『レモンの香り』

ジョーは今日も午前中からサーキットで走っていた。
午後はパトロールの仕事が入っている。
サーキットで爽快に走り、『スナック・ジュン』で腹拵えしてから基地に向かおうと思っていた。
どうせ仲間達もそこに屯している筈だ。
竜を乗せてヨットハーバーへ行き、G−5号機と合体して行くのが、一番手っ取り早く基地に行ける方法だった。
G−2号機は水中を走行出来ない。
基地が海底にある以上、潜航艇を使うか、竜と合体して行く以外に方法がないのである。
「今日は貴方の故郷のレモンが手に入ったのよ。
 甚平がいろいろな料理に使うから期待していて」
店に入るなり、ジュンがそう言った。
「そんな訳だから、料理はお任せでいいわね」
有無を言わさぬ雰囲気だったが、ジョーには異存がなかった。
「そう言う事ならば、オーダーはそれで頼むぜ」
軽くそう答えて、ジョーは故郷の文字が並ぶ新聞を読み始めた。
ジョーはいつもイタリア語の新聞を手にしている事が多い。
やはり故郷の文字の方が読み易いのだろう。
それに故郷の情報に触れていたいと言う気持ちがあるに違いない。
ジュンはあの事件があってから、ジョーがBC島の出身だと知った。
そして、それから何かと気を遣っていた。
ジョーがアランの事件で傷つき、故郷を思いたくないと考えるとは思ってもいなかったし、ジョー自身も故郷の島へ足を運び、拒否された事で、故郷への郷愁は逆に増すばかりであった。
身も心も傷ついた事は事実だったが、両親の思い出、故郷の悪友達の思い出が甦る。
それはあの忌々しい事件の事も思い出す事になるのだが、ジョーはその事をもう恐れなかった。
ただただギャラクターへの復讐心を募らせるだけだった。
ギャラクターを斃す為に、自分は生きている。
アランが生命賭けで伝えたかった事は解らなくはないが、それでも自分が自分で有り続ける為には、そうするしか他になかった。
ジョーはアランの事を考えると虚しくなったが、冷たく迎えられた故郷を元の『ふるさと』にする為に、自分がやらなければならない、そう考えていた。
風光るBCと呼ばれたあの故郷に、思いを馳せる事は良くあったし、ジュンが故郷の食材を手に入れてくれる事は正直有難かった。
母親が作ってくれた料理を思い出す事もある。
あの幸せだった時代……。
両親が何をやっていたのか、当時は知らなかったが、今なら解る。
だが、両親は自分の為にギャラクターを裏切ったのだと思いたい。
家庭では普通の両親だったし、家にいる事は少なかったが、ジョーに愛情を持って接してくれていた。
寂しい事もあったが、その瞬間があるから耐えられた。
ジョーは今でもそう思っている。
早速レモンの香りが漂って来た。
前菜のサラダだ。
甚平がサラダにレモンを絞ったドレッシングを掛けたのだ。
「ジョー、レモンの香りにお腹が益々空くぜ。
 今日は沢山食べて行ってよ。
 いつもそれ程食べないんだからさ」
甚平はジュンと共に、ジョーの食の細さを心配していたのだ。
「おいおい、竜と一緒にするなよ。
 同じ量だけ食わされたら太っちまう」
「悪かったな、デブで。
 でも喰いたい物は喰いたいんだわ」
竜の前には相変わらず大皿がいくつも並んでいる。
「あら、ツケじゃなければ、別に私は構わなくてよ」
ジュンが笑ったので、『ツケ』の客約1名が困った顔をした。
健の前には、サンドウィッチの皿が1枚、寂しそうに置かれている。
「甚平。健にもサラダをやってくれ。その分は俺が払う」
ジョーが言った。
何となく気の毒に見えてしまったのだ。
「ジョーの兄貴、太っ腹だねぇ」
「リーダーが空腹で動けなくなったら、俺達も困るだろうよ」
「解ったよ。今、作るよ」
「どうせなら、サラダよりパスタがいいんだが」
「調子に乗ってやがる」
ジョーは頭を抱えた。
