『漣(さざなみ)』

ジョーはベッドに横たわって腕を頭の下で組み、海の漣を聴いていた。
今日は海岸にトレーラーハウスを置いていたのだ。
満潮の時間にトレーラーを置いたので、特に問題はない筈だった。
今日の任務はかなり厳しかった。
甚平が傷を負いそうな場面もあったが、ジョーが間一髪救い出し、全員が無事に帰還した。
任務で傷を受ける事は良くあったし、危険な状況に陥った事もあったが、これまで何とか生還して来た。
だが、いつ生命を落とすか解らない生活がまだまだ続くだろう。
18にもなって、自分の進路をキッチリと決められないのが、少し辛くもあった。
そろそろ上のクラスを目指したらどうか、と言われている。
彼はレーシングカーも所有している。
そのレーシングカーでのレースに専念したらどうか、と言う事をサーキットのオーナーから強く勧められているのだ。
スポンサーになりたがっている人物もいる。
ジョーのレーシングカーでの走りを観た人物だ。
そう言った声は引きも切らない。
だが、「はい、お願いします」とは言えない自分の立場が苦しかった。
自分への言い訳として、自分の貯めた資金で自分のチームを作るんだ、と言ってはいるが、本心は早く第一線で走りたかった。
しかし、それと同じ位、ギャラクターへの復讐心は強かったし、成し遂げなければならない事だと言う事を強く理解していた。
だから、時々その狭間に立って、苦しむ事になるのだ。
しかし、自分は科学忍者隊の一員だ。
自分の未来どころか、恋をする事すら我慢しなければならない。
この状態から脱するには、1日も早く、ギャラクターと言う組織を、そして、ベルク・カッツェを叩くしか道はないのだ。
海の漣はそんな風に悩みを抱えたジョーの心に優しくスーっと入って来た。
「小さい頃は嫌いだったんだがな…」
彼の両親は海辺で殺された。
その記憶から、海に近づけない頃もあった。
そんな彼の苦しみをパッと救ってくれたのが、南部博士の別荘で賄い婦をやっているテレサ婆さんだった。
彼女のお陰で、海辺にいる事も平気になった。
そして、沈み行く夕陽をそこで眺める事が最高の贅沢になった。
オレンジ色の道が水平線の方から自分に向かって伸びて来る。
その道を渡ったら、自分の故郷にまで歩いて行けそうな錯覚に陥る事もある。
だが、南部博士からは帰る事を禁じられていた。
その理由は彼には知らされていない。
自分がどうやって助けられたのか、彼は覚えていないのだった。
帰る事を禁じられた故郷だからこそ、より郷愁は募った。
ジョーはそれをいつも押し殺していた。
ゴッドフェニックスが上空を飛ぶ事もあった。
そんな時はレーダー席からふと、スクリーンを見詰めた。
誰もジョーの郷愁には気付かなかっただろう。
ジョーの故郷がどこであるかすら、皆は知らないのだから。
彼が日系イタリア人である事、ギャラクターに両親を殺され、自らも傷ついて南部博士に引き取られた事。
その程度しか仲間は知らない。
ジョー自身の知識も大して変わりはしない。
ただ、故郷の風景が良く夢に出て来るだけだ。
今、ベッドの上で海の静かな漣を聴きながら、ジョーは両親に思いを馳せていた。
(生きていたら40過ぎぐれぇなのかな…?)
何も知らない。
両親の馴れ初めや、両親が何をして生計を立てていたのか……。
そう言った事をもっと訊きたかった。
8歳の子供が普通にするように、もっと両親に甘えたかった。
でも、科学忍者隊には3歳で親と生き別れた甚平がいる。
だから、ジョーはそう言った事を口に出す事はなかった。
幼い甚平が堪えている事を、自分が言い出す訳には行かない。
いつか故郷に帰る時は、皆に黙ってそっと帰ろう、と思っている。
引いては返す漣が、ジョーを心地好く眠りに誘って行く。
上半身裸の筋肉の発達した引き締まった肉体が、シーツからはみ出ている。
身長に対してかなり細い身体だが、付く処に筋肉が付いて盛り上がっていた。
胸筋が発達し、腹筋も割れていた。
腕の筋肉も逞しい。
漣の音に誘われて知らない内に眠りに就いたジョーは、寝返りを打って眼を覚ました。
何とも心地好い音だ。
心が洗われるような気がする。
自分にはこんな時間が必要なのだと、彼は理解した。
ふっと起き上がると、シーツが肌蹴た。
男らしい上半身が露わになる。
「余りにも気持ちが良かったんで、何時の間にか眠ってしまったな」
ジョーは独り言を言うと、ベッドから降りて、着替えとバスタオルを用意し、するりと裸になった。
誰もいないトレーラーハウスだ。
人の眼を気にする必要はなかった。
シャワーを浴びようと言うのだ。
シャワー室の窓を全開にした。
夜の月がジョーのセクシーな姿を覗いている。
お月様は役得だ。
ジョーは枯れ葉のような色の髪から丁寧に洗って行く。
白い泡が鍛え上げられた肉体を滑って行った。
髪をスッキリと洗い上げ、ボディーソープとスポンジを手に取った。
芸術のような肉体だ。
男らしく盛り上がった筋肉。
キリリと上がった臀部。
そこから下に伸びる長いカモシカのような脚。
彫刻のような神々しい肉体を、夜の月だけが独占して見詰めていた。
ジョーは全身が映る鏡に自分の姿を映してみる。
先日傷を受けた肩の傷はもう癒えて来ているようだ。
痛みはとうになかったが、傷跡も薄くなって来た、と鏡を見て思った。
そこに映ったセクシーな姿を文章にする事は難しい。
男の肉体美だ。
肉体は男として成熟し、だが、まだまだ若い盛りの彼である。
若い肌はすべすべだし、腕が少し日焼けした身体が却って精悍だ。
いっその事、全身が日焼けしていたら、もっと美しいのだろう。
彼は任務の為に恋をしない事に決めているから、その身体を他人に見せた事はない。
いつかそんな日が来たら、きっと相手はその神々しさに卒倒しそうになる事だろう。
これ以上の表現は出来ない程、彼の若い肉体は美しかった。
シャワーを止めると、また漣の音が帰って来た。
ジョーは深呼吸をした。
白いバスタオルで身体を荒々しく、だが丁寧に隅々まで拭く。
黒いスウェットパンツを履くと、彼は思わず靴を履いて外に出た。
気持ちの良い程の星空、そして満月が彼を見下ろしていた。
足元からは海の漣が優しく囁いてくれる。
こんな贅沢な夜は久し振りだった。
もう1度深呼吸をする。
空に星が瞬くユートランドは無公害都市に近いのだろう。
漣の音と星と月の輝きに眼をやり、ジョーはそれから海面に視線を移した。
海面には月が揺れている。
ジョーはホッと溜息をついた。
こうして自然の中にいると自分が綺麗に浄化されて行く気がする。
闘いの中では、復讐に燃える男だが、こうした時間も自分には必要なのだと、改めて実感するのである。
ジョーはもう1度空の月を見遣ってから、トレーラーハウスの中へと入った。
そして、今度こそ、ベッドの上でゆったりと眠りに就くのであった。
厳しい任務の後にホッとする一夜が彼を訪れた。




inserted by FC2 system