『腐食ウイルス(前編)』

身体がいつになく怠かった。
それが発熱の為だと気づいたのは、パトロールが終わった夕方の事だった。
風邪を引いた訳ではない。
先日受けた傷が化膿していたのだ。
南部博士に治療は受けていた。
しかし、任務が立て続けに続いたせいか、良くなる気配がない。
「ジョー、傷を見るから治療室へ来たまえ」
南部博士が呼んでいる声が遠くに聴こえた。
「ジョー、どうした?」
隣に立っていた健が異変に気づいた。
ジョーはふらりとよろめいて、そのまま健の腕の中に倒れ込んでしまった。
「博士!酷い熱です!」
「うむ、傷の治りが悪いのが気に掛かっていたのだが…。
 これは何かあるな……」
博士は健と竜にジョーをストレッチャーに寝かせるように指示した。
彼が傷を受けたのは、生身でいる時だった。
南部博士の護衛兼運転手をしている時に敵の襲撃を受けた。
彼は善戦していたが、敵の銃弾が左腕を掠めた。
「銃弾が掠めたぐらいでこんなに化膿する事はあるんですか?」
健が訊いた。
「ある。だが、これは異常過ぎる。何か銃弾に細工がなされていたのかもしれん」
「そうじゃのう。博士を狙った銃弾ならそれは有り得るわい」
竜が顎に手を当てて言った。
「私が迂闊だった。すぐに血液検査をしよう」
健と竜がそのままストレッチャーを押して南部博士に着いて行った。
後からジュンと甚平も着いて来た。
「ジョーの兄貴って、何だかついてないよね」
「しっ!甚平、そんな事、言わないの」
「だって、怪我ばかりしているじゃん」
「確かに私達より怪我は多いわね…」
ジュンが潤んだ声で言った。
「でも、ジョーは人を庇って傷を負う事が多いわ。
 今回だって、南部博士を守っていて受けた傷よ。
 私達を庇ってくれる事もある。
 仔犬を助けようとして重傷を負った事もあったわ……」
「意外と厳しい事を言いながら、優しいんだよな。ジョーの兄貴は」
ストレッチャーが基地内の病室に着いた。
「諸君は此処で待っていたまえ」
南部はそう言ってスタッフを呼び集めた。

ジョーは重篤だった。
全身が火のように熱い。
信じられない程、体温が上昇している。
「鼠径部に保冷剤を絶やさないように。
 呼吸も心臓の動きも弱っている。
 このままでは死んでしまう!」
南部はジョーの血液を看護師に取らせ、すぐに精密検査へと回させた。
「傷口のレントゲンを撮る。それからすぐに強心剤を点滴してくれたまえ」
部屋は殺伐として来た。
ジョーには酸素マスクが付けられた。
「血液には触れないように気をつける事。何かのウイルスが混入している可能性がある」
ジョーの看護に直接当たる看護師達は、使い捨ての手袋をつけて作業を行なった。
先程血液を取ったその箇所に、そのまま点滴が繋げられた。
「私は血液のウイルス検査を行なう。
 通常の検査は検査部に回してくれ。
 それからレントゲンの検査結果は隣の検査室に持参してくれたまえ」
南部博士は忙しく動き始めた。
血清を取り、それを顕微鏡に掛ける。
「ううむ。これはやはり……」
「博士、ウイルスがいたのですか?」
レントゲン写真を持って来た看護師が訊いた。
「うむ。アルガノンと言うウイルスだ。
 毛細血管に潜り込み、全身状態を悪化させる」
「レントゲン写真を此処に貼っておきます」
看護師は邪魔をしないようにとすぐに退出した。
白いライトに照らされた傷口部分はかなり腐食しているように見える。
「これは血管を腐食させるウイルスなのだ…。
 何故早く気付かなかった?
 ジョー、すまない……」
博士はすぐに医薬品の調合に取り掛かった。

