『SPY』

今日の夕空はいつにも増して、オレンジ色がおどろおどろしかった。
いつもなら素直に美しいと思えるのに、今日は不吉な感じを覚えた。
「まるで血の海のようだ。嫌な予感がする…」
ジョーはサーキットで空を見上げて、呟いた。
横にはフランツがいた。
もう彼がいても、ジョーは素直に思った事を口に出すようになっていた。
「博士の迎えに行くのか?」
フランツが訊いて来た。
「いや、今日はISOに泊まり込みだと聴いている。
 でも、何か嫌な事が起こりそうな気がする。
 地下駐車場で待機していた方が良さそうだな」
「ジョーの勘で博士はどれだけ救われているのかな?」
「そんな事ぁねぇけどよ」
ジョーは持っていた缶コーヒーを握り潰し、後ろを向いたままゴミ箱へと正確に投げた。
フランツはそれを見て恐れ入ったね、とばかりに肩を竦め、「気をつけて行けよ」とだけ声を掛けて去って行った。
彼もこれから仕事があるようだった。
今日は完全な休日と言う訳ではなかったようだ。
いつものように朝からではなく、昼過ぎにやって来て、2時間程走っただけだ。
何か鬱憤晴らしでもしたかったのかもしれねぇな、とジョーは思った。
「フランツのような温厚な人間でも、そりゃあ、いろいろ溜まるよな…」
ジョーは見送りながら、そう呟いた。
「さて、博士の方だが…」
彼がそう呟いた時、その当の博士から連絡が入った。
『ジョー、今、何処にいる?サーキットかね?』
「その通りです。何となく嫌な予感がしていたのですが、何かありましたか?」
『うむ。悪いがISOまで迎えに来てくれると有難いのだが。
 無理ならロジャースに頼むから気にしなくていい』
「いいえ、どうせそうするつもりでした。
 すぐに向かいます。
 場合によっては科学忍者隊を招集しなければならないような危機でも起きたのでしょう?」
ジョーはその時、既にG−2号機に乗り込んで、アクセルを踏んでいた。
サーキットの出口付近に溜まっている取り巻きを追い払う必要があったので、また『裏口』を使った。
無人の観客席を乗り越えて行くのだ。
その方法で何度も脱出をしている。
サーキットのオーナーもそれを知っていて、何も言わなかった。
それ程彼の取り巻きの態度は度を越して来ていたからである。
『詳しい話は後でする事にしよう』
博士はそう言って通信を切った。
どうやらまだ健達に集合は掛けていない様子だった。
一体何があったのだろう?
ジョーは不審に思ったが、博士が今は事情を話さない以上、逢ってから訊くより他はない。
ジョーにだけ声を掛けたと言う事は、一体何を意味しているのだろうか、と彼は少し不安を覚えた。
いつも強気でいる彼だが、博士が基地に戻る事を急いでいる事だけは確かだ。
ジョーは出来るだけG−2号機を飛ばした。

