『テレサと来た海辺』

波がさわさわと足元に押し寄せていた。
ジョーは裸足になって、波打ち際にいる。
子供の頃、海が怖かった彼を癒してくれたのはテレサ婆さんだ。
それから海辺で夕陽を見るのが好きになった彼には、特別な場所がいくつも出来た。
此処はテレサと来た海辺。
クリスマスプレゼント代わりに連れて来た場所でもある。
テレサはその後、別荘の仕事を辞めて、娘夫婦に引き取られて行った。
齢80だから仕方がないが、ジョーにとっては別荘に来て、テレサの顔が見られないのは、やはり寂しい事だった。
逢いに行くと約束したまま、まだ行っていない。
それは彼の体調が優れなかったからだ。
テレサなら一発で見抜いてしまうだろう、とジョーは思った。
ジーンズが濡れてしまう程に高い波が来た。
ジョーは咄嗟に飛び退ってそれを避けた。
その瞬間に発作が起きた。
頭の中がどうにかなっているようだ。
脳が攪拌されているような、嫌な感じだった。
そして、太い針を刺されているかのように、ズキリと頭が痛んだ。
痛みは1箇所ではなかった。
近い場所が数箇所痛んでいるのが解った。
それが纏めてズキリと大きな痛みを発しているのだ。
点と点が繋がって、広い範囲に痛みを起こしている、と言う実感があった。
しかし、南部博士には相談出来ない。
こんな事を知られたら、科学忍者隊から直ぐ様外されてしまう事だろう。
それは彼の本懐を遂げる為には、絶対に避けなければならない事だった。
ジョーは浜辺に膝を着いて蹲った。
頭が割れるように痛かった。
激しい眩暈で倒れそうだったが、それだけは辛うじて意志の力で耐え切った。
少し痛みに慣れて来た処で、ジョーはG−2号機に戻り、ミネラルウォーターで薬を飲んだ。
規定の倍以上の量だ。
それでもなかなか効いては来ない。
G−2号機のシートに身を預けて、肩で息をしていた。
じっと発作が収まるのを待つしかない。
こんな状態では、テレサ婆さんには逢いに行けないな、とジョーの心にふと翳りが浮かんだ。
もしかしたら、2度と逢う事は叶わないのかもしれない、とこの時、不吉な予感が彼の中で起こったのだ。
自分の勘が当たる事を知っているジョーは、その考えを頭の中から無理矢理に締め出した。
そして、テレサの面影を脳裏に浮かべながら、発作の苦しみに耐えたのである。
南部博士からの呼び出しがあったのは、ほぼ発作が落ち着いた後で、ジョーもホッとしたのであった。

それからもテレサ婆さんの事は気に掛けていたが、任務が立て込んだり、体調が良くなかったりして、結局は彼女に逢いに行く事は叶わなかった。
ジョーの勘はまさしく当たったのである。
テレサの退職の日が今生の別れになるなんて、誰が想像し得ただろう。
ジョー自身すら、逢いに行けると信じていた。
ジョーはテレサ婆さんに精一杯の文字で手紙を書いた。
仕事が立て込んで行けないけれど、元気にしている。
テレサ婆さんにはとにかく身体に気をつけて長生きして欲しい。
自分に子が出来て育つのを一緒に見守って欲しい、と書いた。
最後の願いは叶わないだろう、と言う事がジョーには解っていた。
もう、自分の生命が長くはないだろう、と言う事が解りかけていたからである。
しかし、後に街医者に診断されたように、残りの時間がそれ程までに短いとは彼も思ってはいない。
生きている間にギャラクターに一泡も二泡も吹かせ、ベルク・カッツェを手痛い眼に遭わせてやるのだ。
この手でカッツェを…。
その気持ちをずっと持ち続けていた。
健も同様だろうが、此処は譲れない。
俺がやってやる、と心に決めていた。

あれから、テレサと逢う代わりに、思い出の海辺を訪れる事が増えた。
そうして、テレサに思いを馳せ、その長寿を願い、娘婿の家で肩身の狭い思いをしていないか、と心配していたのである。
テレサはその人柄から、娘婿にも愛されている事だろう。
ジョーはそう思った。
だから、きっと幸せに暮らしている筈だ。
南部博士からテレサから来たと言う手紙を渡されていた。
此処で読もうと持って来たのだ。
そこには、娘婿の家での暮らし振りが垣間見え、元気に楽しく暮らしている姿が見えた。
そして、その手紙には嘘偽りがない事も良く解った。
ジョーの健康を心配する文章で結ばれていた。
「風邪を引かないように、か…。
 テレサ婆さんの中では、まだまだ俺は子供なんだな」
ジョーは苦笑した。
それはそうだろう。
18歳の時に亡くしたと言うジョーにそっくりな孫は、生きていたらもう30代にはなっている筈だった。
孫と言うより曾孫に近い年頃のジョーだった。
テレサはそんなジョーを本当に可愛がってくれた。
ジョーも感謝していたし、テレサの事は身内のように愛していた。
だから、約束が果たせそうにないのは、哀しい……。
ジョーは約束を破らない。
テレサもそれを知っている。
何かと忙しくしているのだろう、と彼の身体を気遣ってくれているのだ。
心苦しくなった。
今すぐに逢いに行きたかった。
発作さえ起こらなければ、逢いに行ける。
しかし、この頃はその発作が起きる間隔が狭まって来ていた。
とても、安心してテレサ婆さんに逢いに行ける状況ではなかった。
この処、南部博士がどこかに篭っていて、護衛兼運転手の仕事が入って来ないだけでも有難かった。
また、ギャラクターも不気味に鳴りを潜めていた。
(近い内に何かある……)
ジョーはそう思っていた。
それが終わったら、治療を受けて、テレサに逢いに行こう。
ジョーはまだそこに希望を見い出していた。
一縷の望みを賭けていた。
本懐を遂げてしまえば、堂々と病気の事を言える。
治る病気ではないかもしれないが、少しは症状が軽減するだろう。
そうすればテレサとの約束も果たせると、ジョーは信じていた。
自分の嫌な勘など吹き飛ばしてしまえ、とばかりに、ギャラクターを斃した後の生活の事ばかりを考えた。
自分にその日が来ない事を予感しながらも、それでも考えずにはいられなかったジョーの胸中は如何許りか。
ジョーの死後、それを考えなかった者はいなかった。
彼の苦しみを丸ごと受け止めたかったのに、と仲間達は泣いた。




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