『海洋科学研究所(10)/終章』

ジョーの容態は悪かった。
あの最後まで意識を保っていたジョーが、未だに意識を取り戻さない。
その日の夜、科学忍者隊のメンバーは交替でジョーの傍に付いていた。
仲間達は外のソファーにいる。
酸素吸入を受けているジョーを置いて離れる事など出来なかった。
ただ、夜中は容態が急変する恐れがあると言う事で、医師や看護師の出入りが激しく、4人でいる事は出来ないのだ。
今は健が病室に入っている。
ジョーの手を握って、健は心で励ましていた。
(ジョー、頑張れ。科学忍者隊はお前1人欠けても機能しないんだぞ……)
ジョーが額に汗しているのを見て、健はハンカチでそれを拭いた。
その時、心電図が乱れた。
隣の部屋に待機していた、医師と看護師が飛んで来た。
健は部屋の外に出るように言われたが、足が竦んで動かなかった。
ジョーは、突然酸素吸入器の中に血を喀いた。
身体中が痙攣している。
健はそれを見てしまった。
出るように言われたが、足が床に張り付いたかのように動かない。
看護師に押されて、初めて動く事が出来た。
心を残しながら、健は病室を出た。
「健、どうしたの?」
「容態が急変して追い出された。
 痛々しい事に、また血を喀いた。
 意外にも腹部の傷だけではなく、肺も傷ついていたようだ」
「だから、予断を許さないと言っていたのね」
「そうだと思う」
健は暗澹とした表情で立ち尽くした。
病室の中では懸命な治療が行なわれていた。
酸素吸入器を外し、ジョーの身体を横向きにして、口腔内に溢れた血を吸引した。
それから新しい酸素マスクを付ける。
だが、まだ喀血は収まってはいなかった。
同じような手順で、手当が黙々となされた。
ジョーは唸り声を上げる事も出来ずに、苦しげに肩を上下させている。
だが、その事も傷に影響を与えていた。
点滴に鎮静剤が混ぜられた。
血圧が異常に下がっていた。
それに対処する薬も入れられた。
身体が弱っている。
強い薬を使う事になるが、ジョーの若い身体がそれに勝ってくれるようにと医師達も願いを込めた。
昇圧剤はこれ以上ないと言う位まで濃度を上げられた。
それ以上、医師達にする事はなかった。
後はジョーの体力と気力次第…。
医師達が出した結論はそれだった。
健達は病室内に招き入れられた。
医師達は一通り説明をして、また隣の管理部屋へと戻った。
健達はマスクに帽子、防塵衣、手袋を着けさせられている。
ジョーは先程までとは違い、酸素テントの中に入っていた。
容態が悪い事を示唆している。
「後はジョーの体力と気力次第、か……」
健が力なく呟いた。
「ジョーなら大丈夫な筈よ。
 これまでだって苦難を乗り越えて来た。
 こんな事で負けたりはしないわ」
ジュンが健の肩に手を置いた。
「そうだな…。俺達はジョーを信じるしかない。
 あのビーム砲を喰らって、この程度で済んでいるのもジョーだからこそかもしれない。
 もっと傷を受けても不思議じゃなかった。
 網の目のようになっていたからな」
「そうよ。ジョーは身体の力を抜いて、少しでも被害を喰い止めたのに違いないわ」
「そうだ。咄嗟にそうしたに違いない」
健の瞳が揺らいだ。
「馬鹿野郎。こんな傷を受けてまで、意地を張って敵を倒しやがって」
「ジョーらしいじゃない?」
「いんや、無茶は無茶だわ。
 健は許可出来ないと言ったんだぞい」
「でも、ジョーの兄貴は聞かなかった」
「俺がジョーだったら、同じ事をしたかもしれない…」
健が呟いた。
「だから、俺はジョーの気持ちも解る」
つい先程『馬鹿野郎』と言ったばかりの健が、複雑な表情をした。
「ジョーは生きる為にギャラクターと闘っている」
「ジョーの兄貴が『生きる為に』って、どう言う事?」
甚平が訊いた。
「ジョーにとっては、ギャラクターへ両親の復讐をする事だけが生きる糧だからだ」
「それって哀し過ぎるわね」
「ジョーはそう言う男だ。
 それを俺達には告げずに生きて来た。
 今は俺達の知る処となったが、ジョーは1人でそれを抱えて来た」
「健はそれを知っていたの?」
「断片的にな。両親がギャラクターに殺された事だけは知っていた。
 復讐を誓っている事も……」
4人は声を抑えて話し続けた。
ジョーと同じ部屋にいるにも関わらず、近づく事も出来ない。
話をして気を紛らすしかなかった。

容態に変化が訪れたのは、夜が白み始めた頃だった。
薬のお陰だが、数値が良くなっている。
酸素テントは取り払われた。
だが、まだ酸素吸入器は付いていた。
「間もなく意識が戻る可能性があります。
 さすがに若い。この強力な薬に耐えて乗り切ってくれました。
 まだ薬を続けなければ、容態は悪化しますが、取り敢えずこのまま続ける事が出来れば大丈夫でしょう。
 但し、この昇圧剤はいつまでも使い続ける事が出来る薬ではありません。
 薬が使えなくなった以後は、本当に本人の体力次第です。
 此処まで良く頑張ってくれたと思いますよ」
医師はそう言って、疲れた顔を綻ばせ、隣室へと去った。
「ジョー」
酸素テントが取り払われたので、手を握る事が出来た。
健と反対側からジュンがジョーの手を取った。
甚平と竜も心配そうに見下ろしている。
ジョーの両手がピクリと動いた。
夜中にあれ程の血を喀いて、まだ輸血も続いている状態なので、発熱があった。
しかし、ジョーは必死に意識を取り戻そうとしている。
「け…ん……」
ジョーは薄目を開けてすぐに閉じた。
まだ朦朧としているのだろう。
だが、健達の存在は確かに確認した。
眼を閉じたままで、彼の酸素吸入器の中の唇が動いた。
「南部…博士、は……?」
「大丈夫だ。どこにも異常は見られなかった。
 心配は要らないから、自分の身体を治す事だけを考えろ!」
「良かっ、た……」
ジョーの瞳から涙が一筋溢れ出た。
健はそれを手で拭ってやった。
その時にはジョーの意識は再び奈落の底へと手放されていた。
「大丈夫。これなら回復するでしょう」
隣の部屋から出て来た医師がそう言った。
健達は静かに喜びを分かち合った。
「一瞬でも意識が戻った事を南部博士にも知らせよう」
健は涙を抑え切れなくなって、自ら病室を出た。
そして、南部博士に報告をした。
博士も目頭を熱くしているような印象があった。
『ジョーも回復して来たとあって、肩の荷が少し下りたよ』
博士はそう言った。
海洋科学研究所の所長を死なせてしまった事に相当の罪悪感を持っている、と健は思った。
「博士、あれは俺がジョー達に突入を待て、と命令したせいです。
 博士のせいではありません」
『健、ありがとう…。
 ジョーの事を頼んだぞ』
博士から通信は一方的に切られた。
今回の事件で博士が受けた衝撃も大きかったのだろう。
国際科学技術庁的にも衝撃が走っていた。
そんな事よりも、ジョーを心配している自分達は科学忍者隊としては失格なのかもしれない。
しかし、健はやはり自分に正直でいたかった。
健は何も言わなくなったブレスレットを暫く見つめていたが、再びジョーの病室へと取って返した。
ジョーの回復は近い。
それだけが今の心の支えだった。




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