『ヤマト』

窓にキラキラと西日が突き刺さって来ていた。
此処は病室だった。
ギャラクターに両親を殺されて、南部博士に救われ、BC島で応急処置を受けてから本土に渡って、本格的な治療を受けた。
そうして一命を取り留めたジョーは、その後南部の手によって、ユートランドの病院へと転院していた。
まだこちらの言葉が解らない。
南部博士は忙しいらしいが、それでも1日に1回は来てくれて、故郷の言葉で話し掛けてくれた。
そして、少しずつこちらの言語を教えてくれていた。
身体の方はまだ傷が癒えた訳ではなかった。
歩く事はまだ出来ないが、車椅子には自分で何とか移動する事が出来るようになり、車椅子を動かす事も出来る。
漸くそこまで回復して来たのだ。
子供の回復力は素晴らしい。
南部博士は感嘆していた。
「これから君の事はジョージではなく、ジョーと呼ぶよ」
そう言われたのは、本土の病院で意識を取り戻した時の事だった。
ジョーは自分の置かれた状況の訳が解らず、半狂乱になった。
両親は?確か殺された筈。
そして、その後、自分も薔薇の爆弾で殺されたのでは?
でも、此処は病院?
自分だけ生き残ったのか?
そんな風に混乱するジョーを、南部博士はしっかりと抱き留めてくれた。
西日が入るユートランドの病院のベッドの上で、ジョーは本土の病院での出来事を思い出していた。
本当にそれから南部博士は自分の事を『ジョー』と呼んだ。
『ジョージ』では差し障りがあるらしかった。
どうやら『ジョージ』は死んだ事になっているらしい事は、ジョーにも解って来ていた。
南部博士は故郷の文字の本をジョーに与えながらも、ユートランドでの共通語を教えに来ていたが、やがてその役目は人に任せるようになった。
仕事が忙しいらしく、ジョーの教育については、専門家に任せる事にしたようだ。
しかし、それでも毎日短時間でも顔を出してくれる事は、ジョーには有難かった。
自分の国の言葉を話せる人は南部博士しかいなかったのだから。
「紹介しよう。君にこの国の言葉を教えてくれるヤマトさんだ。
 彼も日系イタリア人で、国際科学技術庁で働いている。
 彼に1日2時間ずつ言葉の勉強に来て貰う事にした。
 彼ならイタリア語も話せるから、気分転換にもなるだろう」
南部博士がある男を連れて来たのだ。
ヤマトと言う男は、気のいい男だった。
ジョーに暗い過去がある事は南部から聴いて知っていた。
彼の傷に触れないように気を遣いながら、ユートランドで使われている言葉を教えてくれたのである。
ジョーは乾いた土が雨を吸収して行くように、新しい言葉を覚えた。
ヤマトの言葉は何故かべらんめえ調だった。
ヤマト曰く、言葉を習った人が、そう言う言葉を使う人だったからだと言う。
南部博士はいろいろ探したが、ジョーに言葉を教えられるのは彼しか適任がいなかったのだろう。
多少の言葉遣いの悪さには眼を瞑ったのだろう、と思う。
ジョーは日に日にヤマトが来るのが楽しみになり、南部博士ともこちらの言葉で会話出来るようになって来た。
べらんめえ調は南部博士から少し矯正されたが、それでも気を抜くとやっぱりそうなってしまった。
ヤマトは本職の教師ではない。
仕方がない、と南部も思った。
段々とジョーはネイティブに近づいて行った。
その頃には身体も回復して来て、退院出来るまでになった。
南部はひと思案して、ジョーを自分の養子として育てる事にし、自分の別荘へと招く事にした。
「今日から此処が君の家だ」
と言われた時には、見た事もない大きな豪邸にビックリしたものだ。
「此処が俺の家?」
8歳のジョーの一人称は既に俺だった。
これもヤマトの影響だろう。
「君の部屋に案内するよ」
南部博士はジョーのまだ覚束無い足元をしっかりと見ながら、中へと誘(いざな)った。
まだ松葉杖は1本必要だった。
右腕と左足がまだ不自由だった。
しかし、左腕が大分回復したので、松葉杖を付いて、自力で歩く事が出来るようになったのだ。
その為に退院が許可されたのである。
その別荘にもヤマトは訪ねて来るようになった。
彼は元々優秀な人間で、教員免許は持っていなかったが、勉強を教える事が出来た。
また、教えるのが要領が良く、上手かった。
年齢は当時30歳。
日系イタリア人らしく、明るい男だった。
南部は彼の権限で、一時的にヤマトを住み込みのジョーの家庭教師に任命したのだ。
