『ジョーの森』
『ジョーの森』と名づけたのは甚平だった。
ジョーが生前、良くトレーラーハウスを停めていた場所で、彼が突然居なくなってしまった後も、トレーラーハウスはそこで静かに主が戻るのを待っていた。
ジョーはその森にハンモックをぶら下げ、羽根手裏剣の訓練をする為の自作の的を作ったりしていて、彼の息吹は今もなお、感じられる。
甚平は何度かジョーに此処に泊めて貰った事があった。
男のロマンが凝縮されているジョーの住まいだった。
「ジョーの馬鹿…。おいら、死んじゃやだよ、って言ったじゃないか…」
甚平はトレーラーハウスが博士の別荘の駐車場に引き上げられてからも、バギーで此処に来る事があった。
そのままになっているハンモックを揺らしてみる。
「此処から夕陽を見ながら、ジョーの兄貴は何を考えていたのかな?」
きっとジョーが見ていたのは、故郷の空だろう。
甚平にもそれが解った。
彼はトレーラーハウスが引き払われる時にも、此処にやって来た。
高い枝にぶら下がっているジョー手製の板には、羽根手裏剣がまだ刺さっているものがあって、それを貰って帰ったものである。
ジョーの形見として、大切に自分の部屋に飾ってある。
2枚あった内のもう1枚は南部博士に渡した。
それを受け取る時の博士の手が震えていたのを甚平は良く覚えている。
「ジョーが居なくなってしまったのに、この『ジョーの森』には、ジョーが生きていた時のままの空気があるんだよ。
トレーラーハウスとその主が此処には居ないだけで、他は何も変わってない…。
こんな寂しい事あるかよ。ジョー……」
甚平は拳で涙を擦った。
「おいらをキャンプに連れて行ってくれる約束だったじゃないか……。
兄貴は『ジョーは約束を守る男だ』って言ってたよ。
だから、兄貴もブーメランをあそこに置いて来たんだ。
ジョーから直接返して貰う為に……」
甚平には、ジョーの生命が喪われた事に、理不尽さばかりが感じられていた。
「どうして、ジョーの兄貴ばかり苦しまなければならなかったんだよ?!
パパとママの死、出生の秘密、幼友達を殺してしまった事、そして病気…。
こんな酷い事ってあるかよ?
おいら、神様なんか絶対に信じないからね!」
髪を掻き毟るかのように、甚平は涙を堪えながら蹲った。
「ジョーの兄貴、どっかで生きててくれてるんだろ?
嘘だよね?後数日の生命だっただなんて…。
銃で沢山撃たれていたのも、おいら達、幻を見ていたんだよね?
信じたくないよ。
ジョーの兄貴が、もう本当にお店に来ないだなんて」
樹がさわさわと葉を揺らし、爽やかな風が吹いた。
ジョーの気配がした。
『本当さ。俺の魂魄はもうあの世にいる…』
ジョーの低音が甚平の耳元で囁いた。
『嘆くこたぁねぇ。これで良かったと俺が思っているんだからよ……』
その声は驚く程優しかった。
「酷いよ、ジョー。勝手に逝ってしまうだなんて!
残されたおいら達の気持ちを考えた事があるのかよ!?」
思わず思いの丈をぶつけるかのように叫んだが、周囲には誰もいない。
風がさわさわと凪いでいるだけだった。
「ジョーの馬鹿…。おいら達の気も知らないで。
兄貴なんかどれだけ辛い思いをしているのか解ってるのかよ!?」
甚平はまた涙が滂沱と溢れるのも構わずに叫んだ。
『それはすまねぇと思ってる…。でも、俺には時間がなかった……』
ジョーの声はそれきりしなくなった。
甚平は「ジョー、怒らないで、もう1度出て来ておくれよ」と叫んだ。
ジョーが樹にぶら下げた羽根手裏剣の的となっていた板がぶつかり合って、カタカタと鳴った。
それはジョーの返事だったのか…?
もう逢えない、と言う意味なのか?
甚平はさめざめと泣いた。
もうとうに四十九日は過ぎ、それ以前にジョーの墓も出来ていた。
ジョーはあの世とやらに行ったのか?
あの声が本当にジョーであるのならば、やはり南部博士が言うように、ジョーは還らぬ人となったのだろう。
「いやだよ、そんな事…」
認められない自分がいた。
声変わりを終えた自分の声にふと違和感を覚えた。
自分の声が子供のように戻ったら、ジョーも還って来てくれるかもしれない、などと子供じみた事も考えてみた。
(いいんだよ、おいら、子供なんだから。
ジョーは良く言ってた。
『子供の時代を楽しんでおけ』って……)
涙が止まらなかった。
「ジョーの兄貴。自分は何なんだよ?
楽しい経験なんてあったの?
苦しい事ばかりだったんじゃないの?
おいら達はこれから平和を満喫出来るんだよ?
『青春』って奴を味わえるんだよ?
どうしてそこにジョーが居ないんだ……っ!」
「甚平!」
そこに優しい女性の声が掛かった。
甚平は驚いて振り向いた。
「お姉ちゃん、いつから此処にいたの?」
「ごめんなさい。最初からよ。
私も貴方と同じ気分だったから……」
そう、甚平をそっと見守っていたのはジュンだった。
「お姉ちゃんにもジョーの声は聴こえたの?」
「ええ、聴いたわ。確かにね……」
ジュンは俯いた。
そう言って、甚平を抱き締めた。
『お姉ちゃん』はいつも良い香りがする。
お母さんのような女性の香りだ。
ジョーは安らげる存在に出逢う事なく逝ったのだろう…。
甚平にとっては、ずっとジュンがいてくれた事で、どれだけ安らげたか。
喧嘩もしたけど、いつも他愛のない事だった。
甚平がそれを言うと、ジュンは違う事を言った。
「ジョーにとっては、私達が安らげる仲間だったと信じているわ。
時には皆から距離を置いていたり、冷たく見えるような発言をした事もあったけれど…。
ジョーが最後に私達に遺言をした時の、あの安らかな表情でそれが解ったわ。
あの時、逢えて良かったと思っている。
ジョーは1人で逝ったけれど、心は私達の元に在ったと思うわ。
……あの時、一緒にいたと思うの」
ジュンの頬を涙が伝った。
「総裁Xが宇宙へ逃亡して、ベルク・カッツェはマグマの中に投身自殺。
私達は何もしていない……。
何かの力が作用して、あの分子爆弾が停まったのならば、それはジョーがした事のように私には思えるの」
「えっ?」
甚平は真っ赤な眼でジュンを見上げた。
「根拠は、ないのよ。でも、ジョーの魂が私達の元に飛んで来て一緒にいたのなら、彼になら何かが出来たのではないかと思ったの」
「お姉ちゃん。ジョーが自分の生命と引き換えに、地球を救ったって事?」
甚平の眼が輝いた。
「そう思ったら、納得出来るし、本当にそうだったらジョーも気持ちが安らぐだろうな、って思って…。
勝手な『妄想』だけれどもね」
ジュンが、トレーラーがあった地点を見た。
まだ草にその跡が残っている。
ジュンはそこまで歩いて行き、突然膝を抱えて座り込んだ。
「甚平、いらっしゃい。此処にジョーがいたのよ」
甚平は誘われるままにジュンの隣に座った。
「何となく薄っすらとジョーの姿が見えた気がするの。
さっき貴方に声を掛けた時、ジョーは此処にいたのよ」
「ええっ?お姉ちゃんって霊感があるの?」
「そうじゃないけど、ジョーの事だけは特別って気がする。
2人とも彼の声を聴いたでしょ?
それも『ジョーだから』声を聴けたんじゃないかしら?」
「お姉ちゃん……」
「ジョーは私達と一緒にいるのよ、きっと。
この『ジョーの森』に来なくてもいつでも逢えるのよ」
ジュンが横にいる甚平の肩を抱いた。
「そんな気がするの。私、変な事言ってる?」
「ううん。全然。おいらもそんな気がして来た」
甚平は涙を握り拳で拭いた。
「さっき、羽根手裏剣の訓練に使っていた板が鳴ったのも、『もう逢えない』と言う意味ではなくて、『そばにいるぜ』だったのかもよ?」
ジュンがそう言った時、2人の頭上にヒラリと落ちて来たものがある。
それは紛れも無く、ジョーの羽根手裏剣だったのだ。
まるでジョーが『そうだぜ』と言っているかのようなタイミングだった。
まだ板の中に、羽根手裏剣が残っていたものがあったのだろう。
それが風に吹かれて彼らの元にふわりと落ちて来た。
ジュンがそれが地面に落ちるよりも前に、片手でひょいと手に取った。
「お姉ちゃん、それはお姉ちゃんが持っていなよ。
おいらは形見の羽根手裏剣、もう貰ったから」
ジュンは両手の上にジョーの羽根手裏剣を乗せた。
「本当ね。ジョーの形見だわ。まだあっただなんて……」
ジュンはまた涙を流した。
「兄貴も此処に来て、ジョーと会話したりするみたいだね。
竜は知らないけど、みんなジョーの兄貴の事は忘れられないよね」
「一生、一緒に生きて行くのだと思うわ。
だって、ジョーが生きていれば当然のように5人でこれから青春を謳歌したのでしょうから」
「おいら達、兄弟みたいなもんだったよね。
お姉ちゃんとおいらの関係は特別だけど、そうじゃなくてもみんなが兄弟みたいな気がしてた」
「そうね。仲間と兄弟の間ぐらいかな。
ずっと一緒にいたし、濃い時間を過ごしたわ。
それぞれが家庭を持っても、いい関係でいられたと思う」
「ジョーの兄貴のお嫁さん、見てみたかったな」
「モテたから最初に結婚して、子供も出来たかもしれないのにね。
ジョーの子供って利かん気の強い子になるんでしょうね」
「でも、ジョーって子供の事好きだったと思うよ。
ちびっこガッチャマンとか、スイムス団とかの事を思い出すとさ」
「自分の子供だったら可愛がるでしょうね。
そんなジョーを見たら、私達ビックリして引っ繰り返ってしまうかもしれないわ」
「みんなで引っ繰り返ってみたかったよ」
甚平が立ち上がった。
「お姉ちゃん。仕入れの途中で寄り道してごめん。
心配して探しに来てくれたんでしょ?
そろそろ店に戻らないとね」
「そうだわ!ジョー、また来るわね。
羽根手裏剣のプレゼント、ありがとう。……戴いて行くわ」
爽やかな風が2人の背を押した。
『さあ、行け』とばかりに…。
科学忍者隊は新しい生活をして行かなければならないのだ。
任務は続くが、パトロールが中心となる。
ジョーは無言だったが、『自分達の生活をしっかりやって行け』と2人の背中を押したのだろう。
ジュンと甚平は何か温かい、ジョーの気配を感じていた。
名残惜しかったが、その場を1歩ずつ、ゆっくりと『ジョーの森』から歩み去るのであった。
ジョーが見送ってくれているのを背中で感じながら。