『ユートランドに雪が降る』

ジョーはいつものTシャツの上に濃いグレーのロングコートを羽織り、襟を立てて震えながら入って来た。
「おい、寒いと思ったら雪が降って来たぜ!」
入口で肩に積もった雪を払ってから彼は入って来た。
「甚平!とにかく早いとこ温けぇコーヒーを頼むぜ」
「うん。すぐに淹れるよ」
「しかし、ユートランドで雪だなんて、一体どうしちまったんだ?」
ジョーはまだ震えている。
筋肉質で体脂肪率が低いせいか、意外にも寒さには弱そうだ。
「バードスタイルにでも変身したいくれぇだぜ」
「本当ね。一応冷暖房の設備はあるけど、使う必要がなくてずっと使ってなかったから、掃除しないと使えないと思うわ」
カウンターの中でジュンが答えた。
「ジョー。あなた、あそこからフィルターを取ってくれない。あなたなら届くでしょ?」
「何だよ、来た途端に扱き使われるのかい?」
店内には客が1人も居なかった。
ジョーは自分しか適任者が居ない事を悟ると、コートを脱いで、エアコンの蓋を開け、フィルターを取り外した。
「うぉっ!」
凄い埃だ。
(マスクでもしておけば良かった…)
激しく咳き込み乍ら、ジョーは後悔した。
「ジョー、大丈夫?」
ジュンがカウンターを飛び越えて、彼の背中を擦(さす)りに来た。
「1度に埃を吸っただけさ。たまには掃除しとくんだな」
ジョーは咳き込み続け乍らフィルターをジュンに押し付けた。
「困ったわ。シンクで洗う訳には行かないし、ガレージで洗って来るしかないわね。甚平!」
「え?おいら?」
コーヒーを淹れ終えた甚平が困惑顔でジュンを見たが、「解ったよ…」と妙に従順に答え、2階に上がってジャンパーを着込んで来ると、フィルターを持ってガレージへ入って行った。
「おいおい、ジュン。余り甚平を扱き使うなよ。可哀想じゃねぇか」
「そう?今朝、ちょっと喧嘩しちゃったのよ…。我侭な事を言い出すものだから」
ジュンが少し表情を曇らせる。
「俺は詳しい事は知りたくねぇぜ。ただの兄弟喧嘩みたいなもんだろ?
 すぐに気不味い空気なんて晴れるさ。いつか雪が止むようにな」
ジョーは手を洗ってコートを着直すと、淹れ立てのコーヒーを味わった。
「相変わらず此処のコーヒーは旨いな…」
身体は冷え切ったままだが、中から温まる感じがした。
「ジョーの兄貴、洗い終わったよ。埃が凄くて取るのに苦労した」
甚平が手を真っ赤にして戻って来た。
「ほいよ。俺に貸せ。ジュン、甚平の手を温タオルで暖めてやれ。
 最初はジンジンするだろうから、低めの温度から少しずつ上げて行ってやるといいぜ」
ジョーはひょいと簡単にフィルターを付けて、蓋を閉めた。
「有難う、ジョー」
ジュンがリモコンのスイッチを押した。
これで暫くすれば人心地が付く事だろう。
「甚平、いらっしゃい」
ジュンが温タオルで甚平の冷え切った両手を暖めた。
何度も湯沸かし器の湯でタオルを絞り乍ら、続けて行く内に甚平の手の悴(かじか)みも取れて来たようだ。
「ジョーの兄貴の言うようにお姉ちゃんにやって貰ったら、もう手が動くようになったよ」
「ああ、そいつは良かったな」
「今日は何作る?」
「いや…今日はいい。本当は食事に来たんだが、客が来ないから休みにしたかったんだろ?甚平」
ジョーが甚平の肩を軽く叩いた。
「あらいやだ。私、ジョーに喧嘩の理由なんて何も言ってないわよ」
「どうして解ったんだろう?」
2人は顔を見合わせている。
(ほうら、もう仲直りしてるじゃねぇか?)
ジョーは内心でニヤリとした。
「ユートランドに雪が降るなんて、ギャラクターの仕業じゃなけりゃいいがな」
「でも、天気予報で大型の寒波がやって来るって言ってたわ。20年振りですってよ」
「そうか…。それじゃあ、俺達が雪のユートランドを見るのが初めてなのは当たりめぇだな」
「ジョーの兄貴は天気予報を見ないのかい?」
「そう言えば見ねぇな…。見るのはレースの前日位だな」
普段は天気予報など見ないので、彼は今回の20年振りの寒波襲来を知らなかったのだ。
「おい、寒波が来るって知ってるなら、早くフィルターの掃除をしておけば良かったじゃねぇか?」
「ふふふ。健かジョーが来るのを待ってたのよ」
「別におめぇなら、物に乗るなり、ジャンプするなり、簡単に取れるじゃねぇか?」
ジョーは上手く踊らされた事に気付いた。
「……来たのが健じゃなくて悪かったな……」
ボソっと呟くと、ジョーはコーヒーの代金をテーブルの上に置いて立ち上がった。
「ジョーの兄貴、折角暖まって来たんだから、もう少しいればいいのに」
甚平の声が彼の背中を追い掛ける。
「腹が減ったんでな。帰って何か作る事にするぜ。
 おめぇら、今日は適当に看板にしとけ。甚平、たまにはゆっくり休めよ」
じゃあな、と彼は再びコートの襟を立てて出て行った。

初めて見るユートランドの雪景色は新鮮だった。
どこまでも景色が白い。
彼の故郷には雪が降らなかったので、任務で雪が降る地域に出動した時ぐらいしか、雪に接する事は無かった。
ジョーは徒歩でトレーラーハウスまで帰る事にした。
今日はG−2号機には乗って来ない方が良いような気がしたのだ。
彼の勘は妙に当たる事が多い。
(帰って飯を喰ったら、スノータイヤに履き替えさせておかねぇとな…)
内心で呟き乍ら、ジョーはブルっと身体を震わせた。
「それにしても、空から舞い落ちる雪がこんなに綺麗だとは気が付かなかったぜ…」
空を見上げて、独りごちるジョーであった。




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