『優等生』

最近南部博士の別荘にやって来た健はいつだって優等生で、同い年のジョーは周りから健と比較されて腐っていた。
彼だって本当は優しい心根を持つ少年だった。
それを解ってくれていたのは、南部博士と別荘の賄い婦であるテレサ婆さんとその周囲の一部の人間だけだった。
「ジョー君、そんな処で何をしているの?」
博士の別荘の敷地内にある広い花畑でボーっとしていると、テレサ婆さんに声を掛けられた。
「こんな下り坂に下りて来たら危ないよ…」
ジョーは呟いて、テレサの処まで駆け上り、腕を取って座らせた。
この時、ジョーは11歳、テレサ婆さんは73歳である。
緩いとは言え、此処は下り坂になっていたのだ。
「健君が来てから良く1人で此処にいるわね。
 まだ仲良く出来ないのかしら?」
「あいつは俺とは違ってみんなに愛想が良くて可愛がられているからな。
 俺はこんな奴だし、別にちやほやされたい訳じゃない。
 それだけの事だよ」
「健君は確かに優等生だけど、自分に素直に、正直に生きているジョー君だって、そう言う意味では人生の優等生よ」
「俺が優等生?そんな筈がないよ」
テレサ婆さんはそんなジョーの頭を抱き寄せた。
「貴方は素直に生きている。
 思った事をそのまま吐き出して…」
「でも、それで知らない内に人を傷つける事もある…」
ジョーは眼を伏せた。
「それを知っている事が大事なのよ。
 健君は純水培養されているけど、まだそこまでは解っていない。
 貴方にどう接して良いのか、困っているみたいよ」
「俺は無理に仲良くしようとは思わないんだ。
 あいつと俺は違う。生まれた土地も育ちも違う。
 俺はあいつのような優等生にはなれないし、なろうとも思わない」
テレサが慈愛に満ちた表情で、ジョーをキュッと抱き締めた。
「ジョー君はジョー君でいいのよ。
 無理をする事なんてない。
 貴方らしく育って欲しいと思うわ。
 貴方は充分に優しい心を持っているし、それが解らない人には解らないままでもいい」
「そう思ってくれるの?」
ジョーがテレサを振り仰いだ。
「そうよ。私はそう思うわ」
ジョーは立ち上がってジーンズをパンパンとはたいた。
「部屋に帰るよ。テレサ婆さんも帰ろう。
 俺が手を引いて上げるから。
 この坂を上るのは結構大変だろ?」
ジョーは花を数本摘んだ。
「これ、上げる……」
ぶっきら棒にテレサに向かって突き出した。
「ありがとう。大切に花瓶に飾っておくわ」
テレサがジョーの頭を撫でてから「よっこいしょ」と立ち上がった。
「さあ」
ジョーは優しくテレサの手を取った。
テレサ婆さんが自分の事を解っていてくれるだけで充分だ、とジョーは思った。
この時の花をテレサが押し花にして大切に保存していたとまでは、彼は知らなかった。

7年前の事を突然思い出して、『スナックジュン』のカウンターで物思いに耽っていたジョーに、甚平が何度も声を掛けていた。
「ジョーの兄貴。どうしちまったんだい?」
「あ?……悪いな、考え事をしていた」
「解った!女の人の事だろ?」
「女の人か。確かにそうには違いねぇ」
ジョーはプッと吹き出した。
「今年で80歳の妙齢の女の人の事だ」
「何だぁ。恋人の事でも考えてるのかと思った」
「そんな暇はねぇだろう。任務がある間は恋愛をするつもりはねぇ」
「あ〜あ、ジョーの兄貴はモテるのにな」
「科学忍者隊である以上、仕方がねぇだろ?
 もう1杯エスプレッソを淹れてくれ」
「はいよ〜」
「テレサお婆さんの事を思い出してた?
 何だか遠い眼をしていたわよ。
 逢いたくなったんでしょ?」
皿を拭きながら、ジュンが言った。
「健が博士に引き取られた頃の事さ。
 あいつはあの頃から優等生だった。
 全く科学忍者隊のリーダーになるべくしてなったと言う感じだな」
「ふ〜ん。いい子ちゃんだったって事?」
甚平がエスプレッソをジョーの前に出しながら口を挟んだ。
良い香りが漂う。
「勉強も出来たし、大人の中で上手く可愛がられるように振舞っていた。
 それは本人の意思ではなく、無意識にだ。
 まさに良く出来たガキって感じだったぜ」
「健らしいわね。でも、ジョーだって素行が悪かったと言う訳ではないんでしょ?」
「早くからサーキットに出入りしていたからな。
 故郷にいた頃は悪い友達と付き合っていたが、南部博士に迷惑は掛けられねぇと言う意識がどこかに働いていたらしい。
 柄はこの通り良かぁねぇが、そこそこ品行方正に暮らしていたと思うぜ。
 健ほどではねぇがな。
 ただ、生意気で気難しいガキだった事は確かさ」
「ああ、何となく解る気がする!」
甚平が指を鳴らした。
「ちぇっ、小生意気なガキだぜ」
ジョーは2杯目のエスプレッソを味わった後、尻ポケットから財布を取り出した。
「そう言や、この前来た時、急な任務で金を払ってなかったな。
 甚平、いくらだ?」
「ジョーったらそう言う処はどこかの優等生さんと違って律儀ね〜」
ジュンが悪戯っぽく笑った。
「おけらのリーダーさんはバイトかい?」
「そうみたいね…」
「少しはリターンがあるといいな。じゃあな」
ジョーは支払いを済ませるとスタイリッシュに出て行った。
「急にそそくさと帰ったね」
「多分、テレサお婆さんに逢いに行ったのよ」
ジュンが微笑ましそうに呟いた。




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