『バレンタインデー前夜』

「ねぇ、ジョー。簡単に作れるチョコレートのレシピを知らない?」
『スナックジュン』にはジュンとジョーの2人だけだった。
甚平は買い出しに行っており、健と竜はまだ来ていなかった。
「何で俺にそんな事を訊くんだよ?」
ジョーは戸惑いを見せた。
「だって…この前のアップルキャラメルケーキが美味しかったから…」
「ああ、あれはテレサ婆さんに教えて貰ったもんだからよ。
 俺が甘いもんのレシピなんて知る訳がねぇだろ?甚平に相談したらどうだ?」
「そうねぇ…。でも冷やかされるのが眼に見えてるし…」
「健にやるもんだって事は、誰だって解るさ。ご本人様以外はな。おっと、ご登場なすったぜ」
ジョーが入口に眼をやると丁度健と竜が入ろうとしている処だった。
「ジュン!テレサ婆さんに話を付けておいてやってもいいぜ。今夜時間はあるのか?」
「店を早仕舞いしても構わないわ」
「OK!俺は博士を別荘に迎えに行く事になってるから、それに合わせてくれ。
 バイクで行っては帰りに折角の『作品』がぐちゃぐちゃになっちまうからな。
 G−2号機で6時に迎えに来る。
 テレサ婆さんは朝が早いんで、10時には寝てしまうから配慮してやってくれ。
 夕食の片付けぐれぇ手伝ってやれよな」
「そのお婆さんは住み込みなの?」
「ああ…」
「ありがと、ジョー」
ジョーは支払いを済ませて颯爽と出て行った。
「何の話をしてたんだ?テレサ婆さんが何だとか…?」
健が訝しがる。
「健には教えて上げない!ジョーと私の秘密よ」
思わせ振りなジュンの声をドアの外でジョーは聞いていた。
(おいおい…、誤解されるじゃねぇか!)
唇を歪めてガレージへと向かった。

しかし、ジョーとジュンの『密約』は健と竜にはスルーされたようだ。
「何だ、甚平はおらんのか?」
竜があからさまにガッカリした。
「甚平は買物に行ってるわ。すぐに戻って来るでしょう」
「まあ、コーヒーで待っとる事にするかいのう…」
「竜は腹を減らしているのさ」
健が笑った。
「明日はバレンタインデーじゃのう…」
竜が呟く。
「丁度休暇だし、ジョーはサーキットに行ってさぞかし沢山チョコレートを貰って来るんじゃろうなぁ」
相変わらずのんびりとした口調。
「おらはどうせ誰からも貰えんからのう。ジョーが羨ましいぞい」
「でも全部此処に持って来て、俺達に分けてくれるじゃないか」
「私が見た処、あれは全部本命チョコよ。義理チョコじゃないわ」
ジュンの女の勘は鋭い。
見事に事実を言い当てていた。
ジョーは甘い物が余り得意な方ではなく、貰ったものを全部此処に運んで来る。
結局は殆どが竜の腹の中に収まるのだ。
しかし、彼はキッチリとホワイトデーにお返しだけはしているらしい、とはジュンの分析だ。
「ジョーは紳士だから、そう言う処にはマメなのよ。
 ただ彼の中ではどの女(ひと)も『女友達』のレベルに留まっているみたいね」
その時、甚平が紙袋を抱えて帰って来た。
「甚平、今日は6時でクローズするわ。あなたはお店の片付けをしたら好きにしてていいわよ」
「え〜っ?折角お姉ちゃんの為に買物して来たのに…」
「それを持って行くのよ」
「???」
眼を白黒させている甚平。
事情が飲み込めた竜。
甚平が帰って来たので、何を頼もうかと考えているマイペースなリーダー様。
(あなたの為に苦労して来るのよ!)
ジュンは少し歯痒かった。

ジョーは南部の別荘にジュンを送り届けると、代わりに博士を乗せた。
「ジュンが来たようだが、一体どうしたと言うのかね?」
「バレンタインですよ」
「バレンタイン?」
「テレサ婆さんに手作りチョコレートの作り方を習いに来たんです」
「ほぉ。ジュンも普通の女の子らしい事をするのだな」
「テレサ婆さんが苦労するのが眼に見える気もしますがね…」
ジョーが苦笑した。
「博士をホテルまで送り届けたら別荘に戻って様子を見てみます。
 テレサ婆さんに無理はさせたくありませんから」
「ふふふ。そうしてやってくれたまえ」
「博士。迎えは何時に?」
今夜の南部博士の予定はアンダーソン長官との会食だった。
「うむ。10時を過ぎると思うが、構わんかね?無理ならタクシーで戻る事にしよう」
「構いませんよ。別荘に戻ってジュンを送ったらそれ位の時間にはなってしまうでしょう。
 それにタクシーの使用は止して下さい。危険です」
「いつも君にばかり頼んで悪いとは思っているのだ。疲れている時は言いたまえ。
 健や竜でも運転手兼護衛は充分に務まるだろう」
「都合が悪い時は遠慮なく言ってますよ」
ジョーはそう言ってホテルのボーイに迎えられた南部博士を見送った。

ジョーが別荘に戻ると、まさにジュンが悪戦苦闘中だった。
「おいおい…。甚平が買って来た食材は足りるのかよ?」
「かなり無駄遣いしてるわねぇ…」
丸椅子に座ったテレサが言った。
「甚平って言う坊ちゃんがガトーショコラの材料を揃えてくれていたのよ。
 クリームチーズがあるから、濃厚なのが出来る筈よ。
 ジョーさんも味見して行きなさいな」
テレサ婆さんは、ジョーが此処に引き取られた頃は彼の事を『坊や』と呼んでいたが、彼の成長に従って、それが『ジョー君』、『ジョーさん』へと変わって行った。
「まだこれは試作なんですか?本番はこれから?!」
ジョーは眼を丸くした。
大分時間が経っている筈だが…。
「テレサ婆さん、疲れたでしょう?俺にやり方を説明してくれれば後は俺が…」
「気遣いを有難うよ。でもこのお嬢ちゃんは本気よ。私も本気で付き合うわ」
ジョーはこのテレサ婆さんを本当に愛しいと思った。
後ろから優しく肩を揉む。
「ああ、ああ…何て気持ちが良いのでしょう。あなたの手は本当に暖かいわ…」
テレサはジョーの手に自分の皺だらけの手を重ねた。
「照れますよ…」
ジョーの声は優しかった。
「あの娘(こ)は時々この別荘で見掛けていたけど、あなたのお友達なの?」
「ええ」
「ジョーさんの事が好きなのかしら?」
「まさか!俺ではなくて健の為に作ってるんですよ」
「それもそうだわね。あなたの為に作っているのだったら、あなたに連れて来られる訳がないわね」
ふふふ、とテレサ婆さんが笑った。
慈悲深い笑顔を見せる老婦人だった。

「ジョー。やっと出来たわ!」
ジュンが本番の作品を完成させた頃には、テレサ婆さんは椅子の上で船を漕いでいた。
「そこそこ綺麗に出来てるぜ。おい、早く包装しろ。上手くやれよ。
 包装次第で折角の苦労も台無しになるからな。
 俺はそろそろお前を送って、ホテルに博士を迎えに行かなければならねぇ」
そう言うとジョーはテレサ婆さんを軽々と抱き上げて、彼女の部屋へと運ぶのだった。




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