「基地内にスパイがいるですって?本当ですか?」
「信じられないが、君達の正体を漏らそうとしている男がいる事が解った。
 諸君はTシャツ姿で基地内を歩いている。
 考えてみれば基地の職員なら誰でも解るだろう。
 君達が科学忍者隊だと言う事をな」
「まさか、写真でも撮られていると?」
「うむ、その可能性はある」
「それをカッツェに持って行かれたら大変な事になりますね」
「私に非常に近しい人物だ。信じたくはないが、最近素行がおかしいと思っていた。
 もっと早くに対処すべきだった」
「一体どうしたのです?博士…」
ジョーは信号待ちで車を停めた。
「その人物は死んでいたのだよ…。街中でね。
 つまり私の処にいる彼は、偽者だと言う事だ」
「では、相当前から博士の傍にスパイが潜り込んでいた事になりますね。
 基地の位置は知られていないのでしょうか?」
ジョーは当然の心配を口にした。
「職員は全て基地内で生活している。
 基地の正確な位置は知らない筈だ。
 最初に乗り込ませた時も潜水艇で、様々な場所から出発させた。
 だが、機関士である彼なら、容易に掴む事は出来る筈だ」
「待って下さい。基地に住み込んでいる職員がどうして、外に出られたのです?」
ジョーは眉を顰めた。
「3日前に家族が危篤だと言う届出が出ている。
 特別に私が許可した。車が必要だったので、送迎は潜航艇を使って別の職員にさせた。
 その日の内に『持ち直した』と言って戻って来たのだが……」
「その時には入れ替わっていたと言う事ですね?」
「そう言う事になるな」
基地の機密は今にも持ち出されようとしているかもしれない。
ジョーの気は逸った。
「何故、健達を呼ばないのです?」
「秘密裡に処理したい。私の側近中の側近だ。
 君に気絶させて貰って、病気と偽って外に出したい」
「生かして外に出したら何をするか解りませんよ」
ジョーが言った。
「その通りだ…。どうしたら良いのか解らん…」
博士はジョーの隣で頭を抱えた。
今日はG−2号機だったので、後部座席ではない。
「止むを得ませんが、口を封じるしかないでしょう…」
ジョーは淡々と言った。
「君の手を汚させたくはない」
博士はその事で苦しんでいたのだ。
そして、他のメンバーを呼ばなかった。
最低限の人物にしか、この事を告げたくなかったのだろう。
「博士…。どうせ俺達はこの手を汚しているんですよ。
 ギャラクターの隊員をバードミサイルや時限爆弾でどれだけ死なせているとお思いですか?
 俺がやります。心配しないで下さい」
ジョーはそれきり黙って、前を向いた。

ジョーは博士がこの男だと告げた人物を、誰もいない場所で首筋に手刀を与えて、気絶させた。
「博士!南部博士!」
ジョーはわざと大声を出して、博士を呼んだ。
基地内では、ジョーが博士の養子で、良く送り迎えをしている事は知られていたので、この任務は彼が適任だった。
博士が飛んで来て、「ISO付属病院に連れて行きなさい」とジョーに告げた。
基地から病気と偽ってその男を連れ出したのは、それからすぐの事だった。
ジョーはG−2号機にその男を乗せ、博士に見送られて、潜航艇で地上に出た。
ギャラクターへの見せしめだ。
科学忍者隊にやられた、と解るように止め(とどめ)を刺してやる、とジョーは思った。
ダークな発想だったが、そうしなければ基地の秘密も科学忍者隊の秘密もギャラクターに漏れてしまう。
ジョーが手を汚すしか道はなかったのだ。
仕方のない事だった…。
ジョーは自らその役目を請け負った。
と、言うより、博士も彼を頼らざるを得なかったのではないか…。
リーダーの健に頼むのが妥当な処だが、健はそう言った事を良しとはしないだろう。
博士は苦しんだ末にジョーを呼び出したのだ。
今もきっと苦しんでいる筈だ。
ジョーの手を汚す事になった事を、後悔しているかもしれない。
しかし…。
彼は科学忍者隊G−2号だ。
それを云々する気はない。
これも自分の仕事だと割り切っている。
既に地球を守る為とは言え、何度も手を汚している自分は、死ぬ時は地獄に堕ちると信じていた。
そして、そうなっても構わないと覚悟をしていた。
街に出た頃には、夜の10時を回っていた。
ジョーは人気のない路地裏に男を下ろした。
車に乗せた際に、ポケットからメモリーチップを抜いていた。
彼は男をビルの狭間に寄り掛からせて、せめて一瞬で死なせてやろう、と思った。
仮面を剥ぎ取った。
似ても似つかぬ顔をしていた。
ジョーは後ろを向いた。
昼間、缶コーヒーを後ろ向きにゴミ箱に棄てた時のように、彼は羽根手裏剣を後ろを向いたままで男に放った。
見事に喉元を抉っていた。
ジョーはそれを確認する事もなく、その場を去った。
男の断末魔の声が一瞬だけ聴こえた。
その声が暫く頭から離れなかった。
気持ちが落ち着いてから、南部博士にブレスレットで交信した。
「こちらG−2号。任務完了しました」
短い報告を終えて、ジョーは空を見上げた。
今日は星1つないどんよりした空だった。
いっその事、雨でも降ってくれ、と彼は思った。




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