『漣の夜』

海辺にトレーラーハウスを持って来た。
満潮の時間を見て、設置したので、問題はないだろう。
一晩海の漣を聴きながら眠るのも乙なものだと思ったのだ。
まずは外でバーベキューをする準備をした。
野菜と肉は中で切って、折り畳み椅子付きのバーベキューセットを出した。
丁度夕陽が沈む時分だった。
ジョーは椅子に凭れて、夕陽を眺めた。
いつも思うのだが、贅沢な風景だ。
水に朱を幾重にも溶かしたようなグラデーションが空に現われた。
その美しさは筆舌に尽くし難い。
グラデーションは刻々と色を変えて行くのだ。
夕陽の色が濃くなり、やがてコバルトブルーが混じり始める。
そうして、夕陽は海の水平線へと沈んで行くのだ。
水平線から自分の方へと、光る道が出来る。
渡れば故郷まで歩いて行けそうに思える。
子供の頃からそんな錯覚を覚えていた。
空にコバルトブルーが満ちた時、ジョーはトレーラーハウスの外側に明かりを点け、バーベキューを始める事にした。
どうせ1人分だ。
大した量ではない。
しかし、オープンエアで食べる食事はさぞかし美味しかろう。
それも夕陽のパノラマショーを観た後の食事は、本当に贅沢だった。
こんな時にギャラクターが出て来ないようにと願うばかりだ。
独りバーベキューも、なかなか美味しかった。
ちょっと物足りない気がしたのは、仲間がいないからか。
いつも、バーベキューをやる時は甚平を呼んでやったりしていた。
それでも味は変わらない。
食材も良い物を仕入れて来たし、自分1人が満腹になるのはすぐだった。
材料も考えて、1人分で揃えていた。
ジョーはバーベキューセットを片付けた。
後はシャワーを浴びて寝るだけだ。
何もする事はない。
片付けが終わると、人目がないトレーラーハウスでするりと裸になり、ランドリーバッグに洗濯物を放り込んだ。
そして、新しい着替えはベッドの上に、白いタオルは右手に持ち、シャワールームへと消えた。
雨のようなシャワーの水音が響いて来た。
ジョーは丁寧に髪の毛から洗った。
枯葉の色のような髪にシャンプーの泡が滑って行く。
身体を汚す事になるから、髪から洗うのは効率的だ。
髪を洗い終えると、ボディーソープをハンドタオルに取り、身体を洗い始めた。
鍛え上げられた身体に、白い泡が広がって行く。
清潔好きなジョーは、いつでもシャワーは欠かさなかった。
任務で入れない時はイライラする事もある。
このトレーラーハウスにはバスタブはない。
ユートランドはいつでも気候が良いので、寒くなる事はないのだ。
シャワーで充分だった。
身体を洗い終わって、白い泡を流して行く。
逞しい肉体が露わになって行った。
それを隠していた泡が消えたからだ。
身体をスッキリ洗い終えると、真っ白なバスタオルで丁寧に身体を拭き、シャワールームから出る。
そのバスタオルもランドリーバッグに入れ、用意しておいた物に着替える。
もう寝るだけなので、黒いトレーニングパンツを履き、上半身は裸のままだった。
髪の毛をドライヤーで乾かして行く。
櫛で整えるといつもの髪型になった。
さて、これでするべき事は終わった。
後は歯を磨いて眠るだけだ。
ジョーは時計を見た。
まだ9時半だった。
「寝るには早いな……」
そう言いながらも先に歯磨きを澄ませた。
きちんと丁寧に磨く。
これも母親に躾けられたのだろう。
それが終わるとベッドに横になった。
両腕を頭の下にして枕代わりに寝てみる。
ふと、耳を澄ます。
潮騒の匂いがする。
そして、波の漣がサーっと引いたり押し寄せたりしているのが解った。
贅沢な夜だな、と思った。
この漣を聴きながら眠る事が出来るのだ。
トレーラーハウス住まいでないと体験出来ない事だろう。
ジョーはベッドの上で腹筋運動を始めた。
寝るまでに時間があるからだ。
ちょっとした時間も身体を鍛える為に使った。
上半身裸の筋肉が良く動いているのが解った。
100回でストップした。
もっとやっても良いのだが、折角シャワーを浴びたのに汗を掻くのが嫌だったのだ。
こうして日頃から鍛錬を怠らない。
森にいれば、羽根手裏剣の訓練をしたりしている。
あれ程の名手なのに、勘が狂う事を神経質な程に嫌っている。
木々の葉っぱを狙い落とすぐらいの事は朝飯前だ。
サーキットに行く時間も作りながら、基地のトレーニングルームにも通っている。
なかなか忙しい生活を送っている中、こうして自然の中に身を委ねる事は彼にとっては、一番の贅沢だった。
ギャラクターへの復讐心に身を焦がしながら、彼はこうして心の平衡を保っていたのである。
漣が子守唄のように心地好かった。
ジョーはそのまま眠ってしまいそうになった。
いや、眠ってしまったって構うものか。
もうするべき事は全て済ませてある。
早く寝てご来光を仰げばいいか、と、ジョーはベッドの横にあるスイッチを切った。

翌朝はまだ暗い内から起き出した。
トレーラーハウスを開け払い、潮の香りを中に一杯入れ込む。
いい気分だった。
東の空が少しずつ輝いて来た。
ジョーはトレーラーハウスを出て、それをじっと眺める。
少し眩しくて手を翳した。
1日の始まりだ。
昨日水平線に沈んだ太陽は、反対側から上って来た。
そちら側には半分は山が、半分はユートランドの街があった。
山の向こうから太陽がゆっくりと少しずつ上って来る。
いつも夕陽の沈むのを眺めているジョーには新鮮だった。
今日の新しい太陽が現われた。
いつもと同じ太陽の筈なのに、何故か違う物に感じられた。
眺めている内に太陽はほぼ上りきった。
そこで、ジョーは朝食の支度をする事にした。
パンとハムの簡素な朝食だ。
それにオレンジを絞ってジュースを付けた。
今日はパトロールの予定が入っている。
科学忍者隊はギャラクターの野望を潰えさせるまで、活動を続けなければならないのだ。
それはジョーにとって望む処だった。
ギャラクターへの復讐を果たす為にも、いつかは絶対に斃す。
そして、その時初めて自分は呪縛から『解放』されるのだ。
その時が来たら、科学忍者隊は辞めて、レーサーとして生きる。
彼はそう決めていた。
それを南部博士も拒む事はあるまい。
ギャラクターがいなくなった世に、科学忍者隊は必要ないのだ。
ジョーはそう思っていた。
きっと上を目指す。
漣の夜を堪能して気分が良くなっていたジョーは、そんな夢を繰り返し思った。
その『いつか』を体験する日まで、頑張らなければならない。
その事は決して苦ではなかった。
本懐を遂げる日は近い。
そう信じて、ジョーは朝食を終えた。




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