『無い物ねだり』

「ジョーの兄貴。大人は何でみんな口髭を生やしているのかなぁ?」
『スナックジュン』で2人きりの時に、甚平が皿を洗いながら突拍子もない事を喋り始めた。
確かに南部博士を始めとして、レッドインパルスの隊長、アンダーソン長官も口髭を生やしている。
「何でそれを俺に訊く?」
ジョーは読んでいた母国語の新聞を折り畳んで、甚平の相手をする用意をした。
「だって、ジョーはサーキットで大人達に囲まれているからさ」
「ああ、なる程。でも、サーキットに出入りしている大人がみんな髭を生やしている訳ではねぇぜ」
「それは解ってるけどさぁ……」
「まあ、威厳を出そうとかお洒落でやっているとか、そんな処じゃねぇのか?」
「い…イゲン?」
「堂々としてるって言うかな?
 『力』がある事を象徴しているって言ったらいいのかな?」
「力?」
「腕力の事じゃねぇぜ。『能力』と言った方が近い」
「ふ〜ん…。確かに南部博士は凄い能力を持っているね」
「レッドインパルスの隊長にしたって博士と方向性こそ違うがそうだろ?
 あの健が敵わねぇぐらいの技量を持ってる」
「うんうん、解るような気がして来た」
「博士の場合はどっちなのか、知らねぇけどな。
 俺も訊いた事はねぇし、訊けねぇよな…」
「ふ〜ん、ジョーでもそんな事があるんだ」
「当たりめぇだろうよ!」
「ふ〜ん……」
甚平は再び同じ事を言った。
「博士の場合、お洒落なのかもしれねぇな。
 博士にはISO内でも俺達に対しても威厳が必要かもしれねぇが、博士の髭は何となく優しい感じがするだろ?
 アンダーソン長官もそうじゃねぇか?」
「うん、そうだね…」
甚平は皿を洗い終え、布巾で丁寧に拭き始めた。
甚平には少しシンクの高さが高いので、台座を持って来て其処に乗っている。
「おいらもその内生えて来るのかなぁ?」
「そりゃあそうだろうぜ。よっぽど男性ホルモンが少なくない限りは生えて来る。
 時期には個人差があるがな」
「おいら、髭が生えて来たら、伸ばしてみようかな?
 少しはイゲンが出るかな?」
「おめぇには髭は似合わねぇよ。後数年すれば生えては来るだろうが、もっと年を喰ってからでいい」
「そぅお?」
「ああ、そうだ。自分で解る日が来るだろう。似合うか似合わねぇかはな」
「ジョーの兄貴は似合いそうだね」
「さあ、どうだかな?」
ジョーはもう話に感心がなくなったかのように、また母国語の新聞を開いた。
「さっきからその新聞を熱心に読んでいるね。何が書いてあるの?」
「故郷で火山が爆発したらしくてな…」
ジョーの表情は曇った。
「そうなんだ。心配だね」
「まあ、10年も帰ってねぇ故郷だがな」
ジョーは話を締め括り、「ジュンは仕入れか?」と訊いた。
「うん、それと何だか用事があるみたいだぜ」
「ふ〜ん、用事ねぇ。健の誕生日でもねぇし、化粧品でも買いに行ったか?」
「お姉ちゃんが化粧なんかしても変わり映えしないよ」
「おいおい、甚平も酷ぇ事を言うもんだな。
 あれでジュンは美少女の部類に入るんだぜ。
 だから俺の取り巻きに焼餅を焼かれたんだ」
「そんなもんかねぇ?」
甚平は皿を拭きながらブツブツ言っている。
ジョーはおかしくなって噴き出した。
「あら?ジョーお褒めの言葉、ありがとう」
ジュンの弾んだ声が店のドアから入って来た。
(しまった、聴かれてたか!)
ジョーは舌打ちをした。
今の発言は、仲間内の中では自分らしくなかった。
だが、どうせ甚平から漏れ伝わったに違いない。
一旦出した言葉は戻せない。
「とにかくな、甚平」
ジョーは話を急に戻した。
「威厳が欲しいだなんて、おめぇには30年早いぜ」
「だってさぁ。みんなに子供扱いされるから……」
「おめぇは正真正銘子供だ。無理に背伸びをする必要はねぇんだぜ」
ジュンは2人の会話を黙って聴いていた。
ジョーが甚平を『教育』してくれているようだ。
仕入れた荷物をテーブル席に置いて、自身もそっと席に着いた。
「無い物ねだりをする必要はねぇ。
 人間は嫌でも大人になる。
 俺や健なんかは後2年で成人だ。
 今は子供時代を楽しんでおけよ。
 おめぇは小せぇ時から科学忍者隊として訓練を積み、活動して来た。
 だが、11歳と言う時は今しかねぇんだ。
 子供らしい事を沢山経験しておけ」
「おいら…。子供扱いが嫌なんだよ」
「そうか…。でも、科学忍者隊としては、おめぇは立派に隊員として活躍している。
 おめぇが一人前以上の存在だと言う事は誰もが認めているぜ。
 ただ、おめぇは科学忍者隊の中で弟分的存在だから、みんながおめぇを可愛がって『兄貴』の気分になりてぇだけなんだ」
「………………………………………」
「甚平にはジュンがいる。ジュンには甚平がいる。
 竜には故郷に帰れば両親も弟もいる。
 だが、俺と健には兄弟も親もいねぇ」
「ジョー……」
甚平はジョーが言いたい事を理解した。
「お互いに無い物ねだりなのさ。
 俺と健は兄弟の温もりを欲しがり、甚平は大人の扱いを求めている。
 甚平の望みはもう半分叶っている。
 忍者隊の中では皆と同等だからな。
 後は、ゆっくり大人になればいい。
 子供の時代をもう少し楽しんで居ろよ。
 背伸びをしなくても、背は自然に伸びて行く。
 肉体的な話じゃなくて、精神的、人間としての話だぜ」
「ジョーったら、いい事を言うわね」
ジョーは迂闊にもジュンの存在を忘れていた。
「まだ未成年だけど、ジョーは大人ね」
「健だって同じ事を言ったに違ぇねぇさ」
「そうかしら?」
「そうだとも」
ジョーは冷めたエスプレッソを啜り、そそくさと帰り支度を始めた。
何となく居づらかった。
自分が一席ぶってしまったのを、今になって恥ずかしいような気持ちになったのだ。
本当に『自分らしくない』。
自分は捻くれ者で皮肉屋のジョーなのだ。
柄にもない事を言い過ぎてしまった。
尻ポケットから財布を出して、小銭を拾い始める。
「ジョーの兄貴、恥ずかしがる事はないじゃん」
「そうよ。変なジョー」
甚平がジュンと顔を見合わせて笑った。
「南部博士を迎えに行かなけりゃならねぇんでね。
 これで失礼するぜ」
代金をカウンターの上に置いて、ジョーは新聞を小脇に抱えて走り出て行った。
「自分が柄にもない事を言ったと思ってんのよ。
 本当はあれがジョー自身なのにね」
「意外と自分自身の事は解らないって言うぜ」
「まあ、甚平ったら!」
ジュンは甚平の額をピンっと小突いて笑った。




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