『思いやりのホットケーキ』

「ジュン、どうした?泣いてるのか?」
「ううん、何でもなくてよ、ジョー」
そんな会話があったのは『スナックジュン』での昼下がり。
甚平は仕入れ、客はジョー1人だった。
「用事を思い出した。また来るとしようかな?」
ジョーはさり気なく席を立ったが、ジュンは大丈夫だと言った。
「折角来たんだからコーヒーの1杯でも飲んで行ったら?」
ジュンはデーモン5の音楽を掛けた。
気分を高揚させようとしているのだろう。
大体何があったか想像が付く。
シンクの中の洗い物を見れば、コーヒーを飲んでいた先客がいた事ぐらいはすぐに解った。
もうそれで大方の想像はついた。
またあのトンチキが何かやらかしたに違いない。
「ジュン、俺がホットケーキを焼いてやる。
 たまには客の側から店を見てみろよ」
ジョーが立ち上がった。
「ジョーったらそんな事が出来るの?」
「知ってるだろ?俺が必要最低限の家事だけは叩き込まれていたって事を」
「そうだったわね……」
「甚平のように上手くはねぇがよ。
 まあ、何とか形になって味がまずくなけりゃいいだろ?」
ジョーはただジュンを慰めたいだけだった。
健がどんな行動をしたかは知らないし、詮索するつもりもなかった。
だが、あの気の強いジュンが泣いているのだ。
余程の事に違いねぇ、とジョーは思った。
「紅茶の茶葉を使わせて貰うぜ」
「いいけど、そんなのを入れるの?」
「いい香りになるぜ」
ジョーは砂糖をボウルに入れ、卵を割り入れた中に、ホットケーキミックスと紅茶の茶葉を混ぜ入れ、丁度良いとろみ具合になるまで水を少しずつ足して行った。
「甚平が腹を空かせて帰って来るだろう。
 すぐに出来上がる」
ジョーはフライパンの上に素材を丸く広げた。
なかなか手際が良い、とジュンは感心した。
正直言って、彼女には出来ない。
ジョーはそれを6枚焼き、3枚ずつ皿に重ねた。
切ったバターを乗せ、メイプルシロップを振り撒いて完成だ。
普通のホットケーキと手順は大差ない。
紅茶の茶葉が入っているだけだ。
「ああ〜いい匂い〜!」
良いタイミングで仕入れを済ませた甚平が帰って来た。
「あ、ジョーの兄貴。どうしたの?」
「ん?ジュンが疲れてるみてぇなんでな。
 少しでも元気付けてやろうと思ってよ」
「え?お姉ちゃんが疲れてる?
 デーモン5をガンガン掛けてるのに?」
「甚平っ!」
ジョーが鋭い眼で甚平の口を塞がせた。
「ああ、兄貴のせいか…」
甚平には通用しなかったらしく、余計な事を言いそうになったので、ジョーは更に声を荒げた。
「甚平!こっちに来いっ!」
耳を引っ張ってガレージへと連れて行こうとする。
「あいててて…」
「いいのよ、ジョー」
ジュンが甚平を庇うようにジョーから離して抱き締めた。
「健は誰かを好きになったみたい…」
ジュンの口からそんな言葉が零れ出るとは思ってもみなかった。
「えっ?」
さすがのジョーもポカンとした。
「あのトンチキが恋なんかする訳ねぇだろ?」
「あるのよ。ルミちゃんって言うあの娘(こ)……」
「ボロンボ博士の娘か?」
ジョーは狐に摘まれたような気分だった。
「忘れられないみたいよ」
「だが、任務で逢っただけなんだ。それもバードスタイルで、だぜ?」
ホットケーキをジュンと甚平に出しながらジョーは呟いた。
「くそぉっ!俺が良く言っておくからおめぇらはこれで腹拵えでもしとけ。
 これから客が込み合って来るのに、沈鬱な表情じゃ接客出来ねぇだろうに!」
「ジョー、健は解っているわよ。貴方が口を挟む事はないわ」
「ぐっ……」
ジョーは言葉に詰まった。
何て娘(こ)だ。
ジュンは全てをお見通しだ。
それでも、健の事が好きなのだ。
「解ったよ。俺はこの事については何も言わねぇ。
 時間が解決してくれるだろうぜ。
 さあ、これでも喰って忘れちまえ」
「喰って忘れるって竜じゃないんだからさぁ!」
甚平が冗談めかして言った。
「いい香り〜。いっただっきまぁ〜す!」
すぐにジョー特製のホットケーキを頬張り始めた甚平は、「うめぇっ!」と叫んだ。
「ねぇ、お姉ちゃんも騙されたと思って食べてみな」
「『騙された』は余計だ!」
ジョーは軽く甚平の頭に拳を落とした。
勿論、手加減している。
「そう?じゃあ……」
ジュンもホットケーキを切り分けて1口口にする。
「ホントだわ。紅茶の香りが効いている……」
2口目も口に運ぶ程だった。
「美味しい。行けるじゃない、ジョー。
 あら?貴方の分は?」
「俺はいいのさ。甘いもんは苦手でね」
「でも、こうしたら美味しい、って知ってるって事は、作って味見した事があるからだろ?」
甚平が訊いた。
「ま…まあな。テレサ婆さんに作ってやったら喜んで無理して食べてくれた。
 俺、加減が解らずに沢山作っちまってよ」
「それっていつの話?」
「7〜8年前、だな」
「ふふふ。それなら許される話よ。テレサお婆さん、優しいのね」
ジュンに笑顔が戻った。
「ジョーの兄貴、これ、店で出してもいい?」
「ああ、いいとも。別に有り触れたレシピだからな」
「有難う。今日から早速メニューに入れようよ、お姉ちゃん」
「そうね」
ジュンがジョーを澄んだ瞳で見た。
「ジョー、有難う。とても暖かい味がしたわ。
 貴方の真心が篭ってた……」
ジョーはそう言われて、照れ臭そうにプイと横を向き、手を洗い始めた。
「甚平。後片付けは頼んだぜ。フライパンとボウルは洗ってあるからよ」
「ええっ?もう帰っちゃうの?ジョーの兄貴」
「コーヒーの1杯位飲んで行かなきゃ何をしに来たか解らないじゃない。
 私にエスプレッソをご馳走させてよ」
ジュンと甚平に引き止められて、ジョーはもう1度カウンター席に収まるのだった。
まだ紅茶の良い香りが店内に充満していた。




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