『群雄割拠〜番外編・風の誘い』

「今日は蒸し暑いな…」
ジョーはトレーラーハウスのドアと窓を全開にして、風を招き入れた。
ふと、その風の中にレモンのような香りが混じっている事に気付く。
「これはクロモジ(学名:Lindera umbellata Thunb)の香りだな…。誰かが枝を折ったな」
ジョーが生まれるずっと前、日本では明治時代にヨーロッパ向けに香料の原料として輸出されていたクスノキ科の樹木だ。
ジョーの母親がこの香りが好きで、父親の先祖にいる日本人を思わせるこの樹の話をしてくれた。
今はアロマテラピーの分野で少し使われているのみらしいが、ジョーは買物に出た時に、この香りを嗅いだ事があり、懐かしく思ったものだ。
ジョーは風に誘われるように外に出てみた。
外の方が風があって、多少は涼しく感じる。
昨日初めて来たこの森には、クロモジの樹があるのだろうか?
母に図鑑を見せて貰った記憶があるが、昨夜は暗くなってからやって来たので気付かなかった。
Tシャツを脱いで、近くにあった樹に掛ける。
ふと見れば、それがまさしくクロモジだった。
「確か…親父に高級な楊枝の材料に使われていた、って教えて貰ったっけな…」
ジョーは父親が日伊のハーフのせいか、少し日本に対する知識があった。
こんな場所で故郷への、いや、両親への郷愁を誘うものと出逢うとは思ってもいなかった。
「ごめんよ…」
ジョーも枝を1本折ってみた。
芳醇な香りが鼻を擽った。
「これをお袋の墓に供えてやりてぇな…」
それは無理な願いだった。
先日BC島に上陸した時も、花一輪さえも捧げられなかったのだ。
ギャラクターを斃して、本懐を遂げたら、また行って見るのもいいだろう。
その頃になら、自分が行っても何の問題もない筈だ。
アランの墓にも参って、詫び言を言いたい。
赦しては貰えないかもしれないが、そこで頭を垂れたい。
この頃、体調が優れない事もあったが、彼はまだそう言った希望を抱いていた。
ジョーは樹に掛けたTシャツを回収すると、折ったクロモジをトレーラーハウスの中に入れ、花瓶に挿した。
部屋の中にレモンに似た香りが拡がる。
窓やドアから入る風が、またその香りを部屋中に拡散し、ジョーを郷愁の中へと誘い込んだ。
彼はTシャツをサイドボードの上に放り投げ、そのままベッドに横たわった。
身体を伸ばすと何とも気持ちがいい。
昨日の任務の心地好い疲れが流れ出て行くようだ。
疲れが翌日まで残るようになったのは、最近の事だ。
昨日、確かに60階建てのビルを階段で屋上まで一気に上がったし、メカ鉄獣を2体退治した。
でも、帰って来てシャワーを浴びて眠れば、翌朝には疲れはさっぱりと取れていたものだ。
この頃、少しおかしいな、とは感じ始めていた。
自分を病魔が襲おうとしているとはさすがに思っていない。
「昨日の任務は特別きつかったからな。
 変な奴らばかり相手にしたしよ…」
ジョーは口に出して言ってみた。
まるでその事を確認するかのように。
手強い敵が多かった。
そんな中八面六臂の活躍をしたのだ。
若い身体だって、疲れる事位あるだろう。
ジョーは不吉な考えをそうやって自己否定したのだ。
(全く、次から次へとメカ鉄獣を作り出しやがってよ。
 やつらの資金力は並大抵じゃねぇな……)
その資金の一部でいいから、リーダーに回してやれ、などと冗談っぽく考えていたら、そのリーダーからブレスレットに通信が入った。
「こちらG−2号。健、何かあったか?」
ジョーは横たわっていた上半身を素早く起こした。
『すまん。任務じゃないんだ』
健は元気そうに答えた。
自分と同じように活躍した筈の健は、全く堪えていないようだった。
「昨日の今日で元気じゃねぇか?」
『何言ってるんだ?当たり前だろ。ジョーだって元気じゃないか』
ブレスレット越しにはジョーの声は普通に聴こえているようだ。
ジョーは何となく安心した。
「で?折角の休暇に一体何だってんだ?」
『暑いからみんなで海水浴にでも行こうかと話が盛り上がっているんだが、どうだ?』
