『人命救助』

ジョーのトレーラーを甚平が訪ねて来た。
約束通りの訪問だった。
「ジョーの兄貴。シチリアのコーヒー豆が入ったから、お姉ちゃんから差し入れだよ」
甚平は1kgの袋をテーブルに置いた。
「店で挽いて来たから、すぐにドリップ出来るよ」
「そりゃあ、悪いなぁ」
ジョーは嬉しそうに答えた。
「おいらがいつもご馳走になってるお礼だって!」
「そうか。じゃ、遠慮なく受け取っとくぜ」
甚平はジュンの許可を受け、月に1〜2回はジョーのトレーラーハウスに泊まりに来るようになっていた。
「おめぇは俺の処に来て楽しいのか?」
「うん。トレーラーハウスで好きな場所に移動して生活するなんて、男のロマンだよ。
 おいら、憧れるなぁ。
 いつも店の2階じゃ、気が休んだ気がしないんだよね。
 半分仕事みたいでさ」
「住所不定とも言うぜ」
ジョーはニヤリと笑って、貰ったコーヒーをドリップする準備を始めた。
「甚平も飲むか?それともジュースの方がいいかい?」
「うん。ジュースがいいな」
「そうか……」
ジョーは冷蔵庫からミックスジュースのパックを取り出した。
サイドボードからピカピカに磨き上げたコップを出して、ジュースを注ぐ。
トクトクトク…と音を立てながらコップが満たされた。
「まあ、まずはそれを飲んで人心地付けろよ」
ジョーは椅子を勧めて、自分はお湯を沸かす為にキッチンに立った。
「今日は何をしたい?サーキットか?カート場か?」
ジョーは引き締まった背中を向けて甚平に訊いた。
「何だかんだ言ってまだカート場には行ってないから行ってみたいけど、ジョーの兄貴にはそんな所は退屈だろ?」
「構わねぇさ。いずれ連れて行く約束だったんだ。
 じゃあ、飲んだら支度しろよ。
 カート場はサーキットの隣にあるんだぜ。
 今日は丁度、小学生対象の試乗会があるんだ。
 実を言うと既に甚平の名前で申し込んでおいたのさ」
「本当?ありがとう、ジョー」
甚平の眼が輝いた。
こう言った処、なかなか気が利くジョーであった。
「10歳以上ならレースに参加出来る『SLライセンス』と言う物を取る事も出来るんだぜ。
 その気があるなら取ってみてもいいんじゃねえのか?」
「おいらの年なら取れるんだね?いいかもしれない」
「無理をして急ぐ事はねぇ。
 今日の試乗会で本当にやりたいのかどうか考えてみるんだな」
「ジョーは10歳でその『SLライセンス』を取ったんだね」
「ああ、そうさ」
「それで頭角を表わしたって博士が言ってたな」
「さあ、飲み終わったら行くぜ」
ジョーはサイドボードの上からキーを手に取った。

カード場に行くと、ジョーはあっと言う間に子供達に取り囲まれた。
「レーサーのジョーだ!此処の出身なんだよな!」
ジョーは子供達の憧れの的だった。
「隣のサーキットから君の噂は流れて来ていたが、随分立派になったもんだな」
子供達を分け入って来た係員の男がジョーを見て相好を崩した。
「久し振りだね。いくつになった?」
「18です」
「史上最年少優勝の話は聞いた。
 将来を嘱望されているレーサーが、このカート場出身者だとは我々も嬉しいものだよ」
「何だか照れますが……」
「今日は?その子をカートに乗せに来たのかい?」
「ええ。興味があるみたいなんでね」
「小学生試乗会があるから、乗ってみるかい?坊や」
係員が腰を屈めて、甚平の頭を撫でた。
「おいら、もう11だから取ろうと思えば『SLライセンス』も取れるんだろ?」
「ほぉ。これはやる気満々だな」
係員は嬉しそうに笑った。
「ジョーの弟分なら相当出来るに違いない」
「それは解りませんが、やりたいと言うのならやらせてみようかと思いましてね。
 本人の将来は自分が決める事です。
 体験してみて、その気になれば自分から通うようになるでしょうよ」
ジョーは子供達の質問攻めを受け、甚平どころではなくなった。
甚平はちょっとジョーと親しい処を自慢したくなったが、必死でそれを抑え、係員の説明を熱心に聞いていた。