「仕方がねぇ。今日は俺が出してやる」
「ジョーの兄貴、いいの?」
「一昨日賞金が入ったからな」
ジョーの懐は暖かかったのだ。
だからと言って、健を甘やかしていいのか?と言う眼でジュンが見ている。
「今回だけだぜ。俺はそんなに甘くねぇ。
 今日は故郷のレモンをわざわざ仕入れてくれたジュンの為に売り上げに貢献してやるだけだ。
 断じて健の為じゃねぇ。覚えとけ」
リーダーとサブリーダーの立場が完全に逆転していた。
健は一瞬シュンとなったが、「ご馳走様」と軽く受け流した。
「これだもんなぁ、健は…」
竜が腹を揺すって笑った。
ジョーはサラダにフォークを差し込んだ。
懐かしい香りがする。
母親もこうして、ドレッシングにレモンを入れてくれたものだ。
シャキっとしたレタスに2つに割ったミニトマト、茹でたブロッコリーが入っていて、彩りが鮮やかだった。
ドレッシングには、レモンの果汁と酢、塩、蜂蜜、水で溶いたゼラチンが入っていたので、とろみが付いている。
このレシピが母親と同じだったので、ジョーは驚いた。
蜂蜜がレモンの酸味を少し抑えている。
しかし、塩が入っているので、甘過ぎない。
ジョーは迂闊にも泣きそうになった。
それを寸での処で堪えた。
母親の味を此処で味わう事になるとは思わなかった。
同じになったのは偶然なのだろうが、甚平は故郷のレシピを研究してくれたのかもしれない。
サラダのレモンの香りに癒された。
その後はパスタが出され、最後にはジェラートが付いた。
「ジョーの兄貴にだけ、特別に出すジェラートだよ」
甚平がそう言った。
「折角作ったんだ。みんなに出せばいいじゃねぇか?」
「ジョーの兄貴の分しか作ってないから」
甚平もジョーを気遣っている事が解った。
「ありがとよ」
ジョーは礼を言って、ガラスの器に入ったレモンのジェラートを受け取った。
これも母親が良く作ってくれたものだ。
見栄えは違っていたが、甚平のにも母のものにも、蜂蜜が掛かっていた。
甚平のジェラートにはミントの葉が添えられていた。
気が利いている。
ジョーは一口さっくりとスプーンで掬った。
口の中に故郷の味と香りが広がった。
さっきのサラダよりも、更に懐かしい味だった。
子供の頃は良くこれを作ってくれ、とねだったものだった。
今度は涙を堪え切れなかった。
しかし、恥ずかしいとは思わなかった。
慌てて手の甲で涙を止めた。
誰も何も言わなかった。
見て見ない振りをしてくれたのだ。
いつもなら茶化すだろう竜も黙っていた。
アランの事があってから、まだそれ程日が経ってはいない。
身体の傷は癒えても、心の傷は残っているだろう。
そして、故郷への郷愁は今も激しくジョーの体内に生きているだろう。
そう思ったからこそ、仲間達は知らぬ顔を通してくれた。
ジョーは有難いと思った。
健にパスタを奢る事になってしまったが、それでも構わない、と思った。
「甚平。今度来る時には、5人分作っておいてくれ。
 俺が払うからよ」
「ええっ?5人前も食べるの?
 さすがにお腹を壊すと思うよ」
「馬鹿ねぇ。ジョーはみんなで食べたいって言ってるのよ」
ジュンが甚平を窘めた。
「じゃあな。ご馳走さん。そろそろパトロールの準備に入る時間だぜ」
ジョーの言葉に全員がハッとした。
「そうじゃわ。忘れとった!」
「竜、乗せてってやるから、G−2号機を格納してくれ」
「解っとるって!」
ジョーと竜は代金を支払い、出て行った。
健はいつもの通りツケだが、今日はそれ程ジュンの機嫌は悪くなかった。
ジョーの涙を見て、ジュンも胸に来る物があったのである。
「甚平。店を閉めるわよ」
パトロールに向かう支度が始まった。




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