看護師がバタバタと出入りする病室の前で、健達4人は待っていた。
とても看護師を呼び止められる雰囲気ではなかった。
南部の指示で医薬品を掻き集めに走っているのか、戻って来た時には多くの医薬品を載せた金属製のカートを押して来た。
心配そうに見守る健達に、一言だけ「ウイルスが検出されました」と言って、看護師は部屋に入って行った。
出入りする人間は全てマスクをし、手袋をはめている。
彼らの感染防止対策だけではない。
ジョーへの彼らの唾など細菌による感染を防ぐ意味もあった。
今、これだけ弱っている身には、どんな細菌でも勝ってしまうだろう。
「ジョー。体調が悪いのなら、何故パトロールに出たのだ?」
健は壁を叩いた。
「私達に心配を掛けたくなかったのでしょう。
 それに、例えパトロールでも任務から外れたくなかったのかも?」
ジュンが健の肩に手を置いて、慰めるように言った。
「それに、パトロールの時はそんなに体調が悪い風には見えなかったよ」
甚平が言った。
「帰って来てから急に悪くなったんじゃないかな?」
「ウイルスは時間を掛けてジョーの身体に侵食していたと言う事か…。
 何て事だっ……!」
「ジョーだから持ち堪えているけれど、これを博士がまともに受けていたらどうなっていたかしら?」
「ジョーの傷は掠っただけじゃわい。きっと大丈夫じゃ」
「おっそろしい〜。掠っただけでジョーの兄貴があんなになるんじゃ、博士がその銃弾を喰らっていたら、今頃とっくに……」
甚平は震え上がった。
恐らくは彼の言う通り、南部博士がまともに銃弾を受けていたら、既に生命はなかった事だろう。
「ジョーのお陰で博士は無事ピンピンとしているって事か…。
 良かった、と言うべきなのだろうが……」
健は苦悩を隠さなかった。
「やはり、護衛をジョーにばかり任せているのは、良くないと思っていたんだ」
「でも、私はバイクだし、健はセスナ、甚平はバギー、竜はホバークラフトよ。
 車と言えばジョーしか適任はいないわ」
「そこに甘えていたのだと思う。
 車の運転なら俺だって、一応はA級ライセンスを持っている」
「そうだったわね……」
「博士の護衛体制を考え直さなければならない時が来ているのかもしれない」
「でも、誰が護衛したとしても、ジョーの兄貴の代わりに誰かが犠牲になってた事は間違いないよ」
「護衛を誰がやるかじゃなくて、人数を増やさんと行かんのう…」
4人がそう話している処に、看護師が出て来た。
「病状が落ち着きました。マスクと手袋を着けてなら面会しても良いと南部博士が仰っています」
「有難うございます!」
健達はホッとして、言われた通りに病室に入った。
まだ沢山の医療スタッフがいた。
南部博士がジョーを見下ろすように立っていた。
意識はまだないが、バイタルは安定しているようだった。
「危ない処だった…。辛うじて間に合った」
「博士。有難うございました」
「礼を言わなければならないのは私の方だ。
 ジョーを犠牲にしてしまった……。
 体調が悪いとは気づかずに無理をさせてしまった」
「我々が見る限り、ジョーには異常は見られませんでした。
 体調が悪くなったのだとしたら、まさにあの直前だったのだと思います。
 直前までずっと傍にいた我々が気付かなかった事を、博士が気づかれる筈もありません」
健が言った。
「いや、気付かねばならなかったのだ。もっと早く……。
 回復には時間が掛かるかもしれん。
 毛細血管までウイルスが入り込んでいる」
「ジョーの体力なら大丈夫でしょう」
「この2〜3日が山だ」
博士は辛そうに首を振り、病室を出て行った。
「そんなに…重篤なんですか?」
健は博士の助手のような立場にいる医師に訊いた。
「毛細血管まで腐食させる大変なウイルスでした。
 でも、彼は今までも様々な怪我をしていますが、驚異的な回復力を私達に見せてくれました。
 私は大丈夫だと思っていますよ。
 勿論、医者は安易にそう言う事を言っては行けないのですがね」
助手は健に苦笑いをして見せた。
健の心に一筋の希望が見い出せた。
「みんな、ジョーは大丈夫だ。ジョーの体力を信じよう」
健はそう言うと、助手に「宜しくお願いします」と頭を下げて病室を出て行った。




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