『Hey,Joe!(前編)』

「Hey,Joe!」
と声を掛けて来たのは、アメリカ人のジョージだ。
ジョーの本名と同じだが、ジョーはBC島から出てからは『ジョー』で通して来ているので、その事をジョージに話した事はない。
「サーキットに来たのは久し振りじゃないのか?ジョージ」
ジョーはニヤリと笑って、返事を返した。
他人に『ジョージ』と呼び掛けるのは不思議な気分だ。
ジョージもサーキット仲間の1人だったが、最近は見掛けなかった。
「ちょっと仕事が立て込んでいてね」
「へぇ〜。今、何をしているんだい?」
ジョージは27歳、ジョーよりも9歳年上だった。
「まあ、言えたもんじゃあないが、コレはそこそこ貰える」
と指で丸を作って見せた。
「上司に仕えて『肉体労働』の毎日さ」
このジョージとの再会が、後にジョーにとって辛く苦い思い出になるとは、この時彼は思いもしなかった。
ジョーとジョージ。
名前が似ている事から仲が良くなった2人だが、同じサーキット仲間のフランツは、ジョーに「ジョージとは余り付き合わない方が良いかもしれない」と釘を差していた。
フランツによると、ジョージは遊び人で、定職を持たず、悪い連中と付き合っていると言う。
何かに事件に巻き込まれる可能性があるから用心しろ、と言われていたのだ。
「やばい仕事じゃなきゃ、別に俺は何も言わねぇさ」
とジョーはフランツの言葉を思い出しながら、呟くように言った。
「ジョーみたいにレースの賞金だけで暮らせればいいんだがな」
「俺のようにトレーラーハウスにでも住んでしまえばいい。
 アパートを借りるよりは長い目で見たら費用が掛からないし、何よりも気楽でいい」
「そう言う生き方もあるがな。実は女がいてね。
 結婚を迫られているのさ。気の強い女でね。
 だから、定期収入がある仕事に就かなければ仕方がない。
 それに功績を挙げれば昇進も出来る」
「そうかい?それはおめでとうよ」
ジョーは右手を差し出した。
ジョーとジョージは握手を交わした。
「有難う。結婚式は挙げないつもりだが、早く生活の基盤を作らないとな」
「ほぉ。ちゃんと考えているんだな」
「ジョーは付き合っている女はいないのか?」
「え?」
「お前モテる癖に。取り巻きの女には事欠かないじゃないか」
「あいつらは…そんなんじゃねぇ……」
ポツリと答えたジョー表情には少し不快感が表われていたかもしれない。
取り巻きのケバケバしい女性達は好きにはなれなかった。
「いいさ。まだ若いんだからな。
 でも、お前みたいないい男は、狙っている女が多いからな。
 変なのに引っ掛からないで、いい女を選んでおく事さ。
 『サーキットのアイドル』とはお似合いのカップルだってサーキット中で噂持ち切りだったのに、残念だったな…」
「………………………………………」
ジョーはジョージがあのマリーンの事を知っているとは思っていなかった。
それ程ジョージはサーキットに出て来ていなかったのだ。
苦く、苦しい思い出が心を突き破って出て来そうになった。
今でもマリーンの事が愛しいのだ。
自分がその日に此処にいたら……。
助けてやりたかった……。
「じゃあな」
ジョージはジョーの心を揺さぶっておきながら、笑って手を振り、踵を返した。
「おい、走らずに帰るのかよ!?」
ジョーはポカンとして彼を見送った。
「……ジョージの奴、一体何をしに来たんだ?」
「ジョー」
後方から声が掛かった。
誰なのかは解っている。フランツだ。
「あいつは私物を整理しに来たのさ」
「レースから足を洗うって事ですか?」
「そうらしいな……。暴力団との付き合いもあったようだが、一体何を考えているのか。
 定職に就いたと吹聴して回っていたが、まともな仕事ならいいんだがね」
フランツの言葉に、ジョーも一抹の不安を覚えた。
一抹の不安は黒い染みとなって彼の心の中に広がって行った。
それは『悪い予感』の前兆だった。
そんな悪い予感を振り払うかのように、ジョーはコースを飛ばした。
今日もG−2号機は快適だった。
走っている内に不安は風と共に吹き飛んで行った。
それでいいのだ、とジョーは思った。
彼は忘れたい事や振り切りたい出来事があると、いつも此処に来て走っていたのだ。