どうやら全員、『スナックジュン』に集まっているらしい。
「悪いな。これからサーキットで人に逢う事になっていてな」
それは嘘ではなかった。
オーナーに頼み込まれて、スポンサー希望者に逢う事になっている。
勿論断るつもりではいるのだが、断りに行く事よりも海水浴の方がまだ魅力的だとジョーは思った。
「オーナーの頼みだから、断れねぇ」
『そうか。それは残念だな…』
「悪ぃな。俺も断りに行くより海水浴の方がいいぜ」
『何だ。スポンサー話か?』
「そう言う事だ。オーナーには断ったんだがね」
『いい話なのに、潰さなきゃならんのは辛いな、ジョー』
「いいって事よ。ギャラクターを斃したら、俺は自分で資金を貯めて、自分の為のチームを作るんだ。
 スポンサーなんて要らねぇのさ」
『そうだったな。もし話が早く済んだら連絡してくれ。
 後からでも合流すればいいさ。
 甚平が食べ物を沢山用意して行くって言ってるぜ』
「解った。じゃあな」
ジョーは通信を切った。
多分海には行かないだろうな、と思った。
まだ約束の時間までは余裕がある。
ジョーは再びベッドに横たわった。
大胸筋が発達し、腹部が割れている均整の取れた身体はとても不健康には見えなかった。
(やっぱり疲れただけだろう…)
昨日の任務は健よりもジョーの方がハードだった筈だ。
同じく2体のメカ鉄獣を相手にしたとは言え、健は2体目の時は3人体制だったのだから。
そう思う事にした。
同じ事をして自分だけ疲れたと思うのが嫌だった。
また、クロモジの香りが鼻を擽った。
(お袋が良く付けていたコロンの香りだ…)
ふっと母親の気配に身体を包まれたような気がした。
『ジョージ、無理をしては行けないわ』
懐かしい母の声が頭の中を過ぎった。
「ママッ!」
ジョーは跳ね起きた。
母の気配を感じたのは一瞬だった。
その一瞬、彼は8歳の子供に戻っていた。
(気のせいか…。そうだよな。
 俺の眼の前で殺されたんだからよ……)
ジョーは少し落胆した。
クロモジの香りに誘われて、白昼夢でも見たのだろう、と思った。
(俺が逝くのはいつの事になるか解らねぇが、待っていてくれよ、お袋、親父…。
 いつか3人で暮らそうぜ。
 その時、俺が爺(じじい)になっていたら、嫌かい?)
ジョーはそう思い巡らせて、1人で笑った。
想像したらおかしくなったのである。
両親は恐らく30代半ば辺りで亡くなったのだろう。
母親は30そこそこだったかもしれない。
(俺が無事にギャラクターを斃した後も生きていれば、親父やお袋の歳を越えて行く事になるんだな…)
少し感慨に耽った。
若くして死した両親。
でも、それは自分の為だったのだろう、と今ならば思える。
昨日ギャラクターと相対していて、自分があの中に居たならば…と思ったらぞっとした。
ギャラクターと言う組織の本質を知らずに使い捨てられ、もう既にこの世の者ではなかったかもしれない。
ギャラクターを脱けようとしてそれを成し得なかったアランの婚約者や、マヤの事を思った。
(世襲制のギャラクターに入ったばかりに、親父とお袋は俺の為に脱走を図って殺された…)
両親の思いに胸が痛む。
(俺は必ず成し遂げる。ギャラクターの子で無事に生きているのは俺だけだからな!
 絶対に復讐を遂げて、生き残ってみせる。
 だから、安心しろよ、お袋……)
ジョーはベッドから立って、サイドボードの花瓶からクロモジの枝を取り出して、もう1度香りを嗅いだ。
この場所もお気に入りの場所に加える事になりそうだ。
「さて、出掛けるとするか」
サーキットのオーナーとの約束には出向かぬ訳には行かないだろう。
オーナーの顔を立てる為だけに行くのだから。
時間があれば、G−2号機でサーキットを飛ばして、いつもの夕陽を見て帰る事にしよう。
帰りに『スナックジュン』に寄ってもいい。
みんな日焼けしているだろうか?
そんな事を考えたら、暗澹としていた心の雲が晴れた気がした。






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