさい」
博士が静かに微笑んだ。




inserted by FC2 system