『退職の日/異聞』

「ジョーのトロフィーも随分溜まったものだな…」
「ええ、ええ。随分頑張っている様子ですものね」
ジョーが使っていた部屋で感慨に耽っているのは南部博士と賄いのテレサ婆さんであった。
ジョーは自分のトレーラーに置いておけないので、トロフィーは此処に置きに来ていた。
花束はジュンの店に飾っているようだった。
「つい先日も逢いましたが、あんなに大きくなって…。
 小さくて壊れそうなお子さんでしたのに……」
「テレサには随分助けて貰った。
 私には子供の扱いなど良く解らんからね」
「利かん気の強い子でしたが、本質は優しい子でした。
 余りにも強い衝撃を受けた出来事が、彼の心を壊していたんですね」
「それを少しずつ癒してくれたのが、テレサ、君だよ。
 本当に感謝している。
 病院のカウンセラーでも手を焼いていたのだ。
 まだ居てくれるのなら居て欲しいものだが…。
 貴女の体力的な問題では仕方がありませんな。
 ジョーも健もガッカリしていますよ」
「でもね。もう楽隠居したらどうかと勧めてくれて、私に決断をさせてくれたのは、ジョーさんなんですよ。
 もう80ですからね。私の身体を気遣ってくれたんです。
 ジョーさんに逢えなくなるのが寂しいと言ったら、娘と娘婿の家に逢いに来てくれると約束してくれました」
この約束は果たせずに終わってしまう事を、まだジョー自身も知らなかった。
「そうでしたか…。ジョーがそんな事をね」
「大人になったと、博士も感慨深いのではありませんか?」
「そうだな。たった10年だが、随分とジョーは変わった…」
(復讐に生きていると言う点に於いては全く変わりがないがね…)
博士は心の中で付け加えた。
「テレサがいなかったら、彼は心の均衡を崩していたかもしれない。
 退院した頃は心の傷が深くて大変だったのだ。
 私も手を焼いていた」
「でも、博士には心を開いていたではありませんか?」
「あれは、心を開いていた振りだった、と私は思っている」
「まあ、博士……」
テレサは顔に両手を当てて驚いた。
「ジョーの優しさでしょう。私が彼を助けた事を随分恩に着てくれたようです。
 今でも護衛兼運転手を買って出てくれるのはその為でしょうな」
「ジョーさんに任せておけば安心ですものね。
 何しろこんなにトロフィーを貰うような、凄いレーサーになったのですから…」
テレサはまた感慨深そうに沢山のトロフィーを見回した。
中には最年少優勝の時の賞状もある。
「ジョーさんは早くに独立してしまいましたが、こうして賞金で食べて行けるだなんて、才能があったのでしょうねぇ」
「いや、本人の努力もあったでしょう。
 あれは小さい頃から車が好きでしたからな」
博士は明日のテレサの退職の日に仕事で不在になる為、前日にテレサの為に時間を取っていた。
本当の孫のように可愛がっていたジョーが過ごしていた部屋で寛ぐと言うのは、テレサにとっては至福の時だろう。
そう思ってこの場所を選んだ。
「明日はジョーが健と一緒に此処に来ると言っていた。
 最後にしっかり別れを惜しんでおきなさい。
 この場所で逢うのは最後になるかもしれんからね」
「はい、ありがとうございます」
「テレサには長い間世話になった。
 調理のみならず、ジョーや健と言った子供達の養育に関してまで援けになってくれた。
 2人とも親の居ない子だったが、本当に立派に大きく育ってくれた。
 あと2年もすれば成人だ。
 心から礼を言いたい」
「博士。勿体無い事です」
「最後に渡したい物があるから。明日、ジョーに預けておく事にしよう」
「有難うございます、博士。
 そんなにして戴くような者ではございませんのに……」
テレサは涙を抑え切れなかった。
「このような年寄りをずっと召し抱えていて下すった事、私の方こそ感謝しています。
 そして、此処にいられたお陰で孫のようなジョーさんと出逢えました」
「亡くなったお孫さんに似ていると言っていたね」
「雰囲気がそっくりです。大きくなって来て益々ビックリする事がありました。
 身長はジョーさんの方が随分高くなりましたが、孫が交通事故で亡くなった時は丁度18歳。
 これからそれ以上に成長して行くジョーさんを見られると思うと楽しみで仕方がないんですよ」
テレサ婆さんは微笑んだ。
「それは是非、曾孫が見られるまで頑張らなくてはなりませんな」
「ジョーさんもそんな事を言っていましたが、私ももう80ですから…」
「そうは言わずにジョーの願いを聞き届けてやって下さい。
 あの子は多分早くに結婚するような気がしますよ。
 今の世の中が平和になれば、の話ですがね」
