『還らざる道』

ジョーは壮絶な覚悟を決めた上で、ヒマラヤに向かう飛行機の中に乗り込んだ。
勿論買ったのはワンウェイチケットだった。
帰るつもりはなかったし、帰れる筈もなかった。
彼はクロスカラコルムに死地を求めて向かうのだから。
そんな中、酷く顔色の悪い、桃子と言う少女に出逢った。
倒れそうな処を、ジョーが身体を支えて上げたのだ。
ソファーに座らせ、休ませると、彼女はぽつりぽつりと自分の身の上を話し始めた。
両親は先日の地震で亡くなった事、自分は白血病の診断を受け、明日から入院する事になっていたが、その診断に絶望し、ヒマラヤ行きのワンウェイチケットを買った事。
彼女はジョーと同じく死に場所を求めていた。
ジョーは自分の置かれた状況にそっくりな彼女に1つだけ相違点を見つけた。
彼女には生きられる望みがあるのだ。
治療を受けるのは副作用が怖いかもしれないし、頼みの身寄りが亡くなってしまって絶望的になってはいるが、彼女には治療が成功する可能性もあった。
会話をする内に、ジョーは少女に自分の置かれた状況を語り、生きられる見込みがまだあるのなら生きろ、と告げた。
そして、帰りのチケットを買い与えた。
「これを無駄にしねぇでくれ。
 頼むから俺の分まで生きてくれ!
 俺は自分の目的を『生きている内に』果たしてぇ。
 だから、あんたを見届ける事が出来ねぇ。
 だけどよ。生きられる望みがあるのなら、あんたの両親もそれを願っている筈じゃねぇか」
「でも……。貴方は死にに行くのでしょ?」
「それが俺に与えられた使命だから。
 地球がこのまま無くなってしまったら、俺があんたにワンウェイチケットを買ってやった意味も無くなるぜ。
 せめて、意味のある事をしたと、そう思わせてくれよ」
ジョーは暗い眼をして呟いた。
その表情に、桃子はジョーの真実(ほんとう)を感じ取った。
「俺には還る道はねぇが、桃子、おめぇにはまだ残されている。
 還って必ず生き残り、治療に専念するんだ。
 その道は簡単じゃあねぇかもしれねぇが、おめぇのご両親と俺の生命を合わせて、その分まで必ず生きろ。
 俺のように死ぬ事を前提とするな。
 桃子は俺とは状況が違うんだ。
 ……さあ。行け。
 ゲートを抜けるまでは俺が見届けてやるから。
 それ以降の事は俺はおめぇを信じているからな。
 必ず、生きろよ。俺の分まで生命を預けたぜ」
そんな、勝手に預けられても。
と、桃子は思った。
見ず知らずの2つばかり年上の男性だ。
でも、なかなかいい男だった。
そして、何よりも生き方に筋が通っていた。
彼の言葉に真実を見て、桃子は生きてみようかと言う気持ちになった。
「私。生きてみるわ。だから、教えて。
 まだ聴いていなかったわ。貴方の名前を」
「ジョー、だ……」
「私が死なずに済んだらどこに連絡したらいい?」
「……その時、俺はいねぇが……。
 国際科学技術庁の南部博士なら、俺の消息を知っているだろうよ。
 その時、死んだと言われるか、行方不明と言われるかは俺にも解らねぇけどな」
「ジョー……。貴方も生きて!死んでは駄目よ」
「生憎俺には後1週間か10日しか残りの時間がねぇ。
 その生命、有効に使ってやるには行くしかねぇんだ。
 桃子。おめぇが生きて、妙齢の男と一緒になって元気な子供を抱いている姿が俺には見える。
 生きろ。その子の為に生き抜け。
 おめぇの未来は決して暗くない」
ジョーは何故かそれを確信していた。
地球が救われる事を前提として話をしていた。
彼は自分の手で地球を救えるとは思ってもいなかったが、ベルク・カッツェに一矢報いる気持ちが強かった。
その事で遠からず、地球が救われると信じたかった。

搭乗ゲートを潜ってジョーと別れてから、桃子は彼に言われるがままに指定の便に乗り込んだ。
今、来たばかりの道を引き返すのだ。
ジョーと言う男は子供の話をしていたが、彼女にはそこまで現実的なイメージは浮かんでいなかった。
それはそうだ。
まだ16歳。彼氏らしい存在もなかった。
あのジョーと言う男性がそうなってくれたら素敵なのに、と思った。
一緒に居てくれたら闘病も頑張れるかもしれない。
だけど、彼は死地に赴くと言う。
それを止めるべき言葉を桃子は持たなかった。
残りの生命が長くて10日しかないと言う彼に、何も告げる言葉はなかった。
彼の言葉に賭けてみよう、とふと思った。
ジョーに頼んで、持っていたカメラで2ショット写真を撮らせて貰った。
その写真をプリントして、ベッドサイドに飾っておこう。
いつでも見守ってくれる気がするから。
彼が言うように、本当に彼がこの世から居なくなってしまうのであれば、きっと空から自分の事を見ていてくれる筈だと思った。
『生き抜け』と言った言葉が脳裡に染み付いて離れなかった。
自分は生きてみよう、と思った。
彼のような人もいるのだから。
自分のように可能性が見い出せるのなら、闘ってみようと思った。
彼が自分の限界に挑むように。
還らざる道を行った彼とは違って、自分には還るべき場所があるのだと思う事にした。
何故なら、彼が予見した自分の未来には『家族』が寄り添っているのだから。

ジョーと言う齢18歳の少年が、16歳の少女・桃子に生命を与えた瞬間でもあった。
ジョーは『せめて、意味のある事をしたと、そう思わせてくれよ』と言ったが、それは真実(ほんとう)になったのだ。
桃子は生きよう、と決意を固めていた。
地球では何やら起きているようだが、生き抜けると言う自信が沸いて来た。
地震が多発する中、彼女が搭乗した飛行機は無事に着陸が出来たのである。
そして、彼女は将来、ジョーの事を良く知るフランツのいとこと結婚し、一姫二太郎の可愛い子供を設けた。
ジョーが予見した事は事実となったのである。
桃子には空の上からニヤリと笑うジョーの姿が見えたような気がした。
病気も治療から5年を過ぎ、転移も再発も起こらず、寛解を告げられていた。
あのジョーと言う少年が居なかったら、彼女は生きる決意が出来なかったかもしれない。
治療から逃げていたかもしれない。
だが、かの少年が桃子を救ってくれたのだ。
生命の恩人だと思った。
彼が告げた南部博士に連絡を取ってみると、行方不明と告げられた。
恐らくは…1人で死を迎えた事だろう、と……。
彼の死は誰も眼にしていない。
それならば、ジョーと言う少年が生きている事を自分だけは信じていよう、と桃子は2人の子を抱きながら、そう思った。


※この物語は、今闘病をされているM様に捧げます。
 いつもご丁寧にメールでご感想を下さり、感謝しておりました。
 せめてもの思いを込めて、この作品をお送り致します。
 無事のご快癒を心からお祈り申し上げております。(真木野聖)




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