『2トップの午後』

ジョーはトレーラーハウスの扉を開放し、ベッドに寝そべっていた。
全部の窓を開けてある。
心地好い風が中を通り過ぎて行った。
時折、風を入れてやらなければならないのは、普通の住宅と何ら変わりはなかった。
トントン。
形ばかりのノックの音がして、健が入り口から顔を覗かせた。
「ジョー、珍しい物が手に入ったんだが、一緒に味見しないか?」
「今日は本職があったんじゃなかったのか?」
ジョーはサッと起き上がり、靴を履いた。
「ああ、それは午前中であっさりと終わった。
 それで行った先のISOの航空力学の博士が無類のコーヒー好きでさ。
 世界中のコーヒー豆を集めているんだ」
「へぇ……。それで?」
ジョーはコーヒー豆なら俺の所じゃなくて『スナックジュン』じゃねぇのか、と思っている。
「どれでも好きな物を選んでいい、って言うから、イタリアのはないか、と聞いたら、あったんだ」
健は密閉袋を置いた。
「これ、500gあるそうだぜ。
 お前の所にもコーヒーミルがあったろ?」
「ああ……」
「一緒に味わおうと思ってこれを貰って来た」
「別に俺に気を遣わなくてもいいのによ」
と言いながら、ジョーはシンクの方に行き、上にある戸棚からコーヒーミルを取り出した。
高い棚だが、長身の彼には難なく届いた。
「俺はコーヒーの味なんて何でもいいような男だからな」
「意外とがさつだからな」
ジョーはニヤッと笑った。
「とにかく湯を沸かすから適当に座れよ」
健はジョーに故郷の味を持参する事で、彼が隠し持っている郷愁を癒そうとしている。
これまで10年近く帰る事を許されていない。
そして帰った処で、両親がそこに居る訳でもない。
お湯を沸かす準備が出来ると、ジョーはコーヒーミルでゆっくりと労わるようにそのコーヒー豆を挽いた。
「う〜ん、いい香りだな〜」
健がうっとりと鼻をヒクヒクさせた。
「おめぇだって、多少は違いが解るんじゃねぇか」
ジョーは手を休めずに言った。
「まあ、鼻はしっかり付いているからな」
健は子供のような事を言いながら、「ラジオを点けてもいいか?」と訊いた。
「ああ、構わねぇぜ。電池が残っていればな」
ラジオからはジャズが流れ始めた。
「今日はこれからどうするつもりだったんだ?
 サーキットか?」
健がラジオに耳を傾けながら、エスプレッソの香りを楽しみながら、のんびりとした口調で訊ねた。
「そうだな〜。海にでも行こうかと思っていた。
 博士の別荘から見えるあの海にな」
「お前の特別な海はそこじゃないってテレサ婆さんから聞いたぜ」
「ああ、もう少し離れた場所に絶景とも言うべき場所がある。
 おっと…おめぇには教えねぇぜ」
「何だよ、ケチ!」
今日の健は子供っぽいので、ジョーは思わず噴き出した。
「科学忍者隊のリーダーともあろう者が今日はどうした?
 何だか腑抜けのようだな」
ジョーが笑った。
「久々の『本職』だったから、力が入り過ぎていてな。
 意外とあっさり終わったんで、確かに腑抜け状態かもしれないな」
健が屈託のない笑顔を見せた。
ジョーはフィルターを取り出し、カップの上に乗せた。
コポコポと良い音がして、コーヒーが注がれて行く。
「俺の好みで作ってもいいか?」
「ああ…」
健が長い髪を払った。
ジョーはその答えを聞き、ミルクを少しだけ回し入れる。
もう随分長い付き合いになる。
8歳の頃からお互いを見知っていた。
その頃は科学忍者隊のリーダーとサブリーダーと言う立場になるとは思ってもみなかった。
ひとたび変身をすれば、対立する事もある。
互いに頑固で、特にジョーは人になかなか心を開かない部分もあった。
だが、意外にも人付き合いは悪くない。
ジュンに連れられて、野外コンサートにまで付き合ってしまう程だ。
何時の間にかジャズ音楽の番組は終わっていて、あの時の『デーモン5』の派手な音楽が流れて来た。
「健、ダイヤルを他の局に合わせてくれ。
 どうもあの『殺人ミュージック』を思い出して行かん」
「全くだ…」
健は手を伸ばして、他の局の電波を受信した。
お笑いタレントが馬鹿な話をしているチャンネルに切り替わった。
「それでいいぜ。男2人で顔を突き合わしてコーヒーを飲んでるって図も何だか変だしな。
 ラジオでも流しておかねぇと形にならねぇぜ」
ジョーはふと眼を細めた。
彼はミルクを丁寧に注いで行った。

