『老後』

「ジョー、レースの帰りに悪かったね」
博士をISOから別荘へ送る帰り道、後部座席から南部博士が声を掛けた。
「構いませんよ。たまにはテレサ婆さんの顔も見たいですし」
「その優勝トロフィーを君の部屋に置きに行くんだろう」
ジョーはナビゲートシートの下に上手くトロフィーを隠したつもりだったが、南部は鋭く気付いていた。
「随分と増えて来たな……」
そう言った南部博士は窓の外を見た。
「あ、すみません…。トレーラーには置き切れないもので。
 邪魔だったら別の保管場所を考えます」
「いや、構わんのだよ。あの部屋は今でも君の部屋だ。
 ただ、君も随分と活躍しているのだな、と感慨深くなっただけなのだ」
南部が相好を崩した。
いつもきちんと四角張っている博士にしては珍しい事だ。
「独立して行った時はどうなるものかと心配したものだが、その心配は杞憂だった。
 君はその年でしっかり自活している」
「博士、褒めると調子に乗ってどんどんレースに出てしまいますよ」
「いいではないか。
 任務にさえ差し支えなければどんどん出場するがいい」
「でも……」
ジョーは言い淀んで、外に流れる風景を見た。
「最近スカウトが煩いんで面倒になって来ました」
「ほう、君の腕を見込んでそんなに声が掛かっているのかね?」
「正直言って、条件の良い話もあります。
 でも今の段階では……」
ジョーが言いたい事は南部には良く解った。
「そうだな…。
 ギャラクターを壊滅させない事には、そう言う事に打ち込める環境ではない」
「俺はやってやりますよ!
 本懐を遂げたら、堂々とレーサーへの道をまっしぐらに走りますから」
将来の夢を語るジョーはキラキラと輝いているように南部の眼に映った。
「君にレーサーとしての素養があると思ったのは、カートに乗りたいとせがまれて連れて行ったあの時の事だ。
 君は幾つだったかね?」
「博士が引き取って下さって1年は経っていました。
 だから9歳の時ですかね」
「それがこんなに成長するとは……。
 素人の私にでも解る程だったが、あの時カート場の係員が非常に驚いていたのを思い出す。
 この子は将来世界的レーサーになりますよ、と私に言ってね……。
 どうやら彼の見立ては正しかったようだ。
 あのG−2号機を縦横無尽に乗りこなせるのは、世界中を探しても君しか居まい……」
「博士、褒め過ぎですよ。今日はどうかしたんですか?」
ジョーは信号で車を停めて、ミラー越しに博士の表情を盗み見た。
リラックスしているように感じられた。
今は科学忍者隊の指導者としての顔ではなく、自分の保護者と言った顔付きをしている、とジョーは思った。
あの温かい眼に自分は救われたんだ……。
幼少の頃の古い記憶が甦る。
「俺は…博士が救って下さらなかったら、今の自分は無い、と良く解っているつもりです。
 だから、博士の老後には俺が恩返しするつもりです」
博士には唐突な話だったようで、「ん?」と目顔で問い返された。
「博士が結婚されなかったのは、俺の存在があったせいではないかと言う気がして…。
 ご子息がいない代わりに、俺が面倒を看ますよ。
 俺の生命を救ってくれた恩義をそうする事でやっと返せると思っています」
「何を言い出すかと思ったら…」
博士は珍しく破顔一笑した。
「ジョー。君は君の人生を生きるのだ。
 ギャラクターを壊滅させたら、君達科学忍者隊は私の元からそれぞれが羽ばたいてくれればいい、と思っている。
 第一、君のせいで私が結婚していない、などと言う事はない。
 君を引き取った時私は38歳だ。
 結婚などしたければとうにしていたに違いない」
「そうなんですか?」
「おっほん。その話はそこまでだ…」
博士は言葉を濁してそれ以上の事は言わなかった。
ジョーも下手に憶測する事はしなかった。
「俺に出来る恩返しは、ギャラクターを倒す事だけなんですかね…?」
「いや、ギャラクターを倒した後、自由に伸びやかに生きてくれる事、私に恩返しをしてくれると言うのなら、それが充分過ぎる程私への恩返しになるのだよ」
博士の表情は慈愛に満ちていた。
「君はレーサーとして既に華を持って輝いている。
 ダイヤモンドの原石だ。
 だからこそ、スポンサーになりたがる企業も多い事だろう。
 将来はF1で走るのか、どのステージを目指しているのか私には解らんが、スポンサーを選ぶ時には相談に乗ろう」
「博士……」
別荘へ向かうくねくねとした道が見えて来た。
少し陽が沈み掛けて来たが、ジョーは正確にステアリングを切った。
科学忍者隊は夜目が利く。
ISOや別荘の職員に運転を頼むと、この道は非常に慎重にゆっくりと走ったが、ジョーは迷う事なく軽快に運転して行く。
それでいて、博士にストレスも与えないのだから、ドライビングテクニックに違いがあり過ぎると言う事だ。
「この前、テレサ婆さんを海から此処まで乗せて来た事があったんですが、早過ぎて腰を抜かしそうになっていましたよ。
 心臓に来ると行けないので、少しスピードを落としましたがね」
「テレサはいつも職員のゆっくりな運転に慣れているからね」
博士が呟いた。
「ジェットコースターに乗ったような気分だ、って言っていましたが、テレサ婆さんの子供時代にそんな物があったんですかね?」
「いや、自分の子供時代ではなく、孫と一緒に遊園地に行く事はあっただろう」
「お孫さん…、病気で亡くしたのは18の時だったそうですね……」
ジョーは急に沈痛な面持ちになった。
「今の俺はまさにその年で……。
 本当は逢うのが辛いんじゃないか、と思う事もあるんですが……」
「テレサはジョーの成長を楽しんでいるよ。
 君が19歳になった時、それからはもっと君に孫の成長を重ねて行くのだろう」
「俺……。このままの接し方でいいんでしょうか?」
「いいのだ。テレサは君を可愛がっている。
 君の存在によって、彼女は救われているのだ。
 だから、もう80だと言うのに賄いの仕事を辞めないのだよ。
 君に逢える可能性が少しでも残っている内は別荘に留まりたいと言っていた」
「無理をしないように言ってやって下さい。
 もしテレサ婆さんが辞めても、俺の方から逢いに行くから、っていつも言っているんですがね」
「その引導を渡す役目は、ジョー、君の役割になるだろう」
博士が呟いた時に、別荘の車寄せに到着した。
「ご苦労だった。早くテレサにそのトロフィーを見せて上げなさい。
 きっと喜ぶだろう」
「トロフィーは見せた事がないんですよ。
 テレサ婆さん、レーサーの仕事は危険だと言って心配するばかりなので……」
「だが、時折君の部屋で懐かしそうに眺めているよ。
 君の存在感をそのトロフィーで確かめているのだろう」
ジョーは先にG−2号機を降りて、後部座席のドアを開けた。
「持ちましょう」
博士が持ち帰った膨大な資料が入ったアタッシュケースを、彼は軽く受け取った。
南部博士が両手で持たなければならないような大きなケースだ。
右の小脇にトロフィーを抱え、それを左手で持った。
「ジョー、食事をして行きたまえ。
 何か取り立てて用事があるのなら別だが……」
「いえ、別に用事はないのですが。花束はもうジュンの店に届けましたし」
「それなら来なさい。テレサが喜ぶ」
「……解りました」
ジョーはG−2号のキーを右手でロックして、博士の後ろに続いた。




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