『マーズ引き寄せ計画〜番外編』

パチンパチン…。
何の音だろう。
誰かが暖かい手で俺の手を握っている。
パチンパチン…。
お袋が爪を切ってくれているのか?
パチンパチン……。
ジョーはついに眼を開いた。
「ジュンっ!」
ジョーはガバッと跳ね起きた。
…つもりだったが、余りの痛みに動く事は出来なかった。
「うっ!」
背中にバズーカ砲による銃撃を受け、彼は側臥位で休まされていた。
手術は無事に済んだが、数日意識不明の状態が続いていた。
「ジョー。良かったわ。意識が戻って……」
ジュンが涙を拭いた。
「おめぇ…何してやがるんだ?」
「ジョーが眠っている間に、爪が伸びたな〜と思って…」
ジュンが微笑んだ。
「ジョーはちゃんと生きているって解って嬉しかったの…。
 だから、きちんと切り揃えてまた伸びて来るのを待っていよう、って……」
ジュンは溢れる涙を堪え切れなくなって、腕でその涙を止めようとした。
「どうして泣いたりしてるんだ?
 俺は健じゃねぇぜ。
 俺はおめぇに助けられたって言うのによ…」
ジョーは自嘲的に呟いた。
「違うわ。あの時、ジョーが私を庇ってくれなかったら、私はバズーカ砲で撃たれて死んでいたわ」
「あの時は、任務の遂行の事しか頭になかったのさ」
「それだけじゃないでしょ、ジョー…。
 貴方は仲間の死を見たくないのよね……」
ジュンは優しい声をジョーの上に降らせた。
まるで母親の声のようにジョーは一瞬だが錯覚した。
「爪なんて自分で切る。
 切れなきゃ看護師がやるだろうぜ。
 何もおめぇがやらなくたって…。つっ!」
「馬鹿ねぇ。まだ動いちゃ駄目よ、ジョー」
ジュンはずれたシーツをジョーの身体に掛け直した。
「やっと意識が戻ったのよ。お医者様を呼ばなくちゃ。
 でも、もうちょっとだから、爪を切ってしまいましょう」
「おめぇ、何考えてるんだ?」
「言ったでしょ。ジョーが『生きてる』って実感出来て嬉しかったって……」
「俺が死ぬ訳がねぇさ」
「そうね。何度も死地を潜り抜けて来たんですものね。
 でも、今回は駄目かと思った。
 私達、もう少しで溺死する処だったんだもの」
「そこから俺を救い出したのはおめぇだ。礼を言うぜ。
 つまりはお互い様って事だな」
「そりゃあ、大切な仲間ですもの。
 ジョーの優しさを私は知ってる。
 仲間を死なせたくないのは、貴方と同じよ」
ジョーは痛みに背を丸めながら、「けっ」と言った。
「俺はよ。そんなに甘い奴じゃねぇつもりなんだが…」
「駄目よ。少なくとも健と私には本性を知られていると思っていて」
ジュンはジョーの両手の爪を切り揃えて、ティッシュに纏めてゴミ箱に捨てた。
案外女の子らしい処があるじゃねぇか、と、ジョーはその一連の動きをぼんやりと眺めていた。
「大丈夫?苦しい?」
「いや…」
「今、ナースコールをするから。
 先生のOKが出たら、吸い飲みの水を飲ませて上げるわ」
「全く子供扱いだなぁ」
ジョーは唇を曲げた。
「たまにはこんな事があっても良いのではなくて?
 ジョーはもう少し仲間に甘えても良くってよ」
ジュンがナースコールのボタンを押した。
「あ、ジョーが意識を取り戻したのでお願いします」
短く言ってナースコールを切ると、ジュンはにっこりと笑った。
「私はその方が嬉しいわ。
 健だってそう思ってる。
 甚平だって竜だってきっとそうよ。
 貴方が心を開いてくれるのを待ってる」
「別に俺は殻に篭ってるつもりはねぇがよ」
ジョーは捻くれたように顔を背けた。
「つもりはなくても、そうなのよ。
 私達との間には見えない壁がある。
 いい加減、もうその壁を破ってくれてもいいと思うわ」
「………………………………………」
「さっき、意識を取り戻す寸前、貴方、お母さんの事を思い浮かべていたでしょ?」
「どっ…どうして解る?」
「解るわ。何となくだけれどね。
 貴方はいいわね。ご両親の記憶があって……」
「ジュンは全くねぇのか…」
「ないわ……」
「だがよ。記憶があればいいってもんでもねぇぜ。
 俺の最後の記憶は悲惨なもんだった……」
「それでも、貴方の記憶はそれだけではないでしょ?
 良かった時期もあるでしょう?」
「………………………………………」
ジョーは押し黙った。
確かにそうだ。
お互いにない物ねだりをしていると言う事か…。
ジョーがそれを言い出す前に、医師と看護師が現われたので、彼は言う事が出来なかった。
だが、ジュンは黙って頷いた。
ジョーが言おうとしていた事を正確に理解したかのように。
「まあ、いいわね〜。彼女さん?」
看護師長がジョーをからかうようにして覗き込んだが、ジョーは顔色ひとつ変えずに、「仲間ですよ」とだけ答えた。
「こいつの好きな男はもっと色男ですから」
ジョーはぶっきら棒に答えた。
「あら、貴方も色男よ」
師長が笑って見せた。
「看護師の間では人気No.1です」
そう言いながら、彼の手首を取って脈を計る。
「血圧を測りますので、安静にして下さい」
身体の右側を下にして横になっていたので、彼の左腕に血圧計が巻かれた。
ジュンは離れて見守る。
医師はジョーの顔色を観察し、看護師が広げた背中のガーゼをそっと剥がし、傷口を見ている。
傷跡はジュンも眼を背けたくなる程酷いものだった。
傷口が抉れていたが、医師は微笑んだ。
「肉が盛り上がって来ている。
 さすがに鍛え上げた肉体をしているだけあるね。
 意識も戻ったし、血圧も呼吸も全て正常だ」
看護師が見せたデータを見て、医師も安堵したようだ。
「ジュンさんとやらも毎日ご苦労様でしたね」
医師がジュンに微笑んで見せた。
「いいえ、彼に助けて貰ったもので…。
 助かって欲しいと必死だっただけです」
ジュンは俯いた。
本当にジョーが無事で良かった…。
そう心から胸を撫で下ろすジュンであった。
医師が帰った後、ジョーはジュンを見た。
「ありがとよ、ジュン。
 店もあるのによ。
 俺の事なんかより、しっかり健の心を掴んで離さねぇようにしていなけりゃ駄目だぜ。
 さっさとけぇりな。
 店に健が来ているだろうぜ」
「ううん。みんな此処に居るわよ」
ジュンが立って行って病室のドアを開けた。
「みんな、ジョーはもう大丈夫よ」
外から歓声が聴こえた。
「ねぇ、お姉ちゃん、入ってもいい?」
「静かにしなさいよ。ジョーはまだ意識を取り戻したばかりだし、痛みもあるんだから」
「やった〜っ!」
甚平のはしゃぐ声を聴いて、ジョーは一瞬胸に迫るものを感じた。
それを慌てて飲み込んで、彼にはこれから現われる仲間達の姿に備えて心を立て直す必要があった。




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