家庭教師をしている間の給料は南部が負担する。
そして、それが終わったら、またISOに戻る事が出来ると言う破格の待遇だった。
この頃には、ジョーはヤマトととても馬が合っていたので、その事を喜んだ。
勉強はそんなに好きではなかったが、ヤマトといる事が楽しかった。
ヤマトは温和な性格だが、身体を鍛えていた。
引き締まった身体に筋肉が乗っているのがワイシャツの上からでも解る。
ジョーはその事にも興味を持った。
「もっと大きくなってからで充分だよ」
とヤマトは言った。
ヤマトは的確にジョーが理解するまで、根気良く勉強を教えた。
時間を掛けても構わない、と南部からは言われていた。
国語、算数、理科、社会は彼が教えた。
音楽は教えられなかったのだが、体育はジョーの身体が完全に良くなってからは、スポーツをさせる事で教える事が出来た。
その時ヤマトはジョーの身体能力が並外れて優れている事に気づき、南部博士に報告する。
南部博士が科学忍者隊の構想の中に、ジョーを入れる事を決めた背景にはそんな事もあったのかもしれない。
やがてジョーは成長し、カートをやりたいなどと言い始め、南部はそれを許可した。
それでも、まだヤマトは通って来ていた。
その頃になると、ジョーの勉強は大分進んでいて、16の時までに高校卒業と同等の勉強を終える事が出来た。
丁度科学忍者隊構想が実現に向かって動き始める時期に間に合った。
ヤマトはISOに戻って行き、ジョーは11歳の時に南部博士の別荘に来た同い年の健や、他の年下の仲間達と一緒に様々な訓練を受ける事になるのである。
ギャラクターへの復讐心はヤマトには隠していた。
しかし、ジョーの胸の中にはずっと燻り続けていたものだった。
それが科学忍者隊と言う秘密のプロジェクトの中で、実現出来ると知った時の喜び。
これは何物にも代え難いものだった。
ジョーはギャラクターを斃す事が出来るのなら、この生命を賭けてもいい、と心に決めたのである。
その後、ヤマトとは逢う機会がなかった。
逢いたいと思う事はあった。
でも、それは本懐を遂げてからにしようと決めたのである。
逢おうと思えば、南部博士を介していつでも逢わせて貰える筈なのだから。
ジョーはヤマトに感謝していた。
科学忍者隊に入るまでに一通りの勉強を教えてくれた事。
戸籍がないから学校に通えなかったジョーにとっては、有難い事だった。
最初の内は嫌な物だったが、科学忍者隊の構想を知ってからは、この勉強が将来に向かって、重要な意味を持つ事をジョーは良く解っていた。
だから、勉強もカートも真面目にやった。
やがてカートからストックカーレースに上がり、頭角を現わしたのも、彼の才能と言って良かった。
ヤマトはそれに驚きながらも、16の時にはもう教える事はない、と言った。
その上のレベル、大学の勉強内容までは詰め込まなくてもいい、と南部博士から言われていたからだ。
それはこれから科学忍者隊としての訓練と共に、いろいろな事を叩き込まれる事になる、と言う事を意味していた。
ヤマトは科学忍者隊構想の事を知らなかったが、ジョーの身体能力をどうやって活かすのか、と考えていた。
きっと凄いレーサーになるのだろう。
彼はそう思って、南部博士の元を辞したのである。
ヤマトは38歳になり、ジョーは16歳になった。
「ヤマト。これまでどうも有難う」
別れの朝、ジョーはヤマトと軽くハグをした。
ジョーの方が背が高くなっていた。
この時、これが今生の別れになるとは、お互いに思ってもいなかった。
まだまだお互いに死が2人を分かつ年齢ではなかったからだろう。
「俺もどうやらそこそこ勉強も進んだようだし、人並みにはなれたようだ」
「頑張ってな。これから南部博士が直々にいろいろと教えると言っていた。
 耐えられなくなって、逃げ出したりしねぇようにな」
ヤマトはべらんめえ調でそう言った。
「解ってるよ。決して逃げ出したりはしねぇよ」
ジョーもそう答えた。
「これから待っている事は、詳しくは言えねぇが凄い事なんだ。
 俺は乗り越えて見せるぜ」
「おめぇの成長を楽しみに見守っているぜ」
ヤマトはそう言って、博士の別荘から出て行った。
ジョーは感慨深げにその後ろ姿を見送るのであった。




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