『人生の相棒』

その日の遠征先は寒空が広がって、半袖のいつもの姿では寒かったので、ダウンジャケットを着込んでいた。
動きにくいが仕方がない。
だが、そんな事でG−2号機の操作性が落ちるような事はなかった。
公私共に長く行動を共にしていると、お互いに空気のようになっている。
ジョーの感じた事をG−2号機は正確に理解していてくれるような、そんな気がした。
もう彼にとっては、『人生の相棒』とも言うべき存在になっていた。
きっと将来彼女が出来たとしても、そのG−2号機の存在は揺らがない。
今日のレースは惜しくも僅差で2位に終わったが、初めてのコースだったし、善戦した方だと思う。
しかし、次は優勝は逃さねぇっ!
ジョーは拳を握り締めた。
その悔しさをG−2号機も分かち合っている。
何だかジョーに済まなかった、と言いたげにクラクションを鳴らした。
「いいって事よ。いつも優勝ばかり出来るとは限らねぇ。
 ただ、おめぇとレースに出られるのも、めっきり回数が減って来たからな。
 出来るだけいい成績を残してぇと思っただけさ。
 おめぇのせいじゃねぇよ」
ジョーは擬態の状態のG−2号機の、ルーフを優しく撫でた。
「また一緒に走ってくれよ!」
またクラクションが鳴った。
こうしてG−2号機が意思表示をするようになったのは、最近の事である。
ジョーの身体に異変が起きてからその傾向が見られた。
今日は決して体調は悪くなかった。
1位になった男が進路妨害をしたと主張したが、受け入れられなかった。
余り騒ぐと2位も剥奪されてしまうので、ジョーは悔しさを噛み締めて、黙ったのだ。
「あれは進路妨害だったな…」
後方から声がした。
振り返らなくても解る。
フランツだった。
彼も此処まで遠征して来ていた。
フランツの来訪と共に、空が晴れて来た。
日照があっても、暖かくはならなかった。
「悔しいが、あのレーサーはこのサーキットが本拠地だと言うから、仕方がねぇな」
「遠征組はどうしても、判定に持ち込まれた時は損をするように出来ている」
フランツは慰めるように言った。
「ああ…」
「一緒にイタリアンでも食べるか?」
珍しくフランツが誘って来た。
「ご家族が待っているでしょう。
 此処からじゃ、もう帰らないと」
「それはそうなんだが…」
「俺もユートランドに戻っていないと行けないんで…」
「そうか。じゃあ、いつものサーキットで逢おう」
フランツは拘りなく背を向けた。
彼なりにジョーを慰めようとしたに違いない。
「次の健闘を祈るよ」
「貴方も」
「はは、俺はジョーのように上位には喰い込めない。
 もう半分は走る為だけに出ているようなものだ」
フランツは少し自嘲するかのように笑った。
「じゃあな、身体に気をつけろよ」
フランツが言いたかった事は、その一言だったらしい。
ジョーの顔色が優れない、と今朝レースの前に感じ取ったのである。
「どうやら人から見ても調子が悪そうに見えるらしい。
 まずいな…」
ジョーは思わず呟きながら、G−2号機に乗り込んだ。
車内は暖かかった。
「俺を気遣って、暖めてくれたのか、相棒」
『ピッ!』とクラクションが嬉しそうに鳴った。
『相棒』と言われた事が、G−2号機には嬉しかったらしい。
「行こうぜ。いつもの森へ。
 途中で夕陽を見るってのもいいコースだな」
ジョーはアクセルを踏んだ。

