『夕陽の道』

潮の香りがした。
博士の別荘は海に近かった。
幼い頃の体験から、海が嫌いになり掛かった事もあったが、ある人物とこの海に来た事を切っ掛けに立ち直っていた。
そして今では海辺で夕陽を見る事が何よりの贅沢になっていた。
サーキットで爽快に走った後の海である。
気持ちが良かった。
波打ち際を歩く気にもなろうと言うものだ。
男1人でおかしいな…、などと思いつつも、ジョーは波を追い掛けた。
チラリとあの日の記憶が顔を出そうとしたが、丁度夕陽のパノラマショーが始まろうとしていた。
ジョーは足を止めて、空を見入った。
刷毛で引いたようなオレンジ色のグラデーション。
色は厳密に言うと、オレンジだけで構成されている訳ではない。
コバルトブルーも混ざっている。
こうして、少しずつ色合いを変えて行く夕焼け空。
そして、海上に自分へ向かって道を作りながら落ちて行く夕陽。
その道は自分の故郷にきっと続いている。
歩いて行ってみたいと、子供のような衝動に駆られる。
見事な風景だ。
これを何度見た事か。
ジョーは特等席をいくつも知っている。
丘の上や、いつもトレーラーハウスを置く森の中のハンモックの上。
様々な場所から飽かずに沈み行く夕陽を眺めて来た。
何度見ても飽きない風景だった。
こんな贅沢を南部博士にもさせてやりたいと思う事も屡々で、一度、自分の特別な場所に連れて行った事がある。
博士も喜んでくれたものだ。
夕陽の道をどう解釈してくれたのかは解らないが、ジョーの郷愁を読み取ってくれたのかもしれない。
今日も水に絵の具を溶いたような夕焼け空が色味を変えて行く。
これから博士をISOに送る仕事があって、ジョーはこの海辺で時間を潰しているのであった。
遅くなっても構わないから、この夕陽が沈むまではスクランブルが掛からないで欲しい、とつい思ってしまった。
ジョーは心のシャッターを何枚も切った。
夕焼け空は、その日その日で違う。
決して同じではない。
似たような感じはあっても、全く同じだとは言い切れない。
今日の夕陽は、心持ちゆっくりと沈んで行った。
その分パノラマショーを存分に楽しめる事になる。
夕焼けは徐々にコバルトブルーへと色合いを変えて行った。
ジョーはその過程が好きだった。
夕陽が沈み切り、空に星が瞬くようになるまで、ずっとG−2号機に寄り掛かって、空を眺めていた。
急に潮騒の音が聴こえる。
空に夢中だった間、その音を忘れていた程だった。
確かに聴こえていた筈なのに、それを聴いてはいなかったのだ。
それ程までにジョーは空に惹き付けられた。
そして夕陽によって海に出来るあの道を渡る空想をした。
子供のようだ、と自分を嗤いながらも、その空想は夢の中で実現した事もある。
但し、故郷までは辿り着けず、いつも何やらのアクシデントが起こって頓挫してしまうのだ。
頭のどこかで解っている。
故郷に帰る事は禁じられていた。
その理由も解っている。
自分は生命を狙われて故郷から救い出されたのだ。
今は成長したが、また狙われる可能性もあるだろう。
南部が憂えているのはそこに違いない。
故郷にあるだろう両親の墓にも参ってみたい。
ギャラクターを斃して本懐を遂げたら、その時、やっと許しが出るのだろうか。
その日まで、故郷への思いは封印して闘い抜かなければならない。
ジョーはそう思う事にしていた。
それでも、夕陽が作る道は子供の頃から、故郷へ通ずる道として、彼の中に憧れを作った。
その魂が未だに残っているのである。
(もう、夕陽が沈んで道は消えたぜ…)
ジョーはそう思って、ブレスレットを見た。
まだ博士からの呼び出しはない。
潮騒だけが心に響いた。




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