「ジョー。ジョージ・ハリンストーンと言う男を知っているかね?」
南部博士をISOに送えに行った時にそう訊かれたのは、それから10日程経ったある日だった。
「ええ。サーキット仲間でした」
「『でした』と言うと、引退したのかね?」
「正確にはフェードアウトと言った感じですが…。
 博士、ジョージに関して何かありましたか?」
ジョーは悪い予感が的中したような気がして、眉を顰めた。
「情報部員からの報告なんだが、ギャラクターの女隊長と良く逢っていると言う話だ」
「え?女隊長と?!
 あいつ、俺に『女が出来た。結婚する』と言ったんですが、まさかその相手が……」
ジョーはその複雑な表情を南部には見せなかった。
「それは解らん。だが、ジョー。
 親交があるのなら君に彼を探って貰いたい」
「親交とは言ってもサーキット以外で逢った事はありませんし、自宅も知りません。
 まあ、伝手を辿ってやってみましょう。
 これは『任務』と言う事でいいんですね?」
「うむ。その通りだ」
「解りました。明日から早速行動に移ります」
ジョーは任務となれば、割り切って行動する事が出来た。
「ギャラクターの女隊長に何か弱みを握られて困っているのかもしれんし、既にギャラクターの隊員になっている事も考えられる」
「奴は定期収入が得られる仕事に就いたと言っていました。
 今の話を聞くと、どうもギャラクターに雇われたのではないかと言う気がして来ました。
 実は嫌な予感がずっとしていたんです」
「そうだったのか…。
 ジョー、くれぐれも気をつけてな」
「解っています」

ジョーは別荘で夕食を食べて行かないか、と言う南部の誘いを丁重に断って、トレーラーハウスへと戻った。
キーをサイドボードの上に置き、靴を脱いでベッドへ仰向けに転がると、頭の下で腕を組み、長い足を絡めた。
(ジョージがギャラクターだって!?)
ジョーの中ではそれは決まっていた。
違うと信じる余地が全くなかった。
(馬鹿野郎。何でそんな愚かな事を……)
嫌な予感は当たっていたのだ。
明日、サーキットに行ってジョージの情報を掻き集めてみよう。
ジョーならサーキットの係員から現住所を訊き出す事も可能だった。
フランツはジョージには暴力団関係との付き合いがある、と言っていた。
情報通のフランツにも出来れば話が訊きたい。
彼も本職があるので、毎日サーキットにいる訳ではないが、何となく明日は逢えるような気がしていた。
ジョーもフランツも、お互いに相手の正体を知りつつ、知らない振りをして接している。
南部博士が言っていた情報部員とは、実はフランツなのかもしれない、とジョーは思った。
今夜は考えても仕方がない。
眠れなくなるだけだ。
明日は早朝からサーキットに向かおうと思った。
ジョーはパスタで食事を済まそうと、準備に取り掛かった。
冷蔵庫にソースを作ってタッパーに入れた物がある。
それに簡単に具材を刻んで、茹でたパスタとフライパンで混ぜた。
軽く食事を済ますと、ササッと片付けてしまい、憂いを全部流すかのようにシャワーを浴びた。
彼は1日の終わりの儀式のように、疲れやマイナスな思考、悩み事や憂いを全てシャワーで洗い流してしまうのが習慣だった。
汗と一緒に洗い流してしまえば、さっぱりと忘れられる。
そう思うようにしているのだが、忘れられない事もこれまでに沢山あった。
(たった18年の人生でこれじゃあ、ジジイになったらどれだけ屈託が増えるのかね?)
と、ジョーは苦笑して、バスタオルを手に取った。




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