「そうですか?まだ彼女らしい女性は居ない様子ですけど、ジョーさんならきっと素敵な女性を射止める事でしょう。
 そう、信じています。あの優しさは女性に対しても同じだと思いますわ」
(ギャラクターに対しては激しい憎悪を持ち続けているが…。
 テレサにはそれ程までに優しく接していたんだな…)
と博士は改めて思った。
ジョーは厳しい瞳の中に優しさを秘めていた。
長い付き合いの中で、それに気付かぬ南部ではなかった。
反抗的な態度を取る事も多かった。
指令を聴く時の態度が良くない事もあった。
だが、本当のジョーは優しさをぐるりと棘で隠している。
仲間思いな処も実はジョーが一番ではないか、と博士は思っていた。
「あの子が結婚して子供が出来るまで、いや、その子が成長するまで、長生きして見守ってやって下さい」
博士は本心から、テレサを見つめてそう言った。
「長生き出来るかどうかは解りませんが、そうなれたら幸せですね。
 自分の子はもう初老ですし、孫よりもずっと若いジョーさんを本当の孫のように思いながら、これからも生きて行きたいと思います」
瞳に涙を沢山溜めたテレサを見て、博士はジョーを、そして科学忍者隊全員を誰1人任務で死なせるような事はしない、と心に誓った。
自分にとっても大切な『子供達』だ。
「ジョーに子が出来たら、私にとっても孫のようなものですな」
博士は珍しくフフっと笑った。
「私にもジョーや健のような子供が居ても全く不思議ではない。
 結婚さえしていれば、成人した子供がいたっておかしくはないのですからな」
「博士は研究に生涯を捧げて行かれるおつもりなのですね。
 今までも、そしてこれからも……。
 オーバーワークだと思って、いつもご心配申し上げておりました。
 どうかお身体に気をつけて、ご無理をなさいませんように」
テレサが博士に向かって両掌を合わせた。
「私は何故か丈夫に出来ているようですが、これからは貴女の言葉を胸に、少しはゆったりとした時間を取るように心掛けましょう」
博士は心にもない事を言った。
その言葉でテレサを安心させられるのなら、それでいいと思った。
「ジョーさんもいつも心配していますよ」
「ジョーが?」
「ええ。健さんもです。だから、ご無理は行けません」
テレサは念を押すように言った。
「解りましたよ」
博士は優しく微笑んだ。
「ジョーはきっと、『テレサの孫』として恥じないような生き方をする事でしょう。
 どうか温かく見守っていてやって下さい」
「ジョーさんの事はいつでも心配です。
 良く怪我をしていますが、レーサーって危険な仕事なのですねぇ」
博士は二の句が継げなかった。
まさか科学忍者隊の任務のせいで、負傷しているのだとは、今は言えない。
「ジョーには事故を防げるだけの能力は充分に備わっています。
 ただ、自分だけでは防げない事故もあるようですな」
「怖いです。ジョーさんが『車』に乗っている事が。
 事故が怖いです。孫をそれで失ったから…」
テレサは涙を拭った。
「ジョーには私からも良く言っておきましょう。
 テレサを泣かせるような事はするな、と」
「博士。ありがとうございます」
テレサは博士に深々と頭を下げた。

しかし、博士はテレサへの約束も、自分が抱(いだ)いた誓いも果たす事は出来なかった。
科学忍者隊の任務の末に受けた傷のせいで、ジョーは病気を発症した。
その事を別荘に篭っていた為に気付く事が出来なかった。
いや、その前にあったサインを、彼は『無視』したのだ。
その事はいつまで経っても南部の心の内に『罪の意識』として残り続けた。
この翌日の退職の日に、テレサはジョーに優しく抱き締められ、頬にキスを受けたが、それが最後の幸せになるとは誰も思ってはいなかった。
ジョー自身ですら、そこまでの予感は持っていなかったのだ。
体調は悪くなり掛けていたが、生命に関わるような事だと言う危機感はまだ持っていなかったのである。
段々と体調が悪化して行くに当たり、テレサには自分の弱って行く姿を見せたくはなかった。
ジョーはそうして、テレサとの約束を果たす事が出来なくなってしまったのである。
辛く、重い、残酷な運命だった…。


※この話は、163◆『退職を決めた日』と63◆『最後の口付け』と合わせてお読み戴くと良いかと思います。
なお、テレサ婆さんの初登場は、049◆『ステディな女友達』です。
他にもご紹介し切れない程の作品に登場している準レギュラーです。




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