『自制』

「どうした甚平。
 またインフルエンザにでも罹ったか?
 顔が赤いぜ」
ジョーは本気で甚平の額に自分の額を当てた。
「熱じゃねぇみてぇだな。
 だとしたら…まさか恋煩いか?」
「全く、ジョーの兄貴には敵わないや」
昼下がりの『スナック・ジュン』での会話である。
今はこの2人しかいなかった。
「そのまさかが正解か?」
ジョーはニヤニヤした。
「これがあのトンチキさんだったら、すぐに忘れろ、と言う処だろうな」
「でも、ジョーの兄貴だって、恋をしないように自制してるでしょ。
 おいら知ってるよ」
「仕事に身が入らねぇ程、イカれちまったみてぇだな。
 俺が頼んだのはいつものエスプレッソだぜ。
 こいつはウインナーコーヒーじゃねぇか」
ジョーは呆れ顔になったが、それでも、それを黙って飲んだ。
「んで?どこで知り合った?この店か?」
「そう…。さっきお母さんが連れて来たんだ。
 10歳位の可愛い女の子でさ〜。
 近くに引っ越して来たんで、たまに寄らせて下さいって。
 その子、あきちゃんって言うんだけど、おいらの料理が美味しかったって言ってくれてさ」
ジョーは(何だ、それだけか…)と内心で呟いていた。
どうやら甚平の一方的な片思いで、まだ1度しか逢った事がないようだ。
心配をして損をした。
「まあ、好きになるぐれぇは自由だからな。
 科学忍者隊としての任務を怠らなけりゃ別に構わねぇんじゃないか?」
ジョーは健よりも寛大だった。
(それに甚平はまだ子供だ。
 色恋沙汰と言ったって高が知れている。
 俺達の年代とは違ってまだまだ可愛いもんだぜ…)
ジョーはそう思いながら、コーヒーを飲み干した。
ジョー達上の3人は既に大人の身体をしていた。
だから、より恋愛を自制しなければならなかった。
竜は余り自制する気がないようだが、相手がいない。
健は自制している為にトンチキを装っているのか、本物のトンチキなのか今ひとつ解らねぇ、とジョーは思っている。
自分は……。
女性との出逢いは沢山あるし、言い寄られた事も1度や2度ではなかった。
バレンタインデーになれば、チョコレートが山ほど届いた。
だが、ジョーは女性に入れ込まないように注意していた。
自分の任務の事もあるし、レーサーと言う職業柄、いつだって生命の危険に晒されている。
女性を哀しませるのは、自分にとっては不本意だった。
マリーンのように逆のパターンもあったが。
18歳らしい若い欲望は彼は死ぬまで自制し続けたのである。
恋愛の事など、ギャラクターを斃してから考えても遅くはないと思っていた。
健のように隊内での恋愛であれば問題はないが、自分は外部の人間と恋をする事になるだろう。
科学忍者隊として死地に赴いている間は無理だと諦めていた。
死んだマリーンの事は今でも思う事はあったが、彼女には彼女の死によって『振られた』のだ。
恋愛感情がハッキリして来る前だったし、自制以前の問題だった。
ジョーが本気で思った女性はまだ彼女しかいなかった。
自制心を乗り越えて心の中に入って来た存在だったのだ。
だが、その時には彼女は亡くなっていた。
突然物思いに耽ってしまったジョーを、甚平が呼んでいた。
「ジョーの兄貴!……ジョーっ!一体どうしちまったの?」
「あ?ああ…。すまねぇな。ちょっと考え事をしてしまった」
「女の人の事?」
「馬〜鹿!おめぇと一緒にすんな」
ジョーは甚平を軽く小突いた。
確かに『女の人』の事だった…。
なかなか鋭いぞ、このガキ。
ジョーは甚平を侮れないと感じた。
「またその子が来てくれたらいいな」
「うん…」
また赤くなった甚平を、ジョーは可愛い奴だと思った。
まだ素直なのだ。
男としても成熟していない子供なのだ。
この歳にしては、辛い物を沢山見て来ただけに、人に対しても優しい行動が取れる。
「甚平。おめぇは将来きっと凄くいい男になる。
 女の人を幸せに出来る男にな。
 だから、恋愛に焦る事はねぇ。
 自分の気持ちに正直になるのもいい事だが、まあ、エスプレッソとウインナーコーヒーを取り違えねぇぐれぇにしておけよ」
「あ、ごめんよ、ジョー…」
「いいって事よ」
ジョーは拘りなく笑った。
「ウインナーコーヒーは幾らだったっけか?」
「いいよ。おいらが間違ったんだから」
「じゃあ、口直しにエスプレッソを淹れてくれ」
「うん、解った!」
甚平は丁寧にエスプレッソを淹れ始めた。
ジョーはそれを眺めながら、自分の11歳の頃を思い浮かべた。
恋なんてまだしていなかったな…。
カートに夢中になっていた。
甚平は同じ年頃の子供達と接する機会が余りないせいで、子供らしい事も出来ず、ませてしまったんだな、とジョーは思った。
そう思うと、甚平は可哀想な子供だ。
だが、それも任務の為。
甚平自身も割り切っている。
ジョーはそれを全て受け止めた上で、甚平のまだまだ幼くて可愛い恋を応援してみたい気持ちになっていた。
母親と一緒なら、甚平は見ていてドギマギする程度だろう。
その程度の事には何の弊害もねぇじゃねぇか。
ジョーはそう思いながら甚平が淹れたエスプレッソを受け取った。
鼻を擽る良い香りが漂う。
これを飲み終えたらサーキットに行こう。
そしてマリーンが死んだ場所に花でも供えよう。
最後のエスプレッソを味わうと、小銭を取り出した。
「ジョー、ウインナーコーヒーの分はいいよ」
「構わねぇから取っておきな。
 大した額じゃねぇが、おめぇの小遣いにしても構わねぇぜ」
颯爽と立ち上がると、ジョーは出口に向かった。




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