『空のパノラマ、夕陽の道』

「博士、ちゃんと休んでいるんですか?」
南部博士を別荘に送る車の中、ジョーは訊いた。
今日もG−2号機は快適だ。
ジョーから見ると、南部博士はいつもスタイリッシュだが、どう考えてもオーバーワークにしか見えない。
ISO、三日月基地、別荘と年中あちこちに移動をしているが、別荘でもどうやら休んでいるとは思えない。
何かの研究を常に行なっているようだ。
「ちゃんと寝てらっしゃいますか?」
それは無理だろう。
ギャラクターが出て来た時には夜中ですら、きちんとスーツを着て自分達に指令を出す南部博士である。
「私は短時間で効率的に居眠りをするのが上手いのだ」
「それなら、移動中も寝て下さい。
 何かあったら起こしますから。
 隙を見せまいと言う気持ちは解りますが、俺の前ではいいんじゃないですか?」
南部は一瞬虚を突かれたような顔をした。
確かにそうかもしれない。
10年も一緒にいるのだ。
だが、今は司令官と科学忍者隊の一員と言う立場なので、博士はその一線をキッチリと守っていた。
博士の表情は一瞬で隠された。
「執務室で休むから心配しなくて良い」
そう言うと、手にした書類ケースから何やら資料を取り出して読み耽り始めた。
「博士、揺れる車の中では益々眼が悪くなりますよ」
今日のジョーは、如何にも博士の体調を心配している事が解る。
博士もそれは解っていたから、黙って資料を仕舞った。
「博士、外を見て下さい」
ジョーが言うので外を見ると、虹が出ていた。
先程通り雨があったのである。
「虹なんかゆっくり見た事もないでしょう?」
ジョーはG−2号機を近くの丘の上に停めた。
此処は彼の定番の場所でもあった。
空を眺めたくなるとやって来る場所だった。
そろそろ虹が出るのではないかと思って、実はちょっと遠回りをしていたのだ。
「ほう…」
博士も言葉を失った。
「外に出て下さい」
ジョーはドアを開けて、南部を促した。
それからトランクから折り畳み椅子を取り出して勧めた。
「虹が消えるまで休んで行ってもいいんじゃないですか?」
ジョーはそう言うと、博士の後ろに回って肩を揉み始めた。
思った通り酷く凝っている。
ジョーは丁寧にそれを揉み解した。
「ジョー……」
「いいから、博士はゆっくり虹を『観察』していて下さい」
肩、首、背中、と良い力加減でジョーはゆっくりと揉んで行った。
博士は疲れが癒される思いだった。
ジョーの手の温かさが伝わって来た。
博士は思わず胸が熱くなり涙しそうになって、慌てて眼にゴミが入った振りをした。
あんなに傷ついた8歳の子供が、此処までに回復し、立派に10年が過ぎている。
ジョーの傷は身体だけではなかった。
心も激しく傷ついていた。
正直、その生命を助けた事が罪だったのか、と思い悩まされる夜もあったのだ。
両親と共に逝かせるべきだったのか、と。
しかし、今はこれで良かったのだと思っている。
科学忍者隊に入れた事については、ジョーの両親がどう思っているのか気になる処だが、ジョーは恐らく1人でもギャラクターに復讐を挑んだ事だろう。
これで良かったのだ、と思いたかった。
『ジョー、君は幸せなのか?』
そんな言葉が出そうになって、博士は何度もそれを呑み込んだ。
幸せな筈がない。
自分が闘いの渦に巻き込んだのだから。
1人で闘うよりは今の状況の方がマシだろうが、どちらにしてもジョーの運命には暗雲が垂れ込めているように思われてならない。
博士はその考えを頭(こうべ)を振って振り切った。
こうして自然を見る余裕がジョーにはある。
本人はそれなりに自分の18歳らしい人生を謳歌しているのだと思って遣りたかったし、自分自身がそう思いたかった。
ジョーの肩揉みはプロ級で、血液の流れの滞りが無くなって行くような気がした。
「そろそろ虹が消えますね。
 これから夕焼けのパノラマが拡がりますよ。
 此処から見る夕陽は絶品です」
ジョーはまだ手を休めなかった。
博士の時間を多少奪う事になっても、その疲れを少しでも取ってやりたいと考えていた。
自分に夕陽を見せるまではジョーはやめないだろう、と南部は思った。
そこで初めてジョーに身体を委ねた。
その変化はジョーにも伝わった。
「済まないね、ジョー」
「いいえ……」
それ以上2人は語らなかった。
水に朱を溶かしたような美しい夕陽が拡がり始めていた。
「海を見て下さい。夕陽の道がこっちに向かって出来ていますよ」
ジョーの言葉に博士はそこから見える海に眼を転じた。
美しかった。
筆舌に尽くし難い美しさだった。
ジョーはこんな風景を見て過ごしていたのか。
「時々此処にトレーラーを持って来て、一晩を過ごす事もあるんですよ」
そんな事を言うジョーの瞳は穏やかだった。
南部は頷いた。
「うむ。確かに君の言う通り、私は自然に眼を向ける余裕が無かったようだ…。
 ジョー、礼を言うよ」
「そんな…。俺はただ博士に休む事も必要だと言う事を思い出して欲しかっただけですよ」
ジョーは照れ笑いをした。
夕陽が沈み切る前にジョーは博士をG−2号機に迎え入れた。
「さあ、そろそろ戻りましょう。
 冷えると行けませんしね。
 博士は大事な身体ですから。
 風邪でも引かせたら俺は切腹物です」
ジョーが冗談めかして言った。
切腹などと言う言葉を知っているのか、と南部は意外に思ったが、黙っていた。
慣れない日本の文化を知る為に、ジョーもまたいろいろと勉強し、様々なものを吸収したのだろう。
南部はそう思うと、口元に微笑みを浮かべた。
薄暗くなって来たので、ジョーには見えなかったようだ。
「すみません。ちょっと寄り道し過ぎましたね。
 急いで帰りましょう」
「構わんよ。ジョーには良い物を見せて貰った。
 お陰で疲れも癒えたよ。
 気を遣わせて済まなかったね…」
「いえ、別に俺は何も……。
 自分が寄り道したくなっただけかもしれません」
ジョーの言葉は照れ隠しだ。
南部には解っている。
「さあ、帰って君もテレサの料理を食べて行きなさい。
 これは命令だ」
「……解りました。そうさせて貰います」
ジョーはバックミラーの中で、フッと笑った。




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