2人でそれを味わっていると、ジョーがふとカップから口を離し、
「どうやら甚平様のお出ましらしいぜ」
と言った。
「本当だ…」
2人はG−4号機の走行音を聞き分けていた。
「今日は来る予定だったのか?」
健がまた髪を掻き上げた。
気になるなら切りに行けよ、と思いつつ、ジョーは「いや」とだけ答えた。
やがて小さな足音がした。
「ジョーの兄貴〜!あ、兄貴も!」
甚平が表情を輝かせた。
「一体何だって言うんだ?」
「サーキットに行くなら連れて行って貰おうかな、と思って……」
甚平は人差し指を突き合わせてもじもじした。
その子供らしい仕草に素顔の2トップは爆笑した。
「な…何だよ、おいら何か変な事した?」
「いいや、甚平。ジョーもこれからサーキットに行く処だ」
健が言った。
「今日は海にしようかって…」
と言い掛けたジョーの口を健の左手が塞いだ。
「……行って来い」
「うぐっ」
健は意外とジョーの操縦が上手いようだ。
ジョーはまるでご主人様に命令された犬のように頷いた。
だが、憎まれ口は忘れない。
「どうして俺が任務を離れた時までおめぇに指図を受けなきゃなんねぇっ?!」
「俺も行くぜ。年少者の面倒を良く看てやれって、南部博士も言ってたじゃないか」
「いつの話だよ?」
ジョーは呆れて空になったコーヒーカップとソーサーをシンクに下げた。
「甚平、ベッドにでも座って待っていろ」
「うん!」
甚平にはちょっと高さがあったが、ひょいと身軽にベッドに乗った。
「意外と寝心地がいいんだね……」
呟きが聞こえ、ふぁ〜あ、と欠伸が聞こえたと思ったら、次の瞬間甚平は眠っていた。
「こいつぅ!」
ジョーは健と顔を見合わせて笑った。
「全く何しに来たんだか?」
ジョーが呆れ顔になると、健は「昼寝をしに来たんだろ?」とニヤリとした。
「確かに店にいたらジュンに扱き使われるからな。
 少し休ませといてやるか」
ジョーは濡れた手を拭いて、甚平にタオルケットを掛けてやり、ラジオを消した。
「健、このコーヒー、旨かったぜ」
「この淹れ方は何て言うんだ?」
「『Macchiato di caffè (カフェ・マキアート)』と言ってな。
 エスプレッソに少しだけミルクを垂らすんだ。
 おめぇには少し難しいか」
「ははは。実は、な……。
 これは置いて行くよ。お前が飲め」
「貰っちまっていいのかよ?」
ジョーはエスプレッソにだけは拘りがあった。
イタリア人は日常的にエスプレッソを飲むのだ。
「たまには俺が奢る事があってもいいだろ?」
「貰いもんだがな」
「言うなぁ〜」
2人はさざめき合うように笑った。
こんな平穏な午後が2人にあってもいい。
2人の横で、甚平は平和そうにスースーと寝息を立てて眠っていた。




inserted by FC2 system