『バレンタインデーの受難』

「よう!」
ジョーがダンボールを抱えて、『スナックジュン』に入って来たのは、夕刻の事だった。
「ほう、今年はダンボールか?」
健がニヤリと笑った。
「これだけじゃねぇんだ…」
ジョーはダンボールを2つ重ねていたが、1度ガレージに戻ってもう1箱持参していた。
「余りにも多いんで、おめぇ達に好きな物を選んで貰ったら、後は施設にでも寄付しようかと思っている」
「ダンボール3つと、手提げ袋3つかぁ。
 凄いなぁ、ジョーの兄貴……」
甚平が思わず指を咥えた。
「ISOや博士の別荘、サーキットにまで呼び出されて、参ったぜ……」
ジョーはグロッキー気味だった。
これが毎年の事なのだ。
「人気レーサーは大変ね。
 甚平、エスプレッソを淹れて上げて」
皿を拭いていたジュンが言った。
「ISOの職員からのまであるんだぜ」
ジョーは本当に辟易していた。
「健、おめぇにも預かっている。
 この袋の中身は全部おめぇ宛てだ」
「ええっ?!困ったなぁ。俺にはお礼が出来ないよ」
おけらのリーダーは心底困った顔をした。
「俺の身にもなれよ。
 これだけの数のお礼をしたら、すっからかんだ」
「いっその事、本命以外はお礼をしなければいいんじゃねぇの?
 そうすれば、相手に希望を持たせる事もあるまいに」
竜が呟いた。
「それもそうだな……」
「そうよ、ジョーはマメ過ぎるのよ」
ジュンが同意した。
「で?おめぇはどうしたんだ?ジュン」
ジョーの言葉にジュンは声を落とした。
「まだなの……」
「は?」
問い掛けるようなジョーに向かって、甚平がその話はやめろ、と目配せしている。
ジョーは押し黙った。
「はい、コーヒー入ったよ」
甚平が差し出したエスプレッソを飲んで、「温まるなぁ」と呟いた切り、ジョーはまた黙り込んだ。
どうも険悪な空気が流れている。
ジュンはバレンタインデーのプレゼントを健に出し損ねているようだ。
「ジュンの奴、健と何かあったのか?
 甚平の協力を仰いで、張り切ってチョコレートを作っていたじゃねぇかよ?」
ジョーは竜を引っ張って小声で訊いた。
「それがよ。チョコレートはプロが作った物に限るとか何とか健が言っちまってよ」
竜が困った顔をした。
「俺も手作りのチョコレートを貰っているが、本気出されると困るってのはあるけどよ。
 健とジュンの場合はそう言う訳ではあるめぇ。
 去年のはテレサ婆さん監修だったし、そこそこ上手く行っていた筈なんだが……」
「おらもそう思うんだがよぅ……」
「おい、2人で何をごちゃごちゃ話しているんだ?」
健が気にして訊いて来た。
「いや、竜がこのダンボールの中身を全部くれって言うから、窘めていた処だぜ」
「竜、それは良くない。
 それ以上太ったらどうする?」
健は腕を組んで眉を顰めた。
(おめぇの事なんだよ!)
ジョーは苦虫を噛み潰した顔で、竜と顔を見合わせた。
それを見ていた甚平は笑いを噛み殺していた。
ジュンだけが憂鬱な表情だった。
「形なんか少しぐらい悪くたっていいじゃねぇか…。
 心が篭っていれば。
 なぁ、ジュン……」
ジョーはジュンにしか聴こえないように小さく呟いた。
「いいのよ、ジョー。もう諦めたわ。
 このチョコレート、貴方に上げようかしら?
 ……と思ったけど、甘い物は苦手だったのよね」
ジュンは心から傷ついている様子だった。
それが良く解るだけに、ジョーは健を後ろからど突いてやろうかと思った程だ。
だが、そのオーラを出せば、健は誰よりも敏感に気付く。
ジョーは、だからそれを抑えていた。
いや、いっその事、殺気を発してやろうか?
ジョーが考えている事は、ジュンにも解っていた。
「ジョー、本当にいいの。
 これはみんなで食べましょう」
ジュンは折角綺麗な包装紙で丁寧に包んであった健の為に手作りしたチョコレートを自ら開封し始めた。
「おい、ジュン!」
ジョーは思わず大声を出してしまった。
甚平も竜もありゃ〜と言う顔をしている。
「ついにお姉ちゃんがキレたか?」
甚平は指を咥えて、「あわわわ…」と恐れをなしている。
「健、この憂鬱な日を何回俺達に味わわせれば気が済むんだ?」
ジョーは健の胸倉を掴んだ。
「ジョー、やめて。
 私の為にそんな事をする事はないわ」
ジュンは意外にも落ち着いていた。
「これ、『みんなの為に』甚平と一緒に作ったのよ。
 みんなで食べて頂戴。
 今日はバレンタインデーですからね。
 味は甚平の保障付きよ。
 健は貰ったプレゼントを食べればいいわね」
最後の言葉には棘があった。
その棘を感じ取ったのは、健以外の全員だったが、当の本人はケロッとしていた。
「うん、じゃあ、このジョーがISOから持って来た俺の分を食べるとするか。
 高級そうだな……」
ジョーは頭を抱えた。
(お前、空気読めよ!)
と叫び出したい気分だった。
終いにはジュンに肩を叩かれる始末で、ジョーは益々落ち込んだ。
「ジョーの兄貴が落ち込む事じゃないじゃん」
甚平にまで言われてしまった。
「ジュン、去年も同じ事を言ったような気がするが……。
 他にいい奴を見つけたらどうだ?」
「そうしようかしら?
 ……って、私も同じ事を言ったような気がするわ」
ジョーとジュンは互いを見合って苦笑いした。
「でも、また来年同じ騒ぎが起きるんだろうな。
 今から覚悟しておくぜ」
ジョーはついに笑い始めた。
この2人の遣り取りを漫才だと思えば、結構楽しめる。
来年からは気を揉むのはやめよう、と誓うジョーだった。
だが、きっとまた来年もジュンの受難と憂鬱を心配気に見守ってしまうのだろう、とも思った。
ジュンが開いたチョコレート菓子は生チョコタイプで、形は良くなかったが、存外良く出来ていた。
ジュンはそれを『4等分』にして、健には一切食べさせなかった。
白い皿に乗せて、粉砂糖を掛けて完成させ、それぞれの前に置いた。
ジョーは甘い物は苦手であったが、この状況では食べない訳には行きそうにない。
「せ…折角だからな。戴くぜ」
竜が旨そうに食べているのを見届けてから、ジョーは一欠片を齧ってみた。
ビター風味でそれ程甘くはなく、ジョーにでも行けた。
コーヒーにも合う。
「おお、旨いぜ、ジュン。
 これなら甘過ぎなくてありがてぇ」
「こんな事になるかも、と思って、今回のレシピはビター味にしておいたんだ」
甚平が自慢気に答えた。
「手作りの味の方がずっと行けるのにな。
 誰かさんは余計な事を言って食べ損ねたな」
ジョーの言葉に健が振り返ったが、4人はその後黙々とジュンのチョコレートを食べた。
こうして、今年もジュンにとってもジョーにとっても、受難のバレンタインデーが幕を閉じた。




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