『最後の口付け』

ジョーはテレサ婆さんが退職する日に、健をG−2号機に乗せて南部の別荘を訪れていた。
博士は重大な会議があって来られないと言って、ジョーに大きな包みを持たせた。
多分高価な絵画だろう、とジョーは思った。
テレサ婆さんは2人の来訪を心から喜んでくれた。
2人で金を出し合って買った抱え切れない程の花束は、テレサ婆さんが大好きなガーベラだった。
花束を渡すとそれはそれは嬉しがった。
健の持ち合わせが少なかった為、ジョーがその費用を大分負担した。
健はその分を埋め合わせする、と言って庭でカメラを構えた。
ジョーとテレサ婆さんの2ショット写真を撮ってプレゼントしようと言うのだ。
ジョーは写真を撮られる事は余り好きではないのだが、テレサ婆さんの為と思って、彼女の肩を抱いて写真に収まった。
健は何枚かの写真を撮り、コラージュ風にして後でテレサ婆さんに送るつもりでいた。
「健も写真に入れよ」
「じゃあ、1枚だけ…」
健がジョーと入れ替わって、ジョーがシャッターを切った。
「さあさ、最後に私の料理を食べて行っておくれ」
テレサ婆さんはにこにこと調理場へ入って行く。
まだ夕暮れ時にはなっていない。
どうやら最後に手の込んだ料理を作ってくれそうだ。
「手伝うよ」
ジョーがふらりと厨房に入って来た。
健は自分が手伝っても邪魔になるだけだし、ジョーと一緒に過ごす時間はテレサ婆さんのいい思い出になるだろう、と思い、テラスで日光浴を楽しむ事にした。
「まあ、いいのかしら?」
テレサ婆さんは背の高いジョーを背中を反るようにして見上げた。
ジョー達が居た頃よりも少々腰が曲がり始めていた。
テレサ婆さんが作るのは、此処の住み込みの使用人や警備員の食事だ。
南部博士が居れば勿論南部の分も作って、執務室までキャビネットで運んでいた。
「今日、博士がいらっしゃれなかったのは残念だわ。
 お世話になりました、とくれぐれも良く伝えてね」
「ええ。必ず伝えますよ」
ジョーは優しく答えた。
闘いの日々に在って、こんなに平和な気分で優しい声を出すのは久し振りな気がした。

最後の晩餐はテレサ婆さんの心尽くしの物ばかりだった。
ジョーや健の好みも知り尽くした彼女が考え抜いたメニューが白いテーブルに並んだ。
使用人にはワインが振る舞われ、未成年のジョーと健にはノンアルコールのアップルタイザーとシャンパンが出された。
全員で乾杯をして、いつもなら給仕に回るテレサ婆さんも今日ばかりは食卓を共にした。
使用人達がジョーと健の間に彼女を誘(いざな)った。
既にテレサ婆さんの後任の賄いが着任していて、今月の後半は引き継ぎを行なっていたが、今日はその彼女が給仕を担当した。
彼女はジョーが手伝いに入って来た時に、そっと姿を消していた。
テレサ婆さんはその配慮に感謝し、「明日から宜しく頼みますね」と自分の所に給仕に来た彼女の手を握った。

ジョーはG−2号でテレサ婆さんを送って行こうかと思っていたが、彼女を引き取る事になっている初老の娘と娘婿が車で門の外まで迎えに来ていた。
見送りに出た使用人達に1人1人挨拶をし、時には抱擁して、テレサ婆さんは門を出た。
ジョーと健も共に門の外に出る。
使用人達は三々五々別荘の建物に戻って行く。
「有難う。2人とも来てくれて嬉しかったわ」
「テレサ婆さん、身体に気をつけてな。写真は後で送るから」
健がガーベラの花束を抱えたしわくちゃの手を取って握り締めた。
ジョーが抱えていた南部からの餞別の絵画を娘婿に渡してから、テレサ婆さんに振り返った。
「テレサ婆さん、これまで本当に有難うな」
ジョーはガーベラの花束を片手で受け取り、小さなテレサ婆さんを抱き締めた。
それから腰を屈めて頬にキスをした。
「まあ!」
テレサ婆さんが驚いている。
「あなた達も随分と紳士になったものね」
ジョーは照れ臭そうにもう1度ガーベラの花束を彼女に持たせると、そっと優しく娘達の方に背中を押した。

それが最後の別れだった。
テレサ婆さんよりも先にジョーが逝く事になるとは、この時誰も予想だにしなかった。
テレサ婆さんが次にこの別荘を訪れる時は、ジョーの葬送の日となったのであった。
この半月後に健から郵送されたジョーとの写真を何枚もコラージュして作られた大きな額は、彼女の宝物となった。
それには別に小さな写真立てが添えられていて、健と1枚だけ撮った2ショット写真が入っていた。




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