『揚羽蝶〜番外編』

「ジョーの兄貴、おいら達にご馳走してくれたけど、自分は余り食べなかったし、さっさと帰っちゃったね…」
「大丈夫なのかのう?
 まだ疲れが取れていねぇのかもしれんのう」
「それはあるだろうが、博士が大丈夫だと言ったんだ。
 心配はないだろう。
 今日の処はジョーをゆっくり休ませてやろうじゃないか」
健が言った。
帰る時のジョーの後姿を一番心配そうに見守っていたのが健だった、とジュンは思った。
ジョーは確かにこれまでにはない程疲れていた。
あの金粉攻撃のせいだ。
点滴をして一旦回復したかと思ったのだが、実はそうでもなかったらしい。
これは早くトレーラーハウスに戻って疲れを癒すのがいい、と考えた。
明日は朝からパトロールがある。
それに明後日はレースだ。
それまでには綺麗さっぱり疲れを落としておかなければならない。
ちょっと早いが、基地でナポリタンを食べて来た。
それを夕食として、今日は早くシャワーを浴びて眠ってしまおう。
次の出撃までには体調を整えておかなければならない。
それも科学忍者隊としては重要な任務の1つだった。
シャワーは熱めの温度が好きだったが、今日は軽い火傷を負っている。
博士からは水風呂にして、きつく擦らない事、と厳命されていた。
ローションタイプの塗り薬が出ている。
少し背中から下がヒリヒリする程度で、背中を捲って鏡で見ると赤味が出たりしている訳ではない。
水に近い温度の温(ぬる)めのシャワーを浴びてからそのまま付けようと、シャワールームに設えた台へと置いた。
ジョーは帰って来ただけで疲労感を覚えたので、朝出る前に綺麗に整えておいたベッドの上に横たわった。
純粋な疲れだ。
身体が疲れが溶け出して行くような感じがする。
その感じが何とも心地好かった。
脳まで溶け出しそうな感覚にジョーは酔い、そのまま少し眠る事にした。
このベッドはスプリングが効いて寝心地がいい。
背の高いジョーにも充分な大きさがある。
寝返りも打てた。
狭いトレーラーハウスの大半をこれが占めてしまっているが、これだけは譲れなかった。
毎回の任務にも影響して来る。
彼は小1時間程眠って、ベッドの上で伸びをした。
これで疲れをシャワーで洗い流し、火傷の治療をすればゆっくり寝られる。
早い夕食で軽食しか摂らなかったので、ジョーは空腹を覚えた。
林檎を手に取って、果物ナイフで器用に皮を剥くとそのまま齧った。
しゃりっといい音がした。
林檎と言う果物は南部博士に引き取られるまでは焼菓子としてしか食べた事がなかったが、意外とあっさりとしていて美味で、ラテン系のジョーにも何故か好みに合った。
尤も初めて食べた時は、『味がしない』と思ったものだった。
そんなジョーにテレサ婆さんは林檎を擦って手絞りでジュースを拵えてくれた。
林檎が食べられるようになったのは、それからだ。
ふと、テレサの事が恋しくなった。
今頃は従業員が食べた食器を忙しく片付けている頃だろうか?
そんな事を思いながら林檎を齧る。
芯だけを残して、2つ食べた。
ジョーは生ゴミを処理すると、手を洗い、新しい着替えとバスタオルを用意した。
誰がいる訳でもない。
するりと裸になる。
逞しい肉体が露わになる。
うっすらと赤い部分が背中から長い脚まで拡がっている。
本人が鏡で見た位では解らないかもしれない。
まあ、どちらにしても大した火傷ではなかった。
それだけバードスタイルが頑丈だと言う事だ。
貰った軟膏を擦り込めばすぐに良くなるだろう。
ジョーは機替えをベッドの上に置き、白いバスタオルと身体を洗う為のタオルを手にバスルームへと消えた。

いつものように髪から洗って行く。
トニックシャンプーの白い泡が身体を伝って流れ、その成分が沁みたのか、火傷をした部分が軽く痛んだ。
ジョーは早めにシャンプーを済ます事にして、一旦その泡を洗い流した。
筋肉質な肌を泡が流れて行く。
余計な肉は一欠片も無い。
恐らくは体脂肪は1桁台に違いない。
引き締まった肉体には、筋肉が乗っていて、如何にも『闘う身体』だと言う事を思わせる。
ボディビルダーのようにただ筋肉を発達させて美を競うと言う事ではなく、彼の場合には闘う為に必要な筋肉が自然と発達したのだ。
背中から臀部、太腿、脹脛に掛けては、専用タオルを使わず、手に薄くボディーソープを付けて、そっと洗った。
それでも沁みた。
軽い火傷とは言え、石鹸類とは相性が悪いようだ。
身体を洗い流し、改めて火傷をしていない他の部分をタオルで丁寧に洗う。
疲れも一緒に洗い落としてしまうような気持ちで身体を洗った。
身体を洗い清める儀式のような感じだった。
彼はそうして、全ての屈託と疲れを綺麗さっぱり洗い流して来た。
身体を洗い終えるとバスタオルで身体を拭いてから、丁寧にヒリヒリしている火傷の部分に軟膏を塗った。

黒いトレーニングパンツを着込むと、何だか疲れが消えているような気がした。
リラックスした感じがする。
テレサ婆さんから貰った古ぼけたラジオを付けてみる。
AMしか聴けないようなラジオだ。
どこかで天気予報をやっていないかと、チャンネルを合わせてみる。
明日のパトロールが済めば、明後日は休暇だ。
いつものサーキットでレースがある予定だった。
レースには勿論エントリーしてある。
任務でチャンスが潰れないように祈るばかりだ。
天気予報をやっているチャンネルはすぐに見つかったが、気圧がどうだとか、まるで学校の宿題で天気図を書かされる時のようなデータが続いていた。
「ちぇっ」
じれったくなったが、仕方がないので、それを聴きながら冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、コップに注いだ。
果汁100%のそれは、爽やかに鼻を擽った。
パックを冷蔵庫に仕舞って、コップを手にベッドに座る。
その内天気予報は概況を告げて、肝腎な予報の部分に入った。
それによると、明後日は快晴になるらしい。
(絶好のレース日和だぜ)
ジョーはニヤリと笑った。
賞金は殆ど貯金に回していた。
いつか自分のレーシングチームを作る為に。
だから、ジョーはトレーラーハウスに住み、衣食住に余りお金を掛けない生活を送っている。
だが、少しは懐に残しているので、健のようにいつもすっからかんではないのだ。
『スナックジュン』でも金はきちんと払っている。
(あいつの本業はそんなに数をこなせねぇからな)
ジョーは少しリーダーを気の毒に思った。
ラジオを消して、コップを洗い、歯磨きを済ませると、ジョーはベッドに潜った。
シーツを肩までたくし上げ、ベッドサイドにあるスイッチを切った。
まだいつもより大分早いが眠ってしまおう。
明日の出動時には、もういつもと同じように働けるようにしておかなければ。
休息が一番効果的だ。
ジョーは部屋が暗くなると、あっと言う間に寝息を立てて、深い眠りに就いた。
余程疲れ果てていたのだろう。
不気味な金粉生物だった。
無事に倒せて良かった。
眠りに就く前にそう思ったのが最後だった。
そのまま気持ち良く夢の中に浚われた。




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