「カートはどうだい?初めてにしてはなかなかだったじゃねぇか。
 まあ、特別免許証も持っている位だから、予測は付いていたがな」
帰りのG−2号機の中でジョーがブレスレットに向かって言った。
甚平はG−4号機で後ろから着いて来る。
『おいら、やっぱりカートじゃなくて、ジョーみたいなストックカーやレーシングカーで走りたいな』
「そいつはまだ早いさ。あの世界に入るには、まずはカートから入っておくのが無難だぜ。
 甚平が本気ならな。
 別に無理をする必要はねぇ。
 やりたいと思えばやればいいし、その気にならねぇようならやらなければいい。
 それだけの事だ」
ジョーは軽快にステアリングを切っていたが、突然急ブレーキを掛けた。
『ジョーの兄貴。どうしたんだよ?』
甚平の問いには答えず、ジョーはG−2号機から飛び出した。
「どうしました?」
路上にぐったりと倒れている人間がいる。
人々が呆然と成す術もなく遠巻きに立っていた。
「どうやら轢き逃げに遭ったらしい……。
 誰か!救急車と警察を呼んでくれ!
 甚平、近くにAEDがないか探せ!」
周囲を取り囲んでいた人間が動き始めた。
「これがAEDだよ、坊や」
と我に返ってAEDを探し、甚平に渡してくれた人物がいた。
甚平は「ありがとう」と言ってそれを受け取り、ジョーの元に走った。
ジョーは頚動脈に触れている。
頭から血が流れていて、人々は怖がって近寄ろうとはしなかった。
「この中に医師の方はいませんか?」
ジョーが声を掛けたが、出て来る者はなかった。
「甚平。清潔なハンカチで、頭の傷を押さえろ」
「タオルがあるから、取って来る」
ジョーは甚平にそう指示をしながら、自分でAEDの使用を試みる事にした。
被害者の男性の胸を開き、音声の指示通りに、パッドをその位置に装着する。
パッドとAEDを繋げると心電図の読み取りを始めた。
『電気ショックが必要です』
と機械が告げた。
ジョーは頭の傷を押さえていた甚平に離れるように言った。
彼自身も機械の指示に従い、怪我人の身体に触れないようにした。
自動的に電気ショックが掛けられる。
『直ちに胸骨圧迫を開始して下さい』
その指示により、ジョーは心臓マッサージを始めた。
2分程経って、AEDが計測を始める為、作業を中断するようにとの指示が出た。
ジョーは汗を拭った。
暫くこれを繰り返している間に救急車のサイレンが聞こえた。
救急隊員がジョーと入れ替わった。

ジョーの早めの手当てによって、男性の生命は助かった。
AEDでの処置がなかったら助からなかっただろう。
警察がジョーに事情を聞こうとした時には、彼と甚平はその場を去っていた。
「表彰されるべき行動だったのに。
 今時の若い者にしてはしっかりしていた……」
目撃者達から事情聴取を終えた交通課の係長が呟いた。
しかし、どこで誰が見ているのか解ったものではない。
何時の間にか、レーサーのジョーが人命救助をしたと言う噂が広まり、後日養育者でもある南部博士の元に警察から表彰の話が来た。
「警察から君を表彰したいと言って来たんだが……」
ISOに向かうG−2号機の中で南部が水を向けると、
「世を忍ぶ科学忍者隊が表彰を受けたんではまずいでしょう。
 だから、早々に現場から離れたのに……」
「誰か見ていた者がいたようだな」
「そのようですね。甚平をカート場に連れて行った帰りでしたし」
「では、辞退と言う事で連絡をしておくが、いいかね?」
「当然です。俺だって分相応と言う言葉を知っているんですよ」
「ふふ。そうかね。解った。連絡しておこう」
南部は満足げな表情を見せた。
「それで、轢き逃げ犯は捕まったんですか?」
「警察の執念は凄まじいものでね。
 小さな証拠から固めて行って轢き逃げ犯を捕まえたそうだ」
「それは良かった…」
「甚平もカートに乗れて楽しかったようだ。
 君の処でバーベキューもやったと喜んでいた。
 ご苦労だったな、ジョー」
南部が労いの言葉を掛けてくれた。
「ありがとうございます。
 しかし、便利な物が出来ましたが、機械に指示を出されていると言うのも変な気分でしたね」
ジョーは快活に笑った。




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