帰り道で夕陽が落ち始めた。
ジョーは海岸線を延々と走るコースを選び、夕陽のパノラマの中を走り抜けた。
「いつもは停まって見ているが、おめぇと走りながら見るってのも乙なものだな」
彼には帰りを急ぐ必要があった。
走り始めて暫くしてから、少し眩暈が起き始めていたのである。
夕陽を見る為に時間を取る事が出来なくなった。
その彼の為に用意されたようなこのコース。
まるでG−2号機がジョーの為に走ってくれているような感覚に陥った。
ジョーは意識を手放しそうになったが、G−2号機が守ってくれた。
自動運転機能など付いていない筈だが、確かに『彼』は『自分』でハンドルを調節した。
「おめぇ…。ありがとよ。俺を守ってくれたんだな。
 お陰で事故を起こさずに済んだ」
ジョーはまだ頭がクラクラとしていた。
「ちょっと停まって休んで行くぜ」
ジョーは路肩にG−2号機を停め、眩暈止めとミネラルウォーターをダッシュボードから取り出して飲んだ。
「心配するな。大丈夫だ。
 今、この瞬間に任務が入るとちょっとまずいけどよ…」
G−2号機は自分でジョーのシートを横にした。
そんな機能はない筈なのに、どうして覚えたのだろう?
「ありがとよ。すぐに良くなる。早くあの森へ帰ろうぜ」
ジョーは優しい声を出した。
横になると、また美しい空が眼に入った。
「綺麗だな、おめぇにも見えるだろ?」
G−2号機はピッと小さく音を立てた。
こんな場所では余りクラクションをハッキリと鳴らす訳には行かない。
「おめぇもいろいろ配慮してるんだな」
ジョーは笑ったが、まだ眩暈は収まらなかった。
G−2号機はいいから、少し休んでくれ、とばかりに室温を上げた。
心地好い暖かさだった。
ジョーが汗を掻けば温度を下げた。
彼はその心地好さの中で、30分程眠った。
大分眩暈が落ち着いていた。
「もう大丈夫だ。心配を掛けたな」
ジョーはシートを元に戻した。
夕陽は沈み切り、コバルトブルーの空に星が1つ瞬いていた。
これから本格的に夜の闇がやって来る。
「さあ、早く帰ろうぜ」
ジョーはG−2号機を駆って、帰宅の途へと着いた。

トレーラーハウスはいつもの森に停めていた。
2位の小さな盾と賞金を手に、ジョーはG−2号機を降りた。
「今日は花束がねぇから、『スナックジュン』でも、俺が優勝を逃したと解っているに違いねぇぜ」
ジョーはそれでも悔やんではいなかった。
次に絶対に巻き返してやればいい。
レースに関しては過去の事はいつまでも振り返らない。
次を見つめる。
自分は過去に大きく振り回されて生きて来たのに矛盾してるな、と取り敢えずベッドに横たわったジョーは思った。
いつか本懐を遂げて、レースだけに集中出来るようになったら、G−2号機と一緒に世界中を回るのが、今の彼の夢だった。
そして、名を上げて行き、賞金を貯めて自分の為のチームを作る。
最終目標はF1ドライバー。
そうなるとレーシングカーに乗る事になってしまうが、G−2号機とはそれからもずっと共に生き続ける。
レーシングカーでは公道を走れない。
いつまででもG−2号機には自分の足代わりでいて欲しい。
唯一無二の大切な『相棒』だからだ。
G−2号機も解ってくれている筈だ。
これからの人生もずっと一緒だぜ。
ジョーはいつもG−2号機にそんな思いを掛けていた。
だからこそ、ああして彼の思いに答えてくれるようになったのだろう。
「さて、夕食がまだだったな」
余り食欲は無かったが、簡単なスープとパスタを作った。
小さい頃の母親の直伝だ。
子供でも出来る簡単な料理だけは教え込まれていた。
両親が不在がちだったからだ。
軽く食事を済ませ、ジョーは片付けを終えると、洗濯したての白いバスタオルとTシャツとジーンズ、そして寝る時に着る黒のトレーニングパンツを取り出した。
上半身は裸で寝るのが常だった。
服を脱いでランドリーバックに放り込むと、「明日はコインランドリーに行かねぇとな」と独り言を呟きながらシャワールームへと消えた。
どこへ行くにもG−2号機と共に。
彼にとっては、それが当たり前の事だった。
だから、最後の別れは彼にとってもG−2号機にとっても、不本意な別れになったのである。
ジョーにとっては、本当にG−2号機が『人生の相棒』だった。
共に濃い時間を過ごして来た。
残されたG−2号機やトレーラーハウスに深い哀しみを背負わせながら、彼は忽然と姿を消してしまったのだ。
『彼ら』からも、そして、仲間達